映画狂凡人(映画感想ツイート倉庫)

さいきん見た映画の感想を書いています。ネタバレありなので未見の方は注意してください。

「シカゴ7裁判」感想

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シカゴ7裁判、みた。ベトナム戦争下のアメリカを舞台に、理不尽な裁判を戦う反戦活動家を描いた実録モノ。この手の映画を撮らせたらA・ソーキンの右に出る者はいないな…。有罪ありきで裁判を進める判事にいろんな人物の姿を重ねたくなる。7人の男たちが決して〈聖人〉ではないところも面白い。良作!

サシャ・バロン・コーエンの飄々としつつクレバーな風貌はカッコいいし、エディ・レッドメインエスタブリッシュメントな佇まいを反転させるキャスティングも上手い。マーク・ライランス古畑任三郎のような抑えきれない曲者オーラも好き。ジョセフ・ゴードン=レヴィットは「スノーデン」を連想。

ボビー・シールの後ろで囁き女将してるケルヴィン・ハリソン・Jr.は「WAVES」「ルース・エドガー」でも爪痕残してるが、爆発しそうなエネルギーを溜め込むエリートの役が似合う。ジョン・キャロル・リンチは見覚えあると思ったら「ファウンダー」のマクドナルド兄弟。気のいいオヤジが似合う。

観客全員が顔面殴りたくなったであろう、最低の悪役・ホフマン判事を演じたフランク・ランジェラは素晴らしいウザさ。彼が徹底して憎まれ役じゃないとこの映画は成立しない。しかし彼は分かりやすい悪役ではあるものの、彼らが戦っているのはその後ろにいる連中だということを忘れてはならない。

脚本の完成度の高さ。複雑な裁判の展開と時代背景、多数の登場人物をさらっと捌いてしまう手腕は天才的。それに応える役者たちの演技も良い。彼らが適切な塩梅でキャラを造形しないと、せっかくの設定も活きてこないからだ。時系列を移動しつつスパスパと切る編集も職人技だと思う。

50年前とさっぱり事情が変わらないことに絶望を覚える。スカッとジャパンみたいな分かりやすいエンタメにせず、最後までモヤりとイライラを残すことで観客に思考を促すのはさすがだ。単なる消費には止まらせないぞと。2020年は未だに都合の悪いことを言う人間に猿ぐつわを噛ませている。

被告である7人は実は最後まで交わっていない。俺たち一緒に戦おうぜ!と肩を組むこともない。彼らが最後に見せる紐帯は終戦の希望のようにも映るけど、僕たちはベトナム戦争がこの後も徒らに続きたくさんの死者を出したことを知っている。シカゴセブンは負けたのである。じゃあ、20年代の僕たちは?

いまのこの状況に対する〈正解〉がないからこそ映画が作られるのだし、リアルにこの社会の惨状をトレースにしたに過ぎないのだが、妙にあのオチは落ち着かない、締まらない。物語としてモヤってはいいのだが、映画的にはスッキリしてほしかった。残尿感のあるオチの演出。物足りない。感想おしまい。

「アイヌモシリ」感想

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アイヌモシリ、みた。現代のアイヌ民族の生き様を阿寒湖畔に暮らす少年の視点から描く。キャストは全員アイヌアイヌ語の独特ながら耳馴染みのいい響き、鉢の火が跳ね、鉋で木が削れる音、カムイの森に積もる雪も優しく輝く。この雄大な自然が、神様が、そしてアイヌの血が自分を見守っている。傑作!

イオマンテという伝統儀式が物語の中心になっている。子熊を生贄として捧げるその残酷さゆえに、時代に馴染まずここ数十年は行われていない。その復活の是非について、〈将来〉の伝統の担い手である少年を主人公に据えて描くことで、アイヌに寄り添いつつもニュートラルな視座を獲得している。

主人公のカント(下倉幹人)の佇まいが良い。演技未経験らしいが上手かった。そしてデボおじさん(秋辺デボ)!彼もとても映える顔立ちをしている。ヒゲもかっこいい。かリリーフランキーとの共演シーンでも力負けしない迫力。縄文文化の色を残す伝統衣装と、雪山の景色の組み合わせが美しい。

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映画で触れられることはないが、アイヌ民族の歴史は、つねに本土からの迫害や侵略との戦いだった。特に近代化以降の「漂白化」は苛烈で、ここで文化の破壊が進んでしまったのは事実だと思う。現代ではアイヌ文化の保護・復興の動きも活発化しているが、一方で観光資源として消費されているのも事実だ。

ある種の観光コンテンツとして生かされている面も描きつつ、映画はアイヌ民族アイデンティティや誇りの観点から文化の存続について思考を促す。イオマンテを美化し過ぎず、その賛否について触れるバランス感覚が素晴らしい。「日本に生きる先住民」という切り口だけで見る価値アリです。

「スパイの妻 劇場版」感想

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スパイの妻、みた。スパイ疑惑の夫と幼なじみの憲兵の間で揺れる妻を描くポリティカルスリラー。3人の思惑が複雑に絡みながら流転する展開は濱口竜介テイスト。高橋一生の品のある胡散臭さ、東出昌大の人外感はさすが黒沢清演出。広げた風呂敷に比べてミニマムなスケール感の映像はTVドラマ的。傑作!

濱口竜介×野原位の脚本は「ハッピーアワー」との共通点を探したくなる。人間、表に見える姿と、裏で考えていることにはギャップがある。その反転と裏切りが執拗に描かれるのがこの映画の肝であると思う。しかし、個人的にあの着地は否定的。もう一捻り、あるいは映像的なパンチを期待してしまった。

たとえば「ハッピーアワー」の主人公の背中から望む神戸の青い海と空、あるいは男と女の断絶をまざまざと突きつける「寝ても覚めても」の濁流…のような衝撃はなかった。あの気の抜けたテロップ処理も含めて。終わって欲しいところで終わってくれないと…という気持ちがどうしても湧いてくる。

感想を漁っていると「映画的」という言葉が散見されるが、むしろ映像の質感としてはTVドラマ的だ思った。技術的な話は分からないけど8Kから劇場仕様に変換したところでそうなったのか。奥まで綺麗に見通せるような、光の軽さ?というか。大河ドラマのスタッフが関わってるのと無関係ではないだろう。

この例えが適切なのかは分からないが、感覚的には「相棒」の劇場版に近いものがある。そもそも作り手が大スペクタクルを撮るつもりないのだろうけど、太平洋戦争と国家機密というテーマを扱いながら基本的に密室劇に終始するスケール感のギャップが、TVドラマ的というか古典スリラー的というか。

それはある意味でこの映画の根幹とも繋がっている。「僕たちの見えないところで何か悲惨なことが起きている」そして「僕たちはそれに目を向けない or 隠されている」ということ。全貌が見えず、裏で何が起こっているか分からないからこそ不気味なのである。

さらにこれは現実の世界、今日の日本社会でも起きていることだ。中国共産党によるウイグル人迫害でもいいし、官邸と省庁の隠蔽・改竄体質に重ね合わせてもいい。すぐ隣にいる人を愛することと、正義を貫くことが両立しない。抑圧のジレンマに僕らは生きている。非常に現代的なテーマだ。

「異端の鳥」感想

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異端の鳥、みた。色分けされて群に放たれた鳥のように、ユダヤ人というラベリングによって除け者にされる少年。動物虐待、レイプ、監禁、殺人…普通の人々の醜さよ。一方で侵略してきた外国の軍隊は規律が取れているという皮肉。地獄のような光景なのに、モノトーンの映像は見惚れるほど美しかった。

混乱の最中に翻弄され、孤独に旅を続ける人間の姿、道徳観を根こそぎ持って行かれそうな凄惨な現実は、「アンドレイ・ルブリョフ」を思い出した。早く逃げたい、でも、美しいから目が離せない。そんな絶妙さがこの映画にはある。信じかけた良心が何度も裏切られるのが辛い。世界は意地悪だ。

多くの人が触れるように冒頭のアレはどきっとした…本当に殺してるわけではないと思いたい。「ビリー・ザ・キッド」のニワトリ射的を思い出した。いちばん印象的だったのは、とある人物の首吊りに対するリアクション。あんなに残酷な優しさがあるだろうか。そしてそれを受け入れてしまう感覚の麻痺。

タイトルになっている異端の鳥=The Painted Birdをめぐるエピソード。他者に向けるその刃が、いざ自分やその周りに襲いかかってきた時、人はどう反応するか。終盤のソ連の軍人との邂逅も面白い。しかし、この世に「目には目を」の式など成り立たない、というの不条理こそ映画の肝なのだと思う。

ラストシークエンスは非常に印象的だが、不合理なこの世界のどこに「均衡」を見つけるか、という話なのだと俺は読んだ。まるで疫病神のように行く先々で災難に遭う(それは周囲の大人の所為なのだが)少年が、それでもこの先真っ直ぐに生きるとしたら…。二度と見たくはないが素晴らしい映画でした。

「星の子」感想

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星の子、みた。あやしい宗教にのめり込む両親に育てられたちひろ。病弱だった自分がいま生きていることが信仰の証という残酷さ。芦田愛菜ってスクリーンを支配するスターではないが、一対一の距離感で感情のひだまで直接観客に届けてくれるような繊細さを持ってる。とても見応えのある映画だった。

多く人が語るようにこれはやはり芦田愛菜の映画である。「マルモのおきて」や「パシフィック・リム」の頃の彼女とはもう違う。16歳という年齢からしてまだ幼い少女なのだが、内面から滲み出るその聡明さと堂々たる立ち振る舞いが年齢以上の落ち着きを感じさせる。 

ただ「海街diary」の広瀬すずや「ラストレター」の森七菜のような存在感、その場にいるだけで空間を奪ってしまうような圧というものを彼女からは不思議と感じない。もしかしたら後からついてくるものかもしれないけど、いまの時点ではテレビドラマ向きではなさそう。

「君の膵臓をたべたい」で浜辺美波を見たときの「スターがそこに居る」という感覚ではない。観客とじっくり対話できる映画という媒体こそ彼女が活きる場なのでは。彼女の演技はじっと見つめてるとじわじわ味が染みてくる。和牛ステーキに対するおでんの具の関係。もうすでに渋い演技してる。

それはあくまで「この映画では」という話であって、これから俳優仕事が増えればまた変わってくるのかもしれないけど。そういえば「怪盗グルー」シリーズの声の演技もメチャクチャ可愛かったな。なんとなくシリアスな雰囲気を纏う彼女だけど、声優としてまた違った顔も見せたりするから面白い。

あえてちょっと時間をおいてみてこの感想を書いているけど、やはり思い出すのは芦田愛菜の顔なのである。暗くなるまで残っていた教室に憧れの先生がやってきたときの表情(ああ、わかる!心臓飛び出るぐらい嬉しいよね!)とか、逆にこの写真の場面の目にたっぷり涙を溜めた姿とか。

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あともう一つは本作の中で珍しく長回しをしている「叱責」の場面。見ていて苦しかった。いろんな感情が一気に押し寄せて、もはや処理できなくなってしまう。その後の友だちとの会話(同級生のアホさが癒し)もまた素晴らしい。映画のハイライトだと思う。

大友康平のあまりに「らしい」親戚のおじさん像、嫌味な役をやらせた天下一品の岡田将生高良健吾黒木華の不気味さ、宇野祥平のいぶし銀の演技。なべちゃん役の新音は初めて見たけど、すごくいい。芦田愛菜との身長差が特に。芦田愛菜との絡みはないが蒔田彩珠も良い。革ジャン最高。

新興宗教の信者二世という特殊な設定だが、思春期に家族との空間から一度目線をはずして、外との違いに悩むという経験は誰しもあるだろう。親を見られたくないとか、学校生活への干渉を嫌ったりとか、あんなに大人にはなりたくねーなとか。じゃあ親戚の家に逃げる?友だちに全部ぶちまける?

ここで「逃げる」コマンドを選んだのが姉のまーちゃんだが、主人公のちひろはどうか。まだ親離れはできない。家は確実に貧乏になっているが、そこに愛はある。親の信仰を否定することは、育ててくれた彼らの半生を、そして信仰の証としての自分の存在そのものへの否定に繋がりかねない。

拡大解釈すればそれは異世界に放り込まれたマイノリティの物語として読むこともできる。ムスリム女性にヒジャブなんて被るなと言ったらそれは暴言だが、「金星の恵みの水」だったらそれはどうなのだろう。ちひろに見えているのはそういう世界なんじゃないかと思う。なかなか新しい体験だった。

「ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ」感想

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ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ、みた。眠すぎて前半は意識が飛んでたが、サンフランシスコの街並み、日差し、時代に取り残されても力強く生きる人びとの顔が印象的な映画だった。一応物語の中心はジミーだけど、本当の意味での主人公は変わりゆくサンフランシスコの街なのかなとも思う。

上半期映画を振り返るnoteでも書いたけど、「わたしは光をにぎっている」や「転がるビー玉」のように、より〈豊かに〉変化する街と失われていくその土地の記憶というテーマは、最近よく見るテーマではある。いかに街を魅力的に撮るか?という点で本作は優れていた。

地価と家賃が高騰しすぎて富裕層以外住めなくなる都市なんて、東京ですらないので、あんまり日本人の自分としてはピンとこない部分もある。すごくアメリカ的な映画なのではないか。「土地」にまつわる映画は好きだけど、イマイチ琴線に触れなかったのは事実。

映像の質感は「ムーンライト」を思い出した。黒人の肌の美しさを最大限に引き出すために、黒人を基準に映像のトーンを組み立てているのではないか。オープニングは特に引き込まれる。映画の顔であるビクトリアン様式のお屋敷も魅力的。たしかにあれを手放すのは惜しいと誰もが共感できる素晴らしさ。

「本気のしるし 劇場版」感想

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本気のしるし 劇場版、大傑作!自覚なく他人を振り回す浮世と、破滅を予感しながら彼女にのめり込む辻。無私の愛でも、肉欲でもなければ、単なる火遊びでもない。常に不合理で、まわりにこんなに極端な人間いるか?と問われたら答えはもちろんNO。でも、この物語は確かに生々しく、血が通っている。

サスペンスフルな内容ながら不条理な笑いが至るところに散りばめられている。ズレが生み出す不気味さと可笑しさ。カチカチと動くファーストショットのカブトムシのオモチャのように、その意図が読み取れない、コミュニケーションの土台が完全に分断された絶望が、このドラマにはある。

時に全く理解できない他者に感じる恐怖は「友だちのパパが好き」を連想する。友人と父のセックスは、まるでナメクジ同士の交尾を見ているように作業的で、人間もまたシナプスを流れる電子信号に操られているんだと気付かされる。

深田晃司監督の作品はそれほど見られていないのだが、直近で言うと「よこがお」もやはり同じ質感。日常に他者が侵入する違和。ちょっとぶっ飛んだ設定だけど妙に納得して見れられてしまう。濱口竜介寝ても覚めても」が好きな人はハマるかもしれない。これを連ドラでやったというのだからすごい。