「海辺のポーリーヌ」感想
海辺のポーリーヌ、観た。「人は他人の選択が許せないのね」となげくポーリーヌ。オトナたちはみんな自分勝手で、嫉妬深くて、都合の良いことばかり言う。等身大のポーリーヌが却っていちばん冷静でまともに見えてくるから面白い。言葉多き者は禍の元。ピエールがホントに情けない男で笑える。
ポーリーヌの水着、サイズ合ってなくて尻はみ出てたがアレでいいのか笑 アンリは終始いけすかない男だったね。しかし、この中ではいちばん自分をわかっているとも言える。マリオンはアンリへの想いを募らせるものの、ずっと本心とは違うことを言っているように見える。最後は「嘘を信じる」と笑
ピエールはとても正直な男で、おまえ何歳だよってツッコミたくなるぐらい嘘がつけない。マリオンにヨットの乗り方教えるフリしてやたらと体触ったり、マリオンにキスを迫って突き飛ばされたり、最後はシルヴァンと取っ組み合い。彼はわりと事実を主張しているのだが、この場では異常者として扱われる笑
オープニングで別荘の扉を開けて、最後に閉じて作品が終わるのもいい。恋が人を狂わせるというよりは、恋によって人の身勝手な部分や、ダメなところが表に出てしまう、といった方が正しいのかもしれない。みんな自分に都合よく捉えてしまうものなんですね。15歳の少女を振り回してまで。
「朝が来ますように」感想
朝が来ますように、観た。東京フィルメックスにて。結婚式に出席するため故郷のパレスチナに戻ってきたサミ。しかし、村がイスラエル兵に封鎖されてしまい…。これと言って刺さるモノがなかったかなあ。イスラエルに働きに出るパレスチナ人ってどういう地位なんでしょう。ラストの虚しさは心に残った。
冒頭の結婚式、サミは地元の親戚から凱旋してきた英雄のような扱いを受ける。そして、オヤジたちは「うちの息子の方が優秀だ」とマウントを取り合うのだ。ここらへんは全世界共通の田舎あるあるなのかしらと思いつつ、パレスチナ/イスラエルの関係性が気になった。
サミやその家族が「帰れない」ことで慌てふためき、オヤジから「もうここに住みなよ」と諭されるあたりは、このパレスチナ/イスラエルの関係性が感覚的にわかっていないと読み取りにくいのでは、と思う。正直、自分は作り手が想定しているレベルまでサミのことを理解できていないだろうと思う。
村が封鎖されて帰れない、さてどうしよう?となった時にサミは家族の問題に直面するわけだが、このドラマは凡庸で、あまり見どころがないと思った。議会への反発を弟と共有し、手榴弾を…のくだりはユーモラスで笑えたけど。期待より政治的要素が少なかったのは、単に読み取れなかっただけなのか…。
「見上げた空に何が見える?」感想
見上げた空に何が見える?、観た。東京フィルメックスにて。街中で一目惚れをした男女が、あくる朝、見た目が変わる呪いにかかってしまい…。ジョージア・クタイシの何気ない景色が、僕たちの日常を祝福してくれる。途中から話が脱線しまくるが、最後に待っている「奇跡」は至福としか言いようがない。
しかし、150分は長いかな〜と思う。きのう夜更かししたせいでコンディションも悪く、それなりに睡魔との戦いでもあった。最初に書いたが、途中からリザとギオルギの恋模様よりも、ワールドカップに熱狂するクタイシ市民の浮かれっぷりにフォーカスが当たるのである。そこもまあ面白いのだけど。
しかし、一見どうでもいい市民のサッカー熱を追ううちに、クタイシの街そのものへの解像度が上がってくる。最初は何も思わなかった街並みが、どんどん美しく、輝いて見えてくる。「白い橋」都「赤い橋」。地元民が集まるダイナーのテレビ。それを通りの車から眺める男たち。みんなに愛情が芽生える。
そういう奇跡のような変化を体験するには、たしかに150分の尺は必要だったのかもしれない。ほんとうにこの時間のあいだにクタイシの見え方が変わるんです。自然光の捉え方も優しい。シネフィルではないのでリファレンスが乏しいのだが、個人的に「ベルリン・天使の詩」っぽいなあという印象を受けた。
あと、ファーストショット(リザとギオルギの出会いを「足」から映す場面)で、一度飛び去った小鳥がまた戻ってきて、ちょうどよいタイミングでフレームインしてくれる。まさか小鳥に演技指導したとは思えないのでたまたまだろうが、よくぞ撮った!と思った。ここからもう奇跡は始まっているわけです。
あとこれはうまく言語化できないが、この映画はリザとギオルギが恋に落ちる瞬間の表情を取らない。バタバタと行ったり来たりする足のみを映す。だからふたりがなぜ惹かれ合うのかって詳しくは説明されない(たぶん一目惚れだろう)んだけど、そこを飛ばしても納得はできるんですよね。理屈じゃない。
だからこそ、リザとギオルギが笑いあう瞬間であったり、奇跡のようなツーショットに、とてつもない力を感じるんじゃないか、と思う。店主の奥さんのケーキを取りに行くシークエンスは全カットすばらしかった。僕たちはこういうよろこびのために生きているんだと、再確認できる映画だった。
「CUBE」感想
CUBE、観た。面白かった〜。ゴア描写は拍子抜けだが、謎解きスリラーとして大いに楽しんだ。仮説と検証を繰り返して徐々に全貌がわかってくる、絶妙な脚本さばきに唸る。情報の出し方の巧みさよ。そして、誰が死ぬか分からないから落ち着かない!人間は怠惰と勤勉さで地獄をこの世につくっている。
ヴィンチェンゾ・ナタリって、このあと「ハンニバル」撮るんですね。その出世作ということすら全く知らず…笑 CUBEはとても緻密に練り上げられたシステムではあるが、誰かの陰謀ですらなく、さまざまな人間が無責任に仕事をした結果である、というネタが素晴らしい。
民主主義も資本主義もべつに自然の摂理ではなく、人間が勝手に作り上げたシステムなのだが、残念ながらそれによって一方は生まれながらの大富豪なのに、一方はごはんもろくに食べられずに餓死…といった愚かなことがまかり通っている。しかもその中で殺し合いが始まる。厭世的だが、それが現実なのだ。
ワンシチュエーション、かつ、同じセットの使い回しなので絵的に単調になりそうなところ、フェーズごとに新しいビジュアルを挟んでくれるので、飽きることはない。CUBEもちょっとずつギミックが足されていく。密室で化けの皮が剝がれていく件は、まあ想定内かなという感想。でも、そこも裏切りがある。
「かそけきサンカヨウ」感想
かそけきサンカヨウ、観た。お父さんの再婚に戸惑う娘の恋と成長…というありがちなテーマをこうもおいしく料理できるんだ!という驚き。味付けは最小限に、じりじりと心の距離を詰めていく人たちを丁寧に描く。カフェでのんびり過ごす昼下がりのような映画。今泉力哉作品にしては灰汁少なめだと思う。
なんとなく雰囲気的には「知らない、ふたり」に近いのかしら。今泉力哉作品というと、男と女がそれぞれ勝手に走り出して、躓いて、たまに合流しては結局並走で…という様を俯瞰で描き、少々無様に見せる意地悪さがあるのだが、原作があるためか、そこはマイルドである。ここは好みが分かれるか。
志田彩良演じる陽は、まわりの大人たちがだらしなくて、大人にならざるを得なかった子どもだ。まるで先走って花を咲かせてしまうサンカヨウのようだ。相手の顔色を窺いながらみんなが居心地の良い空間を作ってくれる「賢さ」がちょっぴり切ない。それ以外選択肢なかったんだからね。ある意味で悲劇だ。
友だちとのおしゃべりを抜け出し(このカフェを切り盛りするのは芹澤興人。今泉作品では毎回「マスター」で出てくる)、ひとりぽつんとキッチンに立って慣れた手つきで料理をつくる。一連の流れで陽がどんな子どもなのかわかる。この手さばきの良さが今泉演出の真骨頂であると、個人的には思う。
「誕生日会」との良い対比になっているのも注目したい。最低限の情報からコントラストを演出している。鈴鹿央士の青臭さもいい。陸もまた陽と似たような目をしている。相手の出方を伺う、オドオドした態度。こっちはこっちで可愛いんだけれども。友人役の中井友望はいい存在感。声が特徴的だ。
菊池亜希子と西田尚美。本作にはふたりのお母さんが出てくるわけだが、これがどちらもすばらしい。西田尚美は「青葉家のテーブル」でも輝いていた。まっすぐは歩けないけど力強く前に進む、子どもにたくさん愛を注ぐ、やさしいお母さんを演じさせたら右に出る者はいないかもしれない。
「ひらいて」感想
ひらいて、観た。好きな人の好きな人に近づく少女の物語。良くも悪くも山田杏奈の「顔」に勝負を賭けた映画だ。目論見は成功しているが、それ以上にパンチのある映画だとは思えず…。他者とふれる「手」や境界線の淡さを現す「桜色」のモチーフは印象的。ただ、印象的なだけで、面白くはない。
終始映像が薄暗いのもあまり好みではない。そう、悪い映画ではないと思うが、好きにはなれないというのが正直な感想だ。向かい合って立ったふたりが会話するような場面も多く、物語の根幹に関わるところも、個人的にビビッとくるような絵はなかったかなと思う。これも好みの問題だが…。
綿矢りさの原作を読めていないのであまり適当なことは言えないけれど、セリフの力や役者の表現力(もっと言えば、その表情の魅力)に寄りすぎかなあと思った。もっと人物の細かい所作や、視線の動き、ひとつのカットの中の動線で、見えてくるものってないのかなと。単に見落としてるのかもしれないが。
「ひらいて」とはなにを指すのかは映画を見ればわかるが、このテーマ設定はいいと思った。他人の交わる中で、閉じていた自分が壊れていく感覚。山田杏奈の何を考えているかわからない不確かさ。とにかく集団からふらっと居なくなる笑 これはファーストカットからラストまで一貫してますね。円環構造。
愛はとにかく他人に馴染めない人である。でも、たとえ君の手と爪をじっと見つめる。彼に惚れ込んでいる。無軌道で、おのれの欲に素直に従って、まわりの人間をかき回す。ある意味、場当たり的といってもいい。美雪の家の一連のシークエンスは彼女の衝動性が出ていてとてもいい。
愛は「ズレ」を認識してすぐハンドルを切るわけだが、たとえ君に対してはそのセンサーの感度が鈍い。彼女はつねに自分からメッセージを発するが、それを相手がどう受け止めるか、考えられていない。しかし、この手の思春期のエゴの物語は、そろそろ関心が薄れてきたかな…と。終盤の展開も妙に駆け足。
「最後の決闘裁判」感想
最後の決闘裁判、観た。面白かった!「騎士の誉れ」のベールが一枚ずつ剥がされていく。お風呂に入らない貴族が香水でむりやり体重を消したみたいに、神の力や騎士の栄光とやらで、この野生的な世界の血生臭さは彩られている。だれもが「自分を正しい」と思い込んでいるのが厄介で、面白いところだ。
ただ、すでに指摘があるようにあの第三幕の「真相」もまたそれまでの章と横並びで評価されかねない。「人それぞれ捉え方ありますからね」で終わらせてはならないこともあるわけだから。しかし、俺の心配はマルグリットの生きてるか死んでるか分からない疲れ切った表情の説得力でひっくり返される。
とにかく14世紀フランスのどんよりした世界の作り込みがすばらしい。詳しくは知らないが、たぶん当時にタイムスリップすればこうだったんだろう、と思わされるディテールの説得力。ジャン・ド・カルージュ=マット・デイモンの皮膚が厚くてゴツゴツした感じ。彼から見える世界の可笑しさよ。
ジャック・ル・グリ=アダム・ドライバーの、あのデカい図体で佇むだけで、場の空気すら占拠してしまうような存在感。しもべとしては優秀だが、リーダー的なカリスマ性のなさはピエール=ベン・アフレックとの対比で浮き彫りになる。しかし、なんだあの金髪!一人だけHiGH&LOWだったぞ。リアルなのか?
ゴワゴワした鎧を着ていかにたくさん人を殺して税を巻き上げたかを競い合う男たちの間に立って、小綺麗な存在感を示しつつも、しかし、中世ヨーロッパの雪と泥の世界になじんでしまうマルグリット=ジョディ・カマーはすばらしい。お姫様感もありながら、闘う人の目をしている。いや、徐々になるのか。
地味にフランス国王と王女のネギみたいにひょろっとした感じもよかった。騎士たちとは明らかにちがう世界の人たちとして描かれているし、たしかに当時の貴族の絵画って、あんな雰囲気だった気がする。あと、ジャンの母がマルグリットにとある過去を明かす場面はキツかった。闘った先に何があるのかと。
第一幕と第二幕まではともかく、第三幕まで見ると、「この闘いってなんのためにあるんだっけ?」となる。決闘裁判はあくまでマルグリットの目線で見るわけだが、そもそもこの裁判自体がバカげている。しかし、当時はこれが正解だったのだろうと思う、問題は、2021年もさして変わっていないことである。
三者の見る世界のズレも面白い。特に男ふたりの勘違いっぷりは、ある面から見れば滑稽で愚かだし、角度を変えればとても虚しく切ない。自分に都合の良いようにしか周りを見ていない。冒頭の川辺の合戦や、結婚パーティーでの再会など「え、そこも認識ちがうの?」となる箇所多数。見落としもありそう。