映画狂凡人(映画感想ツイート倉庫)

さいきん見た映画の感想を書いています。ネタバレありなので未見の方は注意してください。

「モーリタニアン 黒塗りの記録」感想

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モーリタニアン 黒塗りの記録、観た。グアンタナモ収容所の真実をめぐる攻防を描く。釈放を求める弁護士と、起訴を試みる軍人が、じつはアメリカ人として同じ正義を信じている。そして、反復されるミサとサラート。カトリックムスリムも、最後は神=真実の前に平等なのだ。見応えあるけど疲れた…。

冒頭のつかみはなかなか手際が良い。2001年のモーリタニアで連行されるモハメドゥ→2003年に知り合いの弁護士から依頼を受けるナンシー、チームに招かれるテリー→時を同じくしてモハメドゥの起訴を任されるスチュワート…と、場面のトーンも目まぐるしく変わり、退屈しない。一気に引き込まれる。

この話は基本的に室内劇なので、ジョディ・フォスターとシャイリーン・ウッドリーがしかめっ面で書類を眺めるか、ベネディクト・カンバーバッチが頭抱えながら軍服のおじさんを説得するか、という地味な絵面で半分くらい占められているのだが、ロケーションでメリハリをつけていて退屈はしない。

一方、グアンタナモ収容所はむしろキューバの穏やかな海と浜辺の景色が美しく、およそ施設内の囚人が非人道的な扱いを受けているとは思わせない。青空のもと、塀に囲まれながらも束の間の息抜きを楽しむ「モーリタニアン」と「マルセイユ」の会話は、陰鬱な映画の中で唯一落ち着く時間と言っていい。

異なる目的のふたりが「真実」に迫るにつれ、同じ価値観を共有してるとわかるのが面白い。また、モハメドゥとニック(ザッカリー・リーヴァイと全然気づかなかった!)が収容所の真実を隠している理由も根っこは同じである。シンプルな対比構造にした割に話運びもたついてる感もあるが。

ずっと周辺な話をしてしまったけど、ここで描かれるグアンタナモにおける人権侵害は、もう吐き気を催すレベルだ。しかし、これは人間の作ったシステム、もっというと権力の病理というか、単なる人間の罪に還元できない恐ろしさがある。尋問する側も憔悴しきってマスクを剥がす。一番ギョッとしたかも。

ザッカリー・リーヴァイ演じるニックがクリスマスパーティーで見せた動揺を思い出せばわかるように、彼ら軍人もまた一様に「後ろめたさ」を抱えつつ、「アメリカの正義」を信じて、信じられないことをしてしまう。「悪いのは自分ではない」とみんなが思い込み、あの地獄のような拷問部屋が生まれる。

スチュワートの上官が乗るゴツいキャデラックは、ハリボテの正義で自らの恐怖を誤魔化すマッチョなアメリカそのものだったと思う。法と権利を重んじるアメリカと、絶対的な正義を信じるアメリカ。「アメリカの正義」と「アメリカが正義」は違う。この国の二面性がよくわかる映画である。

「13th -憲法修正第13条-」感想

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13th -憲法修正第13条-、観た。エヴァ・デュヴァーネイによるドキュメンタリー。奴隷制廃止以降、黒人差別が「合法化」され、やがて刑務所産業の衣をまとった「ビジネス」になっていく様が明かされる。差別はカネになるという身も蓋もない現実を突きつけられ、俺はどうすればいいんだと途方に暮れた。

差別の手段はどんどん巧妙になり、表立っては主張されずとも、システムに組み込まれ、無機質な装置と化していく。ニクソン選挙参謀の話とか呆れてしまったし、ラスト10分の畳み掛けで示される「黒人への暴力」はあまりに酷いのだけど、これ観ても、いったい俺に何かできるのか?と。

刑務所が民営化され、どんどん環境が悪くなっていく様は「オレンジ・イズ・ニュー・ブラック」でも描かれていたけど、いざこうやって見せられるとキツい。D・W・グリフィス「國民の創生」の十字架を焼く儀式がホンモノのKKKに影響を与えた、というのは驚きだ。

「男はつらいよ 寅次郎すみれ歌」感想

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男はつらいよ 寅次郎かもめ歌、観た。仲間の墓参りで出会った子が東京に…。父親代わりに奮闘する寅さんが新鮮だ。若い頃の伊藤蘭がメチャクチャ可愛い。黒木華とかミイヒの系統。娘に「しあわせになれよ」と背中を押す「しあわせになれない」寅さん。これが「ハイビスカスの花」の次だもんなあ。

定時制高校の先生が二代目おいちゃんの松村達雄!うれしい再登場。相変わらず味のある演技をする。あき竹城が「おばちゃん」役で登場するが、このとき34歳。この頃から「おばちゃん」だったことに驚く。寅さんも定時制高校が気に入って、ここで学びたかったんだとわかるラストが切ない。

すみれ(伊藤蘭)がむかしの恋人と再会して朝帰りする、それに寅さんが怒って「しあわせになれよ」と言い残して、旅に出る。正直、寅さんキレすぎではと思ったし、それぐらい自由にさせてやれよってなったけど、彼にとっては不義理だったんだろうなあ。気負い過ぎというか独占欲が強いというか。

「エターナルズ」感想

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エターナルズ、面白かった!紀元前から地球を護ってきたヒーローの物語。これまでのMCUヒーローのオリジンは「なぜ戦うのか?」を求める物語だったが、彼らは戦うために遣わされた神だ。戦いの人類史から立ち現れる再帰的な問いへの答えは極めてパーソナルだが、この手触りこそ神話的とも言える。

正直、この映画はエターナルズのコスチュームが仕上がった時点で勝ちだったと思う。王族のドレスのように華やかでありながら、宇宙人らしい異物感もある。クロエ・ジャオの映画は、地平線が印象的だ。僕ひとりの一生なんてこの地球に何ひとつ爪痕なんて残せないと思わせるスケール感がある。

これは道なき道を進み続ける「ノマドランド」のラストカットを思い出せばわかるだろう。選択の余地なんてないのだ。そうやって世界の終わりみたいに殺風景な野原でくらす人々を描いたクロエ・ジャオの厭世的なまなざしが、そのまま戦いに疲弊したエターナルズたちにも投影されている。

「ザ・ライダー」のブレイディや「ノマドランド」のファーンは、「そうとしか生きられない人たち」であった。ブレイディはロデオとしての道を絶たれても諦めきれず、ファーンは根なし草として放浪する人生しか選べない。ある意味、戦いの神として生まれたエターナルズも同じだ。これは運命の話である。

だからマーベルスタジオがクロエ・ジャオにこの物語を託したのも納得なのだ。アクションの演出は可もなく不可もなしの印象。中盤、アマゾンの森林での戦闘は画面が暗く、あまりテンションの上がるものではなかったが、クライマックスは見応えがあった。ほぼ「マン・オブ・スティール」だが。

「ほんとうのピノッキオ」感想

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ほんとうのピノッキオ、観た。童話のキャラクターを実写にした違和感やグロテスクさを、そのまま美しく撮ろうとするセンス!美醜のスキマにいるピノッキオのデザインが良い。その佇まいは善悪の判別がつかず、ときにピュアな心で優しく人に接し、ときに欲に走って失敗する愚かな彼の揺らぎそのものだ。

「美しくもグロテスクなダークホラー」というだけなら特に新鮮さはない。ギレルモ・デル・トロ監督作品を筆頭に、すでにすばらしい作品もたくさんある。しかし、それでもこの映画のキャラクターデザインや美術のセンスは輝いている。ギリギリで既視感を回避する、独特の美点がある。

特にこだわりを感じるのは、各キャラクターのテクスチャだ。昔だったらCGで処理しそうなところを、特殊メイクで俳優の地肌から作り上げているので、非常に生っぽい質感がうまれている。ピノッキオの木彫りの手触りには感動した。キツネやネコは人間風なのにサルはサルなのも面白い笑 メリハリがある。

このビジュアルで攻めるならば、よりダークで残酷な物語にすることも可能だったはずだ。ここは評価が難しいところで、童話を捻くれた解釈で捉えなす試みはすでにたくさんあったので、そのままやると二番煎じしかならない(むしろ周回遅れ感すらある)。しかし、本作の解釈にぬるさを感じるのも事実だ。

ディズニー映画的な朗らかさも残しつつ、かつ、必ずしも共感を呼ばないピノッキオのキャラ造形や大人たちのエゴに、ダークな味わいを残す、露悪に走りすぎないバランス感覚はこの作品の美点かもしれないが、どっちつかずの印象を受けるのも事実だ。ビジュアルの面白さにストーリーが追いついていない。

「いちどは行きたい女風呂」感想

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いちどは行きたい女風呂、観た。一か八か賭けで手をつけたが、案の定ハマらず。ナンセンスな笑いの邦画はまあまあキツい。1970年当時は「太陽に愛されよう」でおなじみの小麦肌ブームだったせいか、風呂場の女性がみんな日焼けしている。ボーリング場でドラッグをキメるアングラな世界観は興味深い。

日活末期の作品って捉えればいいのでしょうか。このあとくる「日活ロマンポルノ」のアヴァンギャルドな味わいに比べると、ずいぶん薄味である。特に詐欺師の檻から犬を脱走させて、銭湯に突っ込む一連の流れなんて、どこで何が起こってるのかもまともにわからない撮影で見るに堪えない…笑

と思って撮影監督調べたら姫田真佐久じゃん。クライマックスなんていつまで前野霜一郎が風呂で転げ回るの撮ってるんだよって思ったけど。ところで、この人が児玉誉士夫の家にセスナで突っ込んで自爆テロしたことはついさっき知りました。いろんな意味でメチャクチャな時代だなと思う。

「いちどは行きたい女風呂」なんてタイトルの映画を観ておいてこんなケチつけるのは不毛かもしれないが、「覗き」ってもはやギャグにならないよなあと思う。「オカマ」もね。もはや「ティファニーで朝食を」のユニオシを見たときの感覚。こういうハレンチ路線は実写ではほぼ絶滅した気がする。

「MONOS 猿と呼ばれ者たち」感想

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MONOS 猿と呼ばれし者たち、観た。人質を預かるゲリラ軍の少年兵たちの聖域が徐々に崩壊していく…。少年少女のイノセンスとエネルギーが逃げ道のない暴力に迷い込んでいく過程は、W・ゴールディング「蠅の王」を思い出す(豚の頭出てくるし)。誰が主人公かわからなかったが、ラストカットで納得。

朝靄に包まれた高原で少年少女がブラインドサッカーに興じるオープニングシークエンス。場所も時代も明かされない。彼らの言動を追ううちに、どうやらゲリラの支配下にある少年兵だとわかる。正直、話の輪郭がわかるまでは退屈だったのだが、「牛の管理」で揉めるあたりから俄然面白くなってくる。

去年末に同じイメージフォーラムで公開されて話題を呼んだブラジル映画「バクラウ」を連想した。テーマや話し運びに重なる部分が多い。しかし「MONOS」は、人間のよりプリミティヴで野生的な部分を描いている。理性や文明のメッキが剥がされたとき、人はどこへ向かうのだろう。

しかし、さすがにそれは危なくない?ってシーンが多数あってびっくりした。流れの早い川に飛び込んだり、ほぼ半裸で虫だらけの草むらを歩いたり。そういう「見せ方」なんだろうけど、終始泥まみれだし、過酷な撮影であったことに間違いはないだろう。相当見応えありますよ。どう撮ってるんだろう。