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さいきん見た映画の感想を書いています。ネタバレありなので未見の方は注意してください。

「カランコエの花」感想:ひとは間違いを犯す生き物だから

こんにちは。じゅぺです。

今回は「カランコエの花」について。

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カランコエの花」は「この教室にLGBTがいる」というひとりの生徒の発言が巻き起こす一週間の事件を描いた短編映画です。劇伴もなく、エモーショナルな目線を極力省いたシンプルな作りになっています。

この映画は、保健の先生が黒板に「LGBT」の4文字を書いたことから始まります。先生の言葉にある小さな違和感を逃さなかった生徒は、「この教室にはLGBTがいるに違いない」と魔女狩りをするようになります。LGBTへの侮蔑と好奇心から始まった彼の「からかい」は、やがてたくさんの人を傷つける悲劇的な結末を迎えるのです。

しかし、この映画では明確な「悪役」はいないんじゃないかと思います。たしかに、魔女狩りをした生徒たちの言動は軽薄で、とうてい許されるものではありません。「LGBTは誰だ?」と言い始めた男の子の目には、攻撃対象を求める邪悪さを感じました。結果的に教室に差別を持ち込んでしまった保健の先生も、大人として考えが足りなかったと言わざるを得ません。純粋な恋心に「いけないこと」の烙印を押されて苦しまなければならなかったさくらちゃんをその呪縛から解き放ってあげる機会はたくさんあったのに、残念ながらまわりの人びとはことごとく「不正解」の道を選んでしまいました。でも、たとえ「正解」の選択肢がわからなかったとして、わからなかった彼らが「不正解」な人間だとは、どうしても思えないんですよね。行いが正しくなかったからと言って、その人自体が正しくないわけでもないし、存在を否定されるべき悪なのでもありません。ただ、「不正解」を選んでしまったというだけ。人は間違いを犯す生き物です。何かに失敗してしまったとしても、どこかでやり直すチャンスがあるべきではないでしょうか。

最初に述べたように、本作はあえてエモーショナルな描写を避け、冷静なスタンスを保ち続けています。ただ人間の過ちをカメラに写している。「不正解」も責めません。彼らを「赦す」べきなのかとか、何をするのが「正解」だったのか考えるのは、すべて見る人に委ねられているのです。しかし、エンドクレジットにある仕掛けはそんな「外部」の視座から一気に当事者の「内面」に迫るものになっています。淡々と、そして、残酷に、ひとりの恋する少女が人知れず好奇の目線を感じ、蔑ろにされ、一生の心の傷を負ってしまったという事実が突きつけられます。さくらの失望と苦しみを想うとやるせない気持ちにさせられます。

でも、このお話は絶望だけじゃないと思うんです。見終わった後、人間はやり直せるというたしかな感触が手に残るんですよ。それはタイトルの「カランコエの花」と関わりがあります。

主人公的ポジションの女の子のひとり、月乃はお母さんの買ってきた赤いカランコエの花のシュシュを着けています。カランコエ花言葉は「あなたを守る」。月乃は親友のさくらが自分に恋心を抱く同性愛者だと気づいたとき、なにも手を差し伸べてあげられませんでした。苦しんでいるのはわかっていたのに、かけるべき言葉が見つからなかったんですね。

しかし、次の日、月乃は彼女をかばうつもりで「さくらはLGBTなんかじゃないよ」と言ってしまいます。それが彼女のすべてを否定してしまう言葉だとも知らずに。良かれと思ったことが、親友の心をズタズタに引き裂いてしまったのです。走り去るさくらを見て呆然と立ち尽くす月乃。このとき、まだ彼女はさくらの本当の心のうちをわかっていなかったんじゃないかと思います。

その次の日の朝、学校に行く支度をしながら鏡台に向かう月乃は、カランコエのシュシュをなかなか着けられずにいました。「あなたを守る」という意味を持つこのカランコエのシュシュを着ける資格は自分にあるのか、そして、その覚悟を持つことはできるのか。逡巡した末に月乃は「着ける」選択をします。まだやり直せると信じていたんですよね。しかし、教室にはもうさくらがいませんでした。ここで初めて月乃は彼女を失ってしまったという実感に襲われたのでしょう。カランコエのシュシュを外してしまうのです。「あなたを守る」なんて言葉を背負うだけの自信がなくなってしまったのでしょう。非常に重い意味を持つシーンだと思います。

しかし、最初に言ったように、僕は彼女たちはやり直せると信じています。だって、月乃は「カランコエの花」のシュシュを着けるという選択を自らしたからです。「あなたを守る」という決心は、きっと本心だったはずです。この選択は、作中唯一の「正解」だと思います。彼女はさくらとやり直すという正しい道を選べたんです。だから、きっといつか彼女にはもう一度「カランコエの花」を着ける日が来るんだと思います。そして、さくらのいない教室に残されたクラスメート全員に、「正解」を選び直す未来があるんじゃないでしょうか。すくなくとも僕はその可能性を信じたいし、この映画を見た一人でも多くの人が「カランコエの花」を心の中に持ち続けることができたらいいなと思います。