映画狂凡人(映画感想ツイート倉庫)

さいきん見た映画の感想を書いています。ネタバレありなので未見の方は注意してください。

「若おかみは小学生!」感想:誰かのために頑張れるということ

こんにちは。じゅぺです。

今回は僕的に2018年ベストに入れたい一本「若おかみは小学生!」について。

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若おかみは小学生!」は青い鳥文庫の人気シリーズの劇場アニメ映画化作品です。ちょうど小学生の頃にこのシリーズにふれた方もたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。映画公開に先立ち、テレビシリーズも放送されていたのですが、こちらも好評だったようです。

そして満を持しての登場となった本作。大変すばらしい内容で、今年見た作品の中でも5本の指に入る大傑作だったと思います。原作小説のカバーイラストをリスペクトした可愛らしい絵柄や、あまり内容のなさそうなタイトルのおかげで客入りはよろしくないようですが、ほんとにもったいない!映画ファンの間でも大絶賛の嵐で第二の「カメラを止めるな!」ではないかとの声も聞こえるほどです。もともと関係者試写の段階でかなりの高評価で、公開前から得体の知れない「ダークホース」として存在感を示していたものの、ここまですごい作品だとは思っていませんでした。以下、ネタバレありですばらしかったポイントを挙げていこうと思います。

若おかみは小学生!」は、交通事故で両親を亡くした小学6年生のおっこ(関織子)が、母方のお祖母ちゃんに引き取られ、個性豊かなユーレイたちの助けを得ながら「春の屋」の若女将として奮闘するというお話です。

この映画の魅力を語る上でまず最初に触れるべきは「おっこがかわいい」ことでしょうね。交通事故のあと「春の屋」に引き取られたおっこは、両親の死後にもかかわらず健気に若女将の仕事に打ち込みます。明るく元気に頑張る姿がとっても可愛らしい。きっとおっこと同じ小学生の観客も着物姿の彼女を見て「私も/僕もおっこみたいになりたい」と憧れたのではないでしょうか。この映画自体、子どもたちの大好きな「おままごと」「ごっこ遊び」的要素も含んでいて、とてもワクワクさせられます。

はじめは慣れないことだらけで蜘蛛やヤモリにすら拒絶反応を見せていた彼女は、祖母ちゃんの愛の鞭を受けながら、毎日ひとつずつ「できない」を「できる」にしていきます。いつも頑張り通しで甘える姿はあまり見せてくれませんが、おっちょこちょいで失敗ばかりだったり、同い年の男の子のお客さんや真月とついついケンカして、しかも謝罪の言葉が出なかったりするのは、いかにも小学六年生の子どもという感じで、安心できますね。いちばん大変なのは彼女自身なのに、みんなの心配の声を糧に、一日でもはやくこの環境に慣れて素敵な「春の屋の若女将」になろうとしている。そして、「春の屋」で働くうちに、人を笑顔にすることの喜びを知っていくのです。なんてまっすぐで健気な子なのでしょう。ただひたすらその心の美しさに感動してしまいました。

そんなおっこの頑張りを賑やかに見守るのが、「春の屋」に昔から住むユーレイや鬼たちです。おっこのおばあちゃんの初恋の相手・ウリ坊、真月が生まれる前に死んでしまった秋野家の長女・美陽、おっこの母が娘のお守りとして遺した(エンディングのストーリーボードで示唆されています)鬼の子ども・鈴鬼。みんな個性豊かで、ちょっぴりクセがあるけど、おっこをまるで我が子のように心配して、いつも見守っているのです。彼らとおっこのやり取りは、ファミリー映画らしく生き生きと、そして賑やかに描かれ、和やかな気持ちになります。特におっこがユーレイたちをこき使ってお掃除の手伝いをさせているのが面白かったですね。なんだかんだしっかり者のおっこの人となりも伝わってきます。

ところで、僕にはウリ坊と美陽のふたりが、おっこの両親に見えてなりませんでした。彼らは「向こうへ行ってしまった」側の人びとであり、大切な人のすぐそばにいながらも、その声を届けることができない人たちです。だからこそ、おっこを見守るふたりのが、まるで娘の成長を見届けることなく死んでしまった彼女のお父さんとお母さんの代わりにそばにいてあげているように思えるのです。そして、優しくて心配性なウリ坊と美陽がいてくれたおかげでおっこもあまり寂しい思いをせず、大人に甘えなくても自分の足で立っていられるだけの元気を保てたのではないか。そう考えずにはいられないのです。

そんなウリ坊と美陽の存在が不確かになってくる中盤以降、これまで見え隠れしながらも前面に出てくることのなかった「肉親の死と向き合うこと」というヘビーなテーマが、本格的に浮かび上がってきます。まず、その伏線として準備されているのが、冒頭のおっこが交通事故に遭う場面です。この場面では。無機質で不穏な雰囲気の漂う高速道路のショットに、太鼓のリズムがまるで心臓の音のようなテンポで挟み込まれ、死の予感と恐怖を煽ります。しかしおっこたちは幸せそうにおしゃべりしている。このギャップが気持ち悪くて、トラックに潰されるところは直接的に描いていないのに、結構こわい場面になっています。この強烈な事故のイメージは、この後、おっこが高速道路でPTSDのようなフラッシュバックに苦しむ場面で効いてくるし、さらに、物語全体の円環構造の重要な骨組みになっています。

はじめは、いくら明るい性格の女の子とはいえ、小学六年生の子どもがどうしてこんなに元気なんだろう、悲しむ姿は見せないんだろうかと疑問に思っていました。のちほどわかることなのですが、彼女は両親の死を現実として受け止められていない、信じきれていないんですね。信じたくないという気持ちもあるかもしれません。おっこは旅館のお仕事のことだけを考え、悲しい気持ちに蓋をして、今後の不安や絶望をかき消そうとしているのです。そして、彼女は「夢」にも逃避し始めます。夢の中でお父さんとお母さんに出会って「そっか、本当は生きてたんだね」と喜ぶおっこの無邪気さが切ない。この幻のお父さんとお母さんは「イマジナリーフレンド」として捉えてもいいかもしれません。昼間は旅館のお仕事に集中し、寝ている間は幻に癒やされる。可愛らしい絵柄に粉飾されていますが、おっこの陥っている状況ってかなり残酷だし恐ろしいですよね。

しかし、このように深い闇を抱えていたおっこも、若女将としてのお仕事に打ち込むうちに、心の傷を癒し、自分の進むべき道を見出していきます。

さきほど触れたようにウリ坊や美陽、鈴鬼といった愉快な仲間たちは、慣れない環境で踏ん張るおっこの大切な支えになりました。そして、「春の屋」にやってくるちょっと変わったお客様たちも、彼女に大きな影響を与えます。おっこは、若女将としてのお仕事を通じ、「お客様に喜んでもらうこと」に無上の幸せを感じることに気付いていきます。象徴的なのは、いちばん最初のお客様である神田親子のあかね君が、おっこの熱血っぷりに触発されて笑顔を取り戻したくだりでしょう。彼女の若女将としてのスイッチはここで入ることになります。どうすればお客様に喜んでもらえるかをひたすら考え、こだわり出したら身体が勝手に動いてしまうぐらい、内側から湧き出る衝動で若女将の仕事に入れ込んでいく。そんな彼女のプロフェッショナル人生を方向づける重要なきっかけが、神田親子との出会いだったのですね。

「春の屋」にやって来るお客様はひと癖もふた癖もあって、あかね君も、グローリーさんも、木瀬さんも、それぞれに「喪失の痛み」を抱えています(木瀬さんの場合は特殊で、ここに「加害者としての罪の意識」が加わります)。大切な人がとつぜん死んでしまったり、相性抜群だったはずの恋人に捨てられてしまったり、自分のおかした間違いで人の命を奪ってしまったり。心に深い傷を負ったお客様たちを、おっこは持ち前の元気と明るさで精いっぱいおもてなしし、「受け入れて癒してくれる」のです。そうして彼らは笑顔で「春の屋」を後にすることになります。劇場版パンフレットによると、高坂希太郎はあかね君を「現在のおっこ」、グローリー・水嶺さんを「未来のおっこ」、木瀬家の翔太君を「過去のおっこ」として物語に組み込んだそうです。「他人を喜ばせたい」と一心に願うおっこは、お客様を笑顔にさせていたつもりが、知らず知らずのうちに「現在」「未来」「過去」の自分の背中を押し、励ますことになっていたのですね。

さらにおっこの「再生」を考える上で重要なキーマンとなるのが、おっこのお祖母ちゃんです。彼女は「花の湯」、そして「春の屋」そのもの。「誰も拒まず、すべてを受け入れる」という「花の湯」の哲学を体現したかのような生き様です。日常の一挙手一投足におもてなしの精神が染みついていて、彼女がこれまで歩んできたプロフェッショナル人生の密度を想像させます。お祖母ちゃんは「春の屋」の女将としての仕事を通じて自らのアイデンティティを構築してきた人間です。こうした彼女の生き方は、おっこが「春の屋」でのお仕事やお客様との出会いの中で、自らの心の傷と向き合い、やがて人生の希望を見出していくその過程と重なります。お祖母ちゃんはおっこの理想の姿と言えるでしょう。

また、おっこはお客様との「出会い」と「別れ」を繰り返すことで、次第に両親との「別れ」にも折り合いをつけていくことになります。つまり、どれだけたくさんの「別れ」があったとしても、その次には必ずまた新しい「出会い」があるということ。大切な人と離れ離れになってしまうのは悲しいことだけど、悪いことばかりじゃない。次のステージへと一歩踏み出すきっかけになってくれることだってあります。おっこは、すべてを受け入れ癒してくれる「花の湯」こそが温かい自分の居場所なのだという確信によってが出会いと別れを肯定できるようになっていきます。物語のラスト、冒頭と同じ舞台でお神楽を舞うおっこは、きっとこの土地で、これからもずっと大切な仲間やお客様たちと幸せな人生を送ることでしょう。ウリ坊の最後のプレゼントである花吹雪が舞う中、おっこは永遠にこの時間が続くことを願いながら、キラキラした目で未来を見つめています。また「次」があることを知っているからです。

たとえ両親を亡くし悲しみを抑え込んでいたとしても、自分を前面に出して目立とうとしたりせず、自然と無私の心でおもてなしに徹する彼女の性格には、お祖母ちゃんのDNAを感じます。そしてなによりも、人は環境によって形作られていくのだという本作の中心的なテーマが、おっこの成長によって強く印象づけられます。おっこは「花の湯温泉のお湯は誰も拒まない。すべてを受け入れて癒してくれる。」というこの土地に伝わる哲学を、血肉化していくのです。この土地のご先祖様たちが伝え、お祖母ちゃんが人生をかけて身体で覚え、大好きなお父さんとお母さんが最期に遺してくれた大切な言葉。これを自分の生きる道とすることによって、おっこは悲しみを乗り越え、明るい未来に向かって走り出すことができるのです。

 

<追記>

この感想を入れる順番が分からず、ここに書くことになってしまったのですが、おっこのクラスメートで秋好旅館の一人娘・真月も非常にいいキャラをしていましたね。最初はプライドが高くてとっつきにくい憎まれ役かと思っていましたが、むしろ彼女は誰よりも「花の湯」のことを考え、人一倍努力している人なんですね。だからこそ、中途半端は許せないし、都会からいきなりやってきたおっこに警戒心を抱いているのです。当然、おっこの本気度を知る中で、彼女への認識は改めていく。おっことは対照的な性格にも見えますが、「お客様を喜ばせたい」という想いは同じです。真月もまた熱血プロフェッショナルのひとりであり、非常に尊敬できる人物です。おっこのピンチにさらっと手を差し伸べる頼もしく優しい一面もあり、大好きなキャラクターです。