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「寝ても覚めても」感想:朝子の秘密がもたらす緊張感

こんにちは。じゅぺです。

今回は「寝ても覚めても」について。

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寝ても覚めても」は、濱口竜介監督の商業映画デビュー作です。先日レビューした彼の出世作「ハッピーアワー」がとんでもない傑作だったので、相当期待して見に行きましたが、上がりまくっていたハードルを優に超えてくる作品でした。

振り返ってみると、とても不思議な作品だった気がします。かつて激しい恋に落ちたあの人と瓜二つの男と出会ってしまったら…。ミステリアスな魅力で心に取り憑いて離れない元恋人・麦と、実直で優しさに溢れる理想的な夫・良平。なんとも荒唐無稽な設定なのですが、濱口監督はまるでドキュメンタリーのように、淡々と目の前で起こる出来事をカメラに捉えます。この矛盾するような感触がなんとも面白く、そして気持ち悪い。

終盤、麦と再会した朝子は「これまで良平と過ごしてきた日々が現実だと思っていたけど、違った。今やっと夢から覚めて、これからが現実なんだ」と語りますが、その言葉の通り、僕はいまスクリーンに映し出されていることが夢なのか現実なのかわからなくなりました。しかし、朝子にとっては、麦になされるがままだったあの恋の激しさも、良平の優しさに包まれた幸せなまどろみも、すべて現実なのです。どこまでも自分が欲しいものに忠実な朝子は、ある意味で純粋さを極めていて、もはや狂気すら感じます。しかし、一見支離滅裂でも、朝子は朝子というひとりの人間なのです。一途に朝子のことを想い続ける麦と良平の二人と、なんども「本当に愛している人」が入れ替わる朝子の対比は、そのまま男と女の価値観の違いにも重なります。すくなくとも僕は、朝子に「女性」の得体のしれなさを感じました。これだと偏った見方かもしれませんが、もっと一般化して言えば、「他者」の気持ち悪さなのかもしれません。どれだけ深く愛し合っていても、突然拒絶されてしまう。極論すれば、どんな愛も一方通行で、ひとは本質的に孤独な存在なのでしょう。

裏切りの末に再会した良平と朝子が川を見つめるラストカットは、すさまじい破壊力でした。良平はもはや朝子を信じることができません。朝子も自分の過ちを謝るつもりもありません。二人はずっとわだかまりを抱えて生きていくことになるのでしょう。それでも、これから一緒に人生を歩んでいくならこの人だと、お互い選びあったのです。ベランダの先には川が流れています。ついさっき降った雨で水が茶色く濁っているのを見て、二人は正反対のことを言います。良平は「汚い」と吐き捨て、朝子はそれに対して「きれい」と返します。きっと二人の愛は、この川のように美しさも卑しさも飲み込んで、時に淀んだり、荒れたりしながらも、ずーっと流れ続けるのでしょう。川を見つめたまま永遠に交わらない朝子と良平の目線が、これからの二人の夫婦生活のあり方を暗示しています。それと同時に、宙ぶらりんのままフェードアウトしていくオープンなエンディングに、彼女たちにはまだこれからさまざまな出来事があり、可能性があるのだという、微かな希望すら感じさせるのです。

朝子の秘密が時限爆弾のように効いている映画で、いつ爆発するんだろうかという緊張感が、平凡で幸せなはずの日常生活の場面すらどこか危うくて狂気を感じさせる作りになっていました。濱口監督の演出もあって、愛の話なはずなのにとってもサスペンスフルです。しかし「ハッピーアワー」の贅沢な5時間を想うと、「寝ても覚めても」はなんとなく窮屈な気がしなくもありません。そうは言っても、ことし見た邦画ではトップ3に入る傑作でした。