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さいきん見た映画の感想を書いています。ネタバレありなので未見の方は注意してください。

「クレイジー・リッチ!」感想:綺麗ごとだけでは終わらない「結婚」と「多文化共生」

こんにちは。じゅぺです。

今回は「クレイジー・リッチ!」について。

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クレイジー・リッチ!」は、苦労して大学教授にまで上り詰めた主人公・レイチェルが、シンガポール1の大富豪の息子・ニックの恋人として彼の実家にあいさつに行き、なにかと敵意むき出しの姑(予定)と女のバトルを繰り広げるロマンティック・コメディです。文化も価値観も階級も違うニックとの関係を続けるため、そして「本当のしあわせ」をつかむため、優れた機転と知性で難局を切り抜けようとするレイチェルの奮闘が見どころの作品です。

いまどきのハリウッド作品にしてはおどろくほどオーソドックスなあらすじで、90年代の香りすら漂う内容ですが、斬新なのは「全員アジア人」で作られた映画だということです。原作者はもちろんアジア系、プロデューサーもアジア系、出演者もアジア系、裏方のスタッフもアジア系。オールアジア系で作られた純正アメリカ産アジア映画が、ハリウッドで大ヒットを記録したのです。これまでハリウッド映画のアジア人といえば「ティファニーで朝食を」のユニオシみたいに差別や偏見にまみれた造形で描かれることが非常に多かった。しかし、本作はアジア系で製作陣を固め、そうしたこれまでのイメージを打破しようとしたのです。もちろん映画的なステレオタイプ中華文化圏のカリカチュアは一部からも批判されていますが、まずはこのような映画が作られ、そしてヒットしたことに意義があるといえます。アジア版「ブラック・パンサー」とも評されており、トランプ政権誕生後「分断」に揺れるアメリカ社会において、このようなムーブメントは感銘をもって受け止められているようです。

というわけで作品の背景は非常に斬新であるものの、その中身自体に新しさを期待してしまうと、少々拍子抜けかもしれません。嫁(予定)と姑(予定)のバトルは古今東西変わらないあと思います。姑役のエレノアを演じるのはミシェル・ヨー。顔面力というべきか、とにかくオーラと圧に迫力があり、常人だったら詰められた段階でひれ伏します。ブチギレて飛び蹴りかまさなかっただけマシです。ある意味彼女の圧倒的な存在感があってこそ、この映画の面白さは成り立っているとすら言えるでしょう。ヤング家に嫁たる者、家族を第一に考えずしてどうする!という信念のブレなさ。とんでもなく芯が強く、首尾一貫していて、頑固。この人にOKをもらわないかぎりニックとは別れるハメになるというのに。エレノアは道を塞ぐ岩石のようにレイチェルの前に立ちはだかります。

一方のレイチェルも負けず劣らず頑固ですね。彼女は彼女なりに自分の人生に誇りと自信を持っている。母子家庭で女手一つで育てられ、努力でここまで這い上がってきた。名家出身のニックとは対照的に、泥臭く一から積み上げて「アメリカン・ドリーム」を掴んだ女なのです。エレノアとは正反対ですね。もちろんヤング家とぶつかることになり、「自分のキャリア」と「ニックとの結婚」のどちらかを選ぶように迫られます。しかし、彼女は二つを天秤にかけるようなことはしたくないし、これまで難局を突破してきた成功体験から「がんばればどちらも手に入れられる」と考えます。レイチェルもまたエレノアのように頑固で芯が強く、諦めの悪い人なんですよね。ひとつ感心したのが、いくらヤング家の人びとから意地悪や嫌がらせをされたとしても「古くさい」考え方を頭ごなしに否定しないあたりが現代的だなということです。どこまでも平行線の意地の張り合いでも、守るべきラインは守る、他者へのリスペクトは忘れないというレイチェルの姿勢が、彼女の魅力だと思います。最終的には自らの知性を武器にガッツの強さでエレノアを降伏させるあたり、なるほどこの歳で大学教授にもなれるわと納得してしまいます。

とんでもなくパワフルな女のバトルですが、必ずしもエレノアが悪者にはなっていないバランス感覚も好きです。彼女には彼女の考えがあり、すべてヤング家にとっていいことだと思ってやっている。もちろんレイチェルも初めはエレノアの態度を単なるエゴとしか思わないわけですが、そのうち彼女にも「守るべきもの」があり、さらに過去に傷ついた経験や後悔があることもわかってきます。物語を俯瞰する私たち観客はだんだんとエレノアを応援する気持ちが強まってくるんですね。この気持ちは作中なんども裏切られることになるわけですが笑、それでもレイチェル、ニック、エレノアの全員にとってハッピーな結末にはならないのか、どうやったらこの複雑にもつれた糸を解くことができるのだろうかと、ヤキモキしながら見ることになります。徐々に、この映画は「レイチェルにとっての最適解」だけでなく「ニックにとっての最適解」「エレノアにとっての最適解」など、みんなの幸せにとってなにが正解なのかという多角的な視野が導入される仕掛けになっています。だからこそ話が進むたびに新たなスリルが訪れ、最後までワクワクしながら見ることができるのだと思います。またこの複雑な戦いを「結婚指輪」というシンプルなアイテムでまとめるのも粋ですね。うまい脚本です。

また、こうした多層的な展開の中で明らかになるのが、エレノアはレイチェルの「IF」の姿であり、逆にレイチェルはエレノアにとって「過去の自分」なのだということ。さらに(ここまで触れなかったキャラですが)アストリッドはレイチェルのもう一人の「IF」として配置されていることにした気づきます。「結婚」は、自分一人のしあわせを追い求めてもうまくいくものではありません。結婚相手、さらにはお互いの家族や友人のことも考え、しがらみを乗り越えていかなければならないのです。

さらには結婚話をきっかけとして、同じ中華系の血を引きながら、かたやシンガポールで財を成した大富豪、かたや暴力から流れてアメリカにやってきた移民という異なるアイデンティティの衝突も描かれています。特に中華文化圏にいけば「アメリカ人」と言われ、アメリカにいれば「中華系」と言われてしまう、移民たちの宙ぶらりんになったアイデンティティにもさらっと踏み込んでいて、非常にアメリカらしい世相を反映した内容になっていると感じます。

やはり全体としては古典的なロマンティック・コメディの域を出てはいませんが、アメリカに生きるアジア人の目線を通して綺麗ごとだけでは終わらない「結婚」と「多文化共生」を描いたことに新鮮さがありました。そしてアジア系の勢いの強さ、景気の良さがこれでもかと描かれていて、まるで「これからは私たちの時代だ」と宣言しているかのようです。残念ながらこの「私たち」に日本人は入っていないのですが。映画は面白かったけど、なんとなくこのバブリーな空気がまぶしく、そして寂しく感じられ、ちょっぴりしょんぼりしながら映画館を後にしました笑

日本人はバブルの時にこういう映画作ろうってならなかったんですかね。もしそんなの作っていたとしても、今見たら虚しい上に恥ずかしくて完全に黒歴史化されていたとは思いますが。