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「響 -HIBIKI-」感想:自分の「限界」を知ること

こんにちは。じゅぺです。

今回は「響 -HIBIKI-」について。

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「響 -HIBIKI-」は、これが映画初出演となる欅坂46のセンター・平手友梨奈を主演に迎え、人気漫画「響 小説家になる方法」を実写化した作品です。監督は「君の膵臓をたべたい」「センセイ君主」の月川翔。ここのところひたすら浜辺美波を撮り続けていましたが、こんどの主演は平手友梨奈。月川監督のファンとしては、否が応でも期待値が高まります。じっさい、とても素晴らしい映画でしたよ!

「響 -HIBIKI-」は、出版不況が叫ばれる文学界を舞台に、むき出しの才能を無自覚に振り回してしまう響と、そんな彼女の力に揺れ動く周囲の人々を描きます。

主人公の響という人物は非常に変わった人間です。彼女は小説家として圧倒的な才能をもっています。「誰かに読んでほしかったら」という理由で、特に募集要項のルールも守らず応募した作品がコンクールで圧倒的な評価を得、やがて芥川賞直木賞の同時ノミネートというとんでもない偉業を成し遂げます。たった15歳で。しかも、本人はそのことにいたって無頓着であり、どんなことを周りに言われようとも意に介さないんですね。常にゴーイングマイウェイ。あとで詳しく触れますが、とんでもない図太さです。平手友梨奈の「天才」というパブリックイメージとオーバーラップするキャラ設定になっていますね。

しかし。じつは本作の主眼はその響自身ではなく、彼女の力にねじ伏せられていく周りの人間の動揺や焦りなんですよね。彼女の周りには、偉大な小説家・祖父江秋人(あきらかに村上春樹イメージ)を父に持ち、自らも「七光り」の偏見やプレッシャーに耐えながら小説家デビューを目指す凛夏、自分を追い込みながら小説家としての一発逆転を狙う田中や山本、そして響を引き当てた編集者の花井など、小説に人生をかけて努力してきた人びとが登場します。みんな小説に真摯に向き合い、妥協することもなく、いつか輝く日を夢に見てきた人ばかりです。しかし、彼らの前に響が立ちはだかります。どうがいてもたどり着けない領域にいる天才と出会ってしまい、身の程を知らされる悔しさ。本人がいたって冷静で無欲なのも余計に傷つきます。喉から手が出るほど欲しかったものをもっているのに、彼女は「別になくても困らない」みたいな顔をするんですよ。焦りますよね、ムカッときますよね、なんで自分じゃないんだよって思いますよね。凡人の一人として共感せざるを得ない感情です。おそらくキャラクターの好き/嫌いはともかくとして、自分の身に引き寄せて実感しやすいのは、凛夏たち「凡人(といいっても彼らも才能あるんですけどね。響のせいでかすむだけで)」の気持ちじゃないでしょうか。

特に凛夏の苦しみには思わず胸をギュッと締め付けられてしまいました。偉大な小説家を父に持ち、日常的に出版社の編集者と付き合う機会があり、大好きな本に囲まれてすくすくと育ってきた凛夏。これ以上ない恵まれた環境です。じっさい、彼女も自分の人生に大いに満足していたことでしょう、響が現れるまでは。たぶん、彼女は響と出会って見る景色がガラッと変わってしまったと思うんですよね。凛夏と響の対立は、「いい本」の棚に置く本の論争で十分に示されていますが、おそらくこれまでのすべてを響に否定されたような気になったはずです。プライドは粉々にへし折られ、自分が「井の中の蛙」であることを突きつけられ、どうあがいても一番に離れないんだと悟る。これだけ辛いことはないですよ。あの大きくパッチリした目が歪んだ瞬間、ああ、なんて彼女は不幸なんだろうと思いました。響さえいなければ、凛夏は挫折を知ることなく、純粋な世界を信じられたでしょうから。

でも、響に出会わないままでよかったのかというと、そうでもないんですよね。彼女は、自分の限界を一度知ることで、自分が本当は何をしたいのか改めて見つめ直す機会に恵まれた。それは、単に社会に認められ、ちやほやされたいという自己満足の世界ではなく、もっと身近な人、たとえば響やお父さんに褒められること、そして自分が面白いと思える本を書くこと。なにより、こんどは「前の自分を超える」という目標ができたのです。これは響がクライマックスで吐き捨てるセリフにも重なります。「喜劇王チャールズ・チャップリンが記者に「あなたの自己最高傑作は?」と聞かれ、「ネクスト・ワン(次回作)だ」と答えたというエピソードは有名ですが、凛夏も、響やチャップリンと同じ領域に足を踏み入れたと言えるのではないでしょうか。表現者として、いや、自己実現を目指すひとりの人間として、さらなる高みを目指し続ける決意を、彼女は胸に刻んだはずです。この凛夏の成長が、僕としてはいちばんの感動ポイントでした。

ちなみに、この話をもっと「高校生に寄せて考えてみても面白いでしょう。凛夏の悩みは、思春期に陥りがちな自我のゆらぎでもあります。すなわち、親の影響下から徐々に離れて自分を確立したいこの年代に、他者の目線ってものすごく痛いんですよね。一種の自意識過剰状態。周りに認められたい、自分はすごいんだぞ、他人と違うんだぞと証明したい。そうなると今度は「隣の芝は青い」といいますか、みんなからちやほやされている人と自分を比較して、自分のできの悪さに悲観し、傷ついてします。これってほとんど不毛なことで、やはりここから抜け出すには、自分の中で確固たる軸を築いて、自己肯定感を育んでいくしかない。その中の一つの答えが「前の自分を超える」ことなのだと思います。凛夏の成長は、青臭くうじうじ悩む期間を乗り越える、高校生一般の物語としても読めるのではないでしょうか。

ここまで凛夏の話しかしてませんが、そうは言っても、この映画の軸である響はとても魅力的に描かれています。出る杭は打たれるのが日本社会です。悪意ある他者とぶつかることもあります。でも、響はブレません。どれだけ他者との摩擦が起ころうとも、その荒々しさや鋭さが削り取られてしまうことはありません。眩すぎる。羨ましい。常にゴーイングマイウェイ。誰もがやりたくてもやれないこと、言いたくても言えないことを彼女が躊躇なくやってくれます。だからこそ、観客も、彼女に振り回される登場人物たちも、ときに嫉妬の心をむき出しにしながらも、惹かれてしまうのでしょう。

また、彼女はただ傍若無人なわけではありません。ムカつく相手の指はへし折る、殴る。そして大切な友だちを傷つけるやつは目一杯助走をつけて蹴り飛ばす。相手に度胸がないと見抜けば、自分の命を賭けてでも、筋を通すことを要求する。あまりの破天荒っぷりに笑ってしまいますが、響の本当の才能は、目の前にいる人の本質を見抜くことにあるのではないか、とも思います。結局、小説って人を描けていないと良い小説にはならないじゃないですか(もちろん文章力とか、ものの見方のユニークさとか、他にもいくらでもあるとは思いますが)。この映画では響の書く文章は一切でてきません。読んでる人がただ「すごい」と言ってるだけです。これは表現上の制約があるので仕方ない(そしてここで作品の賛否が別れてしまうのもわかります)のですが、僕は響の「人の本質を見抜く力」でわりとすんなり彼女の小説のすばらしさは納得してしまいました。だって15歳でこの芯の強さですからね。僕はこれでよかったと思っています。

最後に、キャストについて。脇を固める俳優陣にはアヤカ・ウィルソン北川景子柳楽優弥など芸達者で華やかなメンバーが揃っているにも関わらず、やはり圧倒的存在感を放っているのが平手友梨奈でした。小さい身体でボソボソ喋っているのに、場を支配してしまう。響のキャラクターと完全に融合して、周囲をかき乱す軸になっています。映画初主演とは思えない良さでしたねえ。これは彼女自身の努力もあるでしょうけど、おそらく月川翔監督の力ですよね。浜辺美波を美少女に撮らせたら右に出るものはいない月川監督ですが、演者、とくに女優の魅力を引き出すのが抜群にうまいですね。おそらくキャスティングや脚本の段階から、そういう頭の働かせ方をしているんだと思います。だから、平手友梨奈も響の役と一体化して、平手友梨奈と響の2つの顔をもったまま、すばらしい存在感を放つことができたのでしょう。それでいうと、アヤカ・ウィルソンも半端じゃなく良かったですね。あの可愛らしい顔つきと、「軽そう」と侮られ、傷つく凛夏と、絶妙に重なり合って、とっても切ない気持ちになりました。

今度は監督・月川翔、主演・浜辺美波アヤカ・ウィルソンの映画を見たいですね。そしたら僕がよろこびます。いずれにせよ、この3人のこれからの活躍により一層期待です。