映画狂凡人(映画感想ツイート倉庫)

さいきん見た映画の感想を書いています。ネタバレありなので未見の方は注意してください。

「横道世之介」感想:世之介が「写真」と出会った意味

こんにちは。じゅぺです。

今回は「横道世之介」について。

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横道世之介」は、大学進学を機に上京してきた世之介のせわしない1年間を描く青春映画です。いつものんきな世之介を高良健吾が演じています。この映画の主人公はもちろん横道世之介なのですが、スポットライトが当たるのはあくまで世之介と出会った人たちになっています。世之介自身はあっちへ行ったらこっちへ行ったり、横道に逸れてばかりでほとんど成長がない(正確には終盤になるまで描かれない)一方、彼と出会った人々は、彼ののんきで風変わりな人柄に影響を受けて、徐々に変化し、自分の進む道を選んでいきます。また、そうした他者の目線の変化から徐々に世之介という男が何者なのかが浮かび上がってくる仕組みになっています。ある種の群像劇的な作りになっているんですね。

大学生とは、良くも悪くも宙ぶらりんな時期です。大人になるのを先延ばしにするための、オマケのモラトリアムと言ってもいいでしょう。なにをしても自由な分、退屈やマンネリにも陥りがちなこの時期の倦怠感というものを上手く捉えているのではないかと思います。

この映画を見た人は世之介に惹かれざるを得ないだろうと思うんです。では、それなぜか。僕は彼が他人を否定しないところに、その魅力の秘密があるのではないかと思います。彼はいつもふわふわとなにを考えているかさっぱり伝わってこない不思議な人ですが、「いや」とか「でも」で他人の考えや生き方を拒絶したり、なんらかの価値基準でジャッジをしようとすることがないんですね。なにかわからないことがあったら「え、なんで?」「そうなんだ」と。大学で一番最初に仲良くなった親友の一平はできちゃった結婚、人違いから友情が始まった加藤はゲイであること、世之介とおつきあいすることになる祥子はお嬢さまであるがゆえのカルチャーギャップ。世之介の友人たちはそれぞれ世間の目とか、友人からどう見られているかということに、少なからず敏感になっています。たとえば、加藤は世之介にゲイであることをカミングアウトして「気まずかったら距離をとってもいいよ」と言ったりするわけです。でも、世之介は「え、なんで?」と返します。そんなことで俺たちの関係のなにが変わるんだ?と心底不思議そうにします。世之介は他人をジャッジするということを知らないんですね。彼は、目に映る景色を、耳に入る言葉を、悪意なくそのまま受け入れるのだと思います。ひとはそれを「のんき」というかもしれない。だけど、そんな世之介だからこそ、彼に救われる人もいるのだろうしみんな彼の魅力に惹かれ、一緒にいたくなるのでしょう。

また、世之介には独特のリズムがあります。サンバはちっとも上手くならないようだけど、彼のリズムは、彼と出会った人と不思議と共鳴してしまいます。もしかしたら世之介のリズムにこちらが勝手に合わせてしまうのかもしれません。時々ぎこちないし、明らかに友人たちとは生きる時間の早さも質も違うけど、ふとした瞬間に重なりあう、このハーモニーが心地よいのです。

横道世之介」は、彼の友人たちが思い出を回想する形で世之介の輪郭を描きこんでいく構成になっています。青春のアルバムをめくると、どのページにもさりげなくいるのが、世之介という男なのです。いつも一緒にいるわけでもなく、どちらかというと神出鬼没の類いなのに、なぜか彼との一緒にいた時間が鮮やかに思い出される。「ああ、そういえばあんなことあったな」の景色に必ず映り込んでいる、不思議な存在なのです。あの飄々とした愛らしい態度を思い出すだけで、クスッと笑ってしまう。彼の話をすれば、自然と場が平和になる。共有してきた時間は決して長くはないけど、いつまでも心のはしっこに温かい余韻みたいなものを残してくれるんですね。ちょっぴり村上春樹の「ノルウェイの森」にでてくる「突撃隊」を思い出しました。

先ほど世之介にはほとんど成長がないと言いましたが、映画の最後に転機が待っています。それは「写真」との出会いです。世界をあるがままに受容するのが世之介の生き方なのだとしたら、彼にとって「写真」との出会いは、人生がひっくり返るような経験だったに違いありません。放っておいたらどこかへ消え去ってしまう目の前の美しい景色を、なんとかフィルムに閉じ込めて、手元にとどめておく。横道に逸れてばかりでつかみどころのない世之介が、はじめて自分と自分の見ている世界に輪郭を与え、形をあるものを作っていく感覚が「写真」にはあったのだろうと思います。「写真」と出会ったときの彼の飛び上がるような喜びっぷりが忘れられません。世之介が現在では電車に轢かれて死んでしまっているということを考えると、彼の姿には切なさも感じます。が、しかし、そんな感情よりも強く残るのは、これから世之介が見る世界はいったいどれほど豊かで鮮やかなものなのだろうという、彼に対する愛おしい気持ちでした。非常に優しい余韻の残る映画です。大傑作でした。