映画狂凡人(映画感想ツイート倉庫)

さいきん見た映画の感想を書いています。ネタバレありなので未見の方は注意してください。

「ジョゼと虎と魚たち」感想:ラブホテルの布団の中で見る魚の夢

こんにちは。じゅぺです。

今回は「ジョゼと虎と魚たち」について。

f:id:StarSpangledMan:20181007170617j:image

ジョゼと虎と魚たち」は犬童一心監督の描く青春映画です。平凡な大学生・恒夫がひょんなことから足の不自由な女の子・ジョゼと出会い、やがて心惹かれあっていく様が瑞々しくスケッチされます。この映画の仕組み上の面白さは、恒夫とジョゼが「別れる」ことが一番最初に示されていることですね。前提として、恒夫がジョゼとの出会いから別れまで振り返る、つまり回想の形を取っていることが観客には分かっています。ジョゼがいかに魅力的に見えたとしても、彼女はすでに「過去の人」であるということが初めから印象付けられているわけです。したがって全体的に、過ぎ去った輝かしい日々を懐かしみ、心の傷を愛撫するような、感傷的な味わいがあります。

この映画で面白いのは「過去の恋人」に対する向き合い方の男女の違いです。一般的に男性は「名前をつけて保存」で女性は「上書き保存」なんて言われます。そして、たいてい男性は女性が抱えている不満に気づかず、とりかえしのつかない段階になってから「あのとき自分が変わればよかったんだ」と後悔したりします。恒夫とジョゼもこの法則に当てはまっているのではないかと思うのです。母親によって牢獄のように狭い家に閉じ込められていたジョゼは、恒夫と付き合う中で、外の世界にふれる喜びや驚きを知り、自分一人で生きていけるたくましさを身につけていきます。そして、二人は二人三脚で共に歩んでいく未来すら思い描いていきます。

しかし、ジョゼは心の何処かでいつか恒夫の元を離れ、自分の足で立たなければならないと考えていたのではないでしょうか。これはある意味皮肉なことですよね。ジョゼは恒夫の助けを借りなければ、死ぬまでずっとあのじめじめした空間で過ごすことになっていたわけで。恒夫が彼女を外の世界に連れ出すことは、ジョゼにとっては明るい未来へつながるきっかけになっても、恒夫にとっては必ずしもジョゼとの幸せを手に入れることにはならないのです。ジョゼはそのことにうすうす気づいていたし、その気持ちを恒夫に発信し続けていました。印象的なのは、この記事のサムネイル画像にも選んでいる浜辺の場面です。恒夫に背負われ、いつか終わりが来ることを予感しながら、それでもその温もりを愛おしく感じている。そんなジョゼの表情が切なく、とても苦しいショットです。しかし、恒夫はその事に気づいていない。彼はジョゼの問いかけに対し終始煮え切らない態度で、未来への夢は語っても、じっさいにどうやって暮らしていくのかといったたぐいの話はあやふやにていました。ジョゼは未来に対する不安や、恒夫への信頼感が揺らぎ始めていることを常々吐き出していたわけですが、彼はそれに取り合いませんでした。というか、見て見ぬふりをしていました。恒夫はジョゼが自分なしには生きられない弱い存在であると勝手に思い込んでいたのでしょう。自分とジョゼの未来に真剣に向き合っていなかったんですね。

だからこそ、彼はジョゼと別れた後、自分の態度や彼女との日々を振り返り、深い悲しみと後悔に泣き崩れます。手遅れになってから過ちに気づくのです。一方のジョゼは、鳥かごから開放された鳥のように、清々しい表情で自分の人生を楽しんでいます。彼女にとって恒夫の出会いは(言い方は悪いですが)高い壁を飛び越えるための踏み切り板であって、もう人生の次のステージへ進んでしまっているわけです。ああ、結局男はずっと昔の女が忘れられなくて、女はひょうひょうと新しい環境に馴染んでしまうのだなと。この生き方の「要領の良さ」のようなものの対比が面白いです。

最後になりますが、なんだかんだこの映画のいちばんの魅力はジョゼのエキセントリックな人柄かなと思います。好きなのはラブホのシーンですね。はじめは「温泉付きの旅館がいい」と言ったのに、泊まったのは「魚の館」。安っぽい布団に包まれながら魚の照明に感動するジョゼが愛おしいのです。よっぽどお魚を見るのを楽しみにしていたのだなあとか、よろこび方の子供っぽさとラブホテルというアダルトな空間のアンマッチとか、こういうささいなことで幸せを感じられるジョゼの純朴さとか。彼女の面白さがギュッと詰まった、可笑しいんだけど、このシケた感じにどこか切なさを感じる名シーンです。恋愛映画としても、青春映画としてもすばらしい内容の映画だったと思います。傑作です。