映画狂凡人

さいきん見た映画の感想を書いています。ネタバレありなので未見の方は注意してください。

「ボヘミアン・ラプソディ」感想:「アナ雪」に連なる体験映画の最先端

こんにちは。じゅぺです。

今回は大ヒット中の映画「ボヘミアン・ラプソディ」について。

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ボヘミアン・ラプソディ」は、45歳の若さでこの世を去ったフレディ・マーキュリーの半生を描く伝記映画です。現在、大ヒット上映中で「クイーン現象」を巻き起こしています。街中やテレビ番組でもやたらとクイーンの楽曲を耳にするようになりました。ネットでは「ボラプ」なんて略称も出てきていてます。これまでクイーン全盛期を知らない人びと、すなわち物心ついた頃にはフレディがすでに亡くなっていた世代を中心に、この映画の評判が高まっているようです。

筆者もクイーンと言えば「ハッチポッチステーション」でグッチ裕三が歌っていたパロディ曲から入り、いくつかの有名な曲を知っている程度で、あまり熱心に聴き込んだことはありませんでしたが、この映画を見て思わずサントラをダウンロードしてしまいました。たしかにクイーンの曲をもっと聴き、知りたいと思える作品です。映画館のスクリーンと音響をフルに活用したライブシーンの没入感はすさまじいです。歌声も本人のものをつかっているので、圧倒的な迫力があります。これが人間の出せる音なのかと驚いてしまいました。非常に芯が太く圧の強い歌声なのですが、大胆さの中にも傷つきやすい繊細さや脆さを感じさせ、抜きん出た表現力の持ち主だなと感動しました。

その感動が頂点に達するのが、クライマックスのライブ・エイドの場面。すごく良かったですね。先ほど、この映画が響いているのは、意外にも若者世代であると言いましたが、おそらく僕も含めて「んな「リアルタイムで体感したかった」と思わされたのではないでしょうか。ドルビーアトモスで見たけど、これだけでお金を払う価値はありました。彼の人生の集大成としての渾身のパフォーマンスに、まるでその場にいるかのように没入してで興奮すると同時に、今はもう彼はこの世にいないのだ(=絶対に本物を体感することはできない)という現実が頭の中をぐるぐる回って、非常に不思議な感覚でした。もう現実には体験することはできないとわかっているのに、目の前のスクリーンで本物と錯覚してしまうようなパフォーマンスが繰り広げられている。映画であるからこそ、そして最新の技術を駆使しているからこそ可能な映画の魔法だったと思います。この体験の満足感が「ボヘミアン・ラプソディ」のヒットにつながっていると言えるのではないでしょうか。

この手のスマッシュヒットは、今年では「グレイテスト・ショーマン」がありました。これもオープニングのパフォーマンスからグッと心を掴む魅力にあふれていました。そして去年では「ラ・ラ・ランド」。さらにその前まで遡れば「アナと雪の女王」に連なります。どれも音楽映画であること、そして極上のスクリーンと音響で初めて最高の効果を得られる作品であること(=テレビやスマホで見ても面白くない)が共通しています。いまやYouTubeや各種SNS等を筆頭に、消費者の余暇の時間と娯楽は、いつでもどこでも楽しめるスマホによるサービスが一般的になっています。「映画館」という場所や時間に縛られたかつての「娯楽の王様」は、環境の特殊性でその争いに食い込もうとしているのです。映画館でしか得られない体験を突き詰めると、じつは「物語ること」よりも、大きな画面とクリアなサウンドを通して全身で興奮できるような「迫力」や「刺激」が大事になってくるのですね。より精緻で長尺なドラマを展開できるストリーミングサービスの台頭も、映画のよりシンプルな興奮の追求を後押ししています。「ボヘミアン・ラプソディ」と離れますが、国内で言えば「ゼロ・グラビティ」や「ダンケルク」もこの文脈に当てはまることができるでしょう。

音楽映画のくくりにこだわれば、「ラブ&マーシー 終わらないメロディ」や「ストレイト・アウタ・コンプトン」、「ジャージー・ボーイズ」に近いかもしれません。スランプや他のメンバーとのあつれき、産みの苦しみを経て、時代を切り開く新しい音楽が生まれていく過程が感動的でした。ベースの部分では「ボヘミアン・ラプソディ」もそれに則っていると思います。

しかし、裏を返せば、非常に類型的なドラマになってしまっています。正直言って、退屈です。期待していたものが見れず、僕には響かなかったというのが、すこし残念でした。ここにきて本当のことを言うと、僕は「ボラプ」ブームに乗り切れていません。「グレイテスト・ショーマン」の時と同じです。これはきっとヒットするだろかなあと思いつつ、これは僕のための映画ではないなと思いました。

フレディのことをだれもが知っているからこそ、そして、伝記映画として無難にまとまってしまったがために、予想を上回る感動はありませんでした。ドラマが気持ちを高めてくれないので、ライブシーンに全てが収束していく構成にしていながら、その良さが活かしきれていないように思います。もちろんライブシーンには興奮しましたし、僕らの耳に馴染んだ音楽が形になり、それがステージで披露されて多くの聴衆をひとつにしていく様は、感動的です。ラミ・マレックはじめ本人の魂が乗り移ったかのような(と言っても本人のことはよく知りませんが)キャスト陣の熱演と衣装・芸術のクオリティも高かった。もちろん音響の技術も最高だったと思います。それでも心のどこかで「レベルの高いモノマネ」を見ている感覚があり、モヤモヤしてしまったんですよね。なにをもって「映画」とするかの定義は人それぞれだとは思いますが、少なくとも僕は「ドラマ」で観客の見たことのない世界を切り拓いていくことが映画の重要な力だと思っています。映像にせよ、ストーリーにせよ、キャラクターにせよ、「これどこかで見たことがあるな」が重なると、途端に輝きを失ってしまうものです(もちろん全てが「真新しい」ことはあり得ないので、あくまでそれぞれの積み重ねの上で、です)。残念ながら「ボヘミアン・ラプソディ」は、「天才がグループを引っ張る」→「大成功を収める」→「天才であるがゆえに(そして大抵はその孤独さによって)グループをバラバラにしてしまう」→「のちに仲直りして同窓会ライブ」の流れが、どこかで見たことあるものだったので、最後のライブエイドに至る前に興味が追いつかなくなってしまいました。悪くはない映画だと思うし、じっさい大ヒットしているのですが、これからの映画ってこの方向で突き詰めていくのかなあと、若干モヤモヤしてしまいました。映画って難しいですね。