映画狂凡人(映画感想ツイート倉庫)

さいきん見た映画の感想を書いています。ネタバレありなので未見の方は注意してください。

「ギャングース」感想:想像の向こう側にいる人たち

こんにちは。じゅぺです。

今回は「ギャングース」について。

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ギャングース」は、少年院上がりでバイトにすら雇ってもらえない底辺の3人が、起死回生の策に打って出る青春クライムサスペンスです。

監督は入江悠。彼の代表作といえば「SR サイタマノラッパー」ですが、この映画でもニートの男たちがつまらない日常から抜け出そうとラップに打ち込む姿が描かれていました。本作「ギャングース」では「身分証を手に入れて普通の仕事をしたい」という願いを叶えるために盗みを働くという、この映画を見られる環境にいる人からすれば信じられないほど壮絶な状況に生きる若者たちが主人公です。

サイケ、カズキ、タケオの3人は毎日虫けらみたいに踏みつけられて、帰る家もない絶望的な状況でも、生きることは諦めません。けっして「死にたい」なんて言わないんですよね。一貫して真っ当に暮らしたいと願っています。ほとんど抜け出せないんじゃないかと思いたくなる絶望的な状況で、地面に這いつくばって泥水をすすりながら前に進もうとする3人の生き様に、見てからこっちも心がボロボロになりそうになりますが、それでも彼らの心と体は最後まで耐え続けます。僕だったら、もう我慢できずに諦めてしまうかもしれません。彼らはとっても強い人たちです。何度殴られても必死になって立ち上がろうとする彼らの勇気と胆力こそ、「生きること」の強烈な肯定になっているのではないでしょうか。

彼らは、犯罪が絡んでいるために被害届を出さないワケありの品や金を奪う窃盗によって生計を立て、自分たちの夢を実現するために貯金しています。彼らの行動は決していいことではないし、なんなら他人を傷つけまくってるわけですが、でも、その動機は「まともになりたい」という純粋なものだし、八方ふさがりの追い込まれた状況だから、否定することはできません。

外から見えているものと内から見えているものは違うという当たり前のことが、この映画では描かれています。肥える者はどんどん肥え、そうでない人間は養分にされていく世の中において、誰だって守りたいものはあります。「世間」から見れば、この3人はちっぽけでセコいコソ泥かもしれません。けど、彼らだって必死に生きています。無神経に「犯罪者」を断罪する前に、なぜ彼らがそんなことをしなければならないところまで追い込まれてしまったのか、を考える必要があると思います。暴力や貧困は連鎖するものであり、生まれ育った環境によっても大きく左右されます。日常の生活に困らない豊かな環境で暮らしていたら、わざわざコンビニでカップ麺を盗む必要もありませんから。

この辺の話は「万引き家族」でも描かれていましたが、残念ながら日本もそのような作品が「現代の社会を映し出している」と受け止められるほどには、格差が進み、より貧しい国になっているということです。

さらに残念なのは、そういう現実を信じられず、映画の方に難癖をつけたり、製作者を「反日」呼ばわりする人たちがいることです。「万引き家族」や「ギャングース」で大切なのは、まさしく僕たちが普段関わることのない世界の人びとの苦しみに触れ、自分たちがこれからどうすべきなのかを考えることだと思うのですが。他者への共感を強制することまではしないでも、厳しい環境に置かれている人たちがたくさんいるのだということを、みじんも想像できない、もしくは分かっていても受け入れられない人たちがネットで可視化されるレベルでいるというのは、非常に危機的状況だと思います。「万引き家族」や「ギャングース」は描かれる内容ももちろんグロテスクで耐え難いものですが、それ以上にこれらの映画(というか「万引き家族」)に対する心ない反応にショックを受けてしまいました。