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「リトル・フォレスト 冬/春」感想:いち子を縛る過去と地元

こんにちは。じゅぺです。

今回は「リトル・フォレスト 冬/秋」について。

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「リトル・フォレスト 冬/春」は、田舎で自給自足生活をする少女・いち子の生活を描く作品です。

前回「夏/秋」のレビューで、あえて起伏を排した平坦なストーリー構成になっていることに触れましたが、後半部分にあたる「冬/春」では、おそらく観客みんなが疑問に思ったであろう、なぜ年頃の女の子が何もない田舎で一人で暮らしを選んだのか?という問いへの解が与えられます。ここにひとつのドラマが生まれ、物語は収束へと向かっていきます。

では、なぜいち子はこの家に暮らしているのかというと、それは母親の昔ふたりで生活していた場所だからなのです。いち子の自然を食べて生きる日常も、すべて母親から教えてもらったもの。おいしい料理の作り方も、厳しい自然の中でのやりくりの仕方も、みんな母の知恵なのでした。しかし、そんな母親はある日突然いち子だけを残して家を去ります。言ってしまえば、娘を捨てたんですね。

だから、いち子はこの家に暮らしているのです。「もしかしたら母親がひょっこり帰ってくるかも」と淡い期待を抱きながら。きっとこの家の温もりや匂い、毎日の生活の中に母親の影を見出し、孤独を慰めてきたのだろうと思います。

しかし、彼女の居場所はまだ「ここ」にはありません。彼女の心は常に「母」と母と共に過ごした「過去」に囚われています。この村を離れようと思えば、いつでも都会に出ることはできたはずです。それができないのは、やはり母親に捨てられたという現実をまだ受け止めきれていないからであり、またそんな想いを立ち去る覚悟ができていないことの証左でもあります。彼女自身はそのことにも薄々気づいていて、隠れて自己嫌悪にも陥っている。この家は、母親に大事に育てられた幸せな過去と、そんな思い出を全否定する忌まわしい過去と、その両方を受け止めきれず、現実逃避に終始している現在の自分の弱さが、すべて詰まっている空間なのです。だから彼女は孤独なのです。黙々と作業をこなし、自分で育てた食物をもしゃもしゃと噛む姿は、どこか寂しげに映ります。彼女は田舎暮らしで悠々自適に見えますが、じつは全くそうではない。本当の意味で自由になるには、むしろこの家を飛び出さなければならないのです。

のんびりとした映画だが、最後に全体像がわかる構造になっています。広い意味で言えば、子の親離れ、ひとり立ちの作品とも言えるでしょう。僕は都市郊外に住んでいるので、この感覚は微妙に掴みきれていないのですが、非常にすばらしい「田舎映画」でもあると思います。「地元」というのは不思議な存在で、生まれ育った場所として無条件に自分を包み込んでくれる「家」のような存在であると同時に、外の世界へ羽ばたく自分を縛る呪いにもなり得ます。この相反する二つの顔にどう向き合うか。「夜明け告げるルーのうた」や「レディ・バード」も同様でしたが、結局は、大人になるためには一度地元を離れなければなりません。そして「地元」は「帰る場所」にするのです。たとえば日々に疲れたり、自分を見失った時に帰る場所。この複雑で愛憎入り混じった「地元」に対する感情の機微が、「リトル・フォレスト」の魅力なのかなと思います。