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「マダム・フローレンス! 夢見るふたり」感想:エキセントリックな喜劇と虚飾にまみれた悲劇の交錯

こんにちは。じゅぺです。

今回は「マダム・フローレンス! 夢見るふたり」について。

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「マダム・フローレンス! 夢見るふたり」は、実在したソプラノ歌手、フローレンス・フォスター・ジェンキンスを描く伝記映画です。

彼女は、プロのソプラノ歌手でありながら、非常に音痴なことで有名でした。実際の音源も残されていますが、聴くに耐えません。であるにも関わらず、彼女は自分の才能を信じ、稀代の天才であると信じきっていました。ただ信じ込んでいるだけならいいのですが、彼女は資産家であったがために、自らの財産をつぎ込んで盛大なステージを何度も開催し、ついにはあのカーネギーホールでのコンサートも実現させます。お金は払ってくれるので、誰も文句は言えませんね。しかも面白いのが、そんな彼女のコンサートは常に大人気だったそうで、内輪にとどまらず、しっかりチケットも売れていたそうです。もちろん冷やかしで見にきていた人もたくさんいたでしょうが、彼女のホスピタリティあふれるパフォーマンスそのものも好評だったようです。聞けば聞くほど不思議な人物ですよねえ。本当に実在したことが信じられません。そんな彼女を名優・メリル・ストリープが演じています。

正直、フローレンスの姿は独りよがりで痛々しい。フローレンスがソプラノの天才であると信じているのは彼女だけ。裸の王様状態です。そんな彼女の夢を壊さないようにと、彼女に近しい人々は必死になって「居心地のいい世界」を作ってあげているのです、見る人によってはこの映画そのものにあまりいい評価をしないかもしれません。けど、彼女がのびのびと歌うステージにはたくさんの愛が詰まっています。フローレンスがオペラの舞台に立つということは、彼女に夢を見てもらおうと頑張っている人たちがいるということです。彼女に幸せになってほしい、笑顔が見たいと心から願ってくれる人たちがあるということです。人間、一人では生きていけません。誰かが支えてくれている、ということの重みと温かさを、この映画は伝えてくれます。

フローレンスを喜ばせるために奮闘する彼女の夫・シンクレアやピアニストたちの姿を見て「グッバイ、レーニン!」を思い出しました。あちらも旧ソ連の崩壊を知らない母にショックを与えないようにと「やさしい嘘」をつく家族たちの映画でした。見たいものだけ見て生きていけばいいじゃないか、そう思って支えてくれる人が周りにたくさんいる幸せが、どちらの映画でも描かれています。いつも困った顔をして、ため息ばかりついているのに、フローレンスが楽しそうにしていることがうれしいシンクレア。ヒュー・グラントはずいぶんおじさんになってしまいましたが、相変わらず困った時に見せるあのおどけた表情はセクシーです。しわが増えた分だけ顔に現れる感情も豊かで深みのあるものになり、あくまで「黒子」に徹し続ける優しさと、ちょっぴり漂う挫折の哀しみが、シンクレアを魅力的な人物にしていました。ヒュー・グラントの新境地だと思います。

しかし、ちょっと「ズレた」人が(それは自分とは違うものの見方をしているということだが)全力で何かをやるというのは、それだけで可笑しいものです。一生懸命やっているのにうまくいかない、切ない、でも、やっぱり笑える…というスタンスは、デヴィッド・O・ラッセル監督の作風を思い出します。エキセントリックな喜劇であると同時に、虚飾にまみれた悲劇でもある本作ですが、ただその人を見下すような笑いではなく、失敗をまるごと愛してくれるような優しさに溢れるまなざしを感じます。悲劇と喜劇は表裏一体。フローレンスという女性の人生の面白さにどっぷり浸かれる映画でした。良作です。