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「フロントランナー」感想:なぜ失脚した地味な政治家が主人公なのか?

こんにちは。じゅぺです。

今回はヒュー・ジャックマン主演の伝記映画の感想です!

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「フロントランナー」は、不倫報道で政界から葬られた大統領候補、ゲイリー・ハートの選挙戦を描きます。監督はジェイソン・ライトマン。「JUNO/ジュノ」や「マイレージ、マイライフ」など数々の傑作を生み出してきた映画職人です。主演はヒュー・ジャックマン。 彼の高潔な眼ざしに宿る胡散臭さが映画の推進力になっています。本当に上手い役者さんです。

 

なぜゲイリー・ハートが主人公なのか?

ところで、この映画って伝記映画にしては題材のチョイスがとても地味ですよね。大統領選を描くなら、もっと歴史の分かれ目になったルーズヴェルト大統領とかケネディ大統領の選挙戦でもいいですよね。ですが、あえてのゲイリー・ハート。しかも彼は落選するまでもなく、スキャンダルで失脚して選挙戦を断念した男です。起こるイベントも規模が小さくて、一本の映画を引っ張るには「しょうもない」レベルのものだといえばそれまでです。

では、なぜこの映画を作った人たちはゲイリー・ハートの選挙戦を題材に選んだのでしょう?おそらくそれはこの選挙戦の顛末が昨今の政治状況を予言しているからです。2019年の今、政治の良し悪しを判断し、この国の未来について考えるのは「有権者」ではなく「視聴者」になりました。だれが大統領にふさわしいかの判断に理性は必要ありません。もはや思考の軸は「好き」か「嫌い」しかないのです。「フロント・ランナー」は、ゲイリー・ハートの選挙戦をそんな近年の風潮の前兆として位置付けています。

 

堅実かつスリリングな職人的演出

本作は派手なドラマは起こらない、地味な伝記モノであるのに非常にスリリングな作品になっているのは、堅実な演出のおかげだと思います。たったひとつの小さな事件が大きなスキャンダルに発展し、たくさんの人びとの人生が狂っていく興奮を目の当たりにする。メタ的な視点で捉えれば、この映画はスキャンダルに熱中する大衆の性格をシニカルに捉えながら、観客の醜聞に対する好奇心を刺激しているのです。ラストカット後に表示される「ゲイリー・ハートは今も妻なリーと夫婦生活を送っている」の一文は強烈な皮肉になっていますね。物語的にはあってもなくてもいいこの情報を付け加えられることで、私たち観客の心の内が見透かされているように感じられます。記者が決定的な瞬間を目撃してしまう場面は俗な好奇心がくすぐられますからね。

また、華々しく大統領候補に名乗りを上げた男が、くだらないスキャンダルでチャンスを手放す、周囲の期待が失望に変わってしまう瞬間がとても恐ろしいなと思いました。ドナがエスカレーターの先を見つめる目線、そして肩を落とすパーカーの立ち姿。ああ、思い出すだけで胸が痛くなります!変な記憶をほじくり返されますね。他人の評価が180度変わってしまい、しかもそれがもう二度と元に戻らないことを悟ったときの絶望感たるや。いやーなシーンでした。

 

メディアの時代の終わりの始まり

そしてもう一つ演出で注目すべきは、この物語が「テレビ」に始まり「テレビ」に終わることです。オープニングは、ゲイリー・ハートの選挙戦(1回目)撤退を伝える報道陣が集うホテル前の喧騒の場面。クレーンを使った縦横無尽に動く長回しにグッと引き込まれます。エンディングのラストカットは、スキャンダルの矢面に立たされた傷心のドナがホテルのテレビでゲイリー・ハートの選挙戦(2回目)の撤退を知る様子です。そしてエンドクレジットはブラウン管テレビの画面から放たれる赤青緑の光が背景に映っています。。それぞれの印象的なショットで「テレビ」に代表されるマスメディア、そしてブラウン管の向こうにいる視聴者の存在が想起されます。さらにその先には過去を見つめる現代の観客の目線があります。まさしく視聴者であり観客の私たちこそが群像劇のもう一人の主役になっているのです。

作中に現代の観客の目線の存在を意識した私たちは、どんなにあがいても時計の針を戻すことはできないことを知ります。失った信頼は帰ってこないし、もはや純粋に政治論を戦わせることのできた1982年は永遠に失われたのです。僕はハートの失脚騒動にトランプ大統領の「ゴールデンシャワー」事件を思い出しました。この事件は2017年の大統領選の最中に「リーク」され、結局具体的な証拠も出なかったので、騒動自体は落ち着きました。いまや高級紙でもトランプ憎さで裏付けのないスキャンダルに飛びつく時代になってしまったんですね。

ゲイリー・ハートのスキャンダルと「ゴールデンシャワー」事件に象徴されるのは、第四の権力と化したマスメディアの欺瞞、そして形のない世論の得体の知れなさです。トランピズム跋扈する現代に、政治家としての能力と私生活は関係ないはずだと叫ぶハートの「正論」は虚しく響きます。もう、そういう時代になってしまったんですね。この先が不安しかありません。