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さいきん見た映画の感想を書いています。ネタバレありなので未見の方は注意してください。

「半世界」感想:グローバリズムの「世間」と「世界」

こんにちは。じゅぺです。

今回は稲垣吾郎主演「半世界」の感想です!

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「半世界」は、数年ぶりの再会を機に自らの人生を見つめ直す3人の幼なじみの男たちを描く大人の青春映画です。こうやってまとめるとおっさん版「SUNNY」のように見えますが、ぜんぜん違いますよ。主演は、稲垣吾郎長谷川博己、渋川春彦と渋い中年俳優が勢ぞろい。小学生の頃から大親友の男たちが積み重ねてきた時間の厚み、きれいごとでは片付けきれない複雑な関係を見事に表現しています。稲垣吾郎は若干演技が不安定な時もありましたが…「優しいパパ」を演じられない不器用さは伝わってきました。

 

「俺たち3人で正三角形なんだ」

「半世界」は伊勢湾を望む三重の山村が舞台です。地元で家業を継いで暮らす紘と光彦の元に、自衛隊に入隊し海外を飛び回っていたはずの瑛介が帰郷してくるところから物語は始まります。ドラマチックな展開は終盤を除いてほとんどありません。父の仕事を継ぎ炭職人として生計を立てる紘と彼を支える妻、両親にイジメられていることを言えないでいる息子・明。父の中古車屋で働く独り身の光彦。そして、遠い海の向こうの任務で悲惨な現実を目の当たりにし、家族とも別れて田舎に帰ってきた元自衛官の瑛介。田舎のスローテンポな生活から徐々に人物間の葛藤が浮かび上がってくる構成になっています。

「半世界」は3人の中でも特に紘と瑛介は大きな問題を抱えています。紘は家族とうまくコミュニケーションが取れず、息子の明に興味を示そうともしません。廃業寸前の炭屋を立て直すのに精いっぱいです。他方、瑛介は戦地で抱えたトラウマが癒えず(そのせいで家族を傷つけてしまったことも示唆されています)、みずからを罰するように隠遁生活を送ります。三人とも30年以上前からの大親友です。お互いの良いところと悪いところはすべて知っているつもりでいます。

しかし、実際のところはそうでもなかったりします。紘は光彦に変われて初めて息子に関心がないことを自覚するようになるし、明を救うのは父・紘ではなく、たまたまイジメの現場を通りかかった瑛介です。自分は相手のことを知っているつもりでも、相手がわかったようなことを言うと「お前に何がわかるんだ」と反発するのです。

とはいえ、やっぱり外から覗きこまないとわからない景色というものもあります。これまで安定していたはずの「世界」は、瑛介というまったく違う色に染まった(ように見える)「異世界」の侵入によってグラグラとふらつき始め、3人は否応なしに二つの極を行ったり来たりしながら、自分にとっての本当の居場所を探し求めはじめるのです。過去の楽しかった思い出に強いこだわりを持ちながらも、かといって強く干渉しすぎることもなく、絶妙なバランスで「不安定」な状態で「安定」しているのが39歳の紘たちの関係だと思います。光彦が少年時代から繰り返してきた「俺たちは3人で正三角形なんだ」という言葉は、まさしく彼らの友情のあり方を示しているものだと思います。

 

「世間」と「世界」のあいだ

ところで、第二次世界大戦以降、とくに冷戦が集結してから世界はアメリカ主導の「グローバリズム」を軸に発展していきました。いまやスーパーに並ぶ食料品の多くは外国産です。カレーひと皿作るのに一体何カ国からモノを輸入しているのか、スパイスだけでなく調理器具の鍋をつくる鉄や、カレールーを運送するトラックのガソリンまで考え始めたら、本当にキリがありません。僕がいまこの文章を書いているiPhoneもきっと中国かどこかの工場で作られたものでしょう。しかも中に入っている部品は日本の町工場で作られたりしています。僕のスマホを構成する部品は日本で作られ、海の向こうで世界中から集められた他の部品と合体し、ふたたび日本にやってきて、いまこうやって僕の手の中にあるのです。僕たちの毎日の生活は世界と密接に繋がっていて、切っても切れない関係にあります。今だってたくさんの日本人が海外で暮らしているし、お仕事で関わりのある人も少なくないと思います。

でも、普段からそのようなことを意識して暮らしている人ってどれぐらいいるのでしょうか。もっと言うと、遠い海の彼方にはここ日本と全く違う考え方や生活スタイルで暮らしている人がたくさんいるってことを、実感をもってわかっている人って、実はあんまりいないんじゃないでしょうか。正直、僕も自信はありません。瑛介のようにジブンゴトとして海外を語れる人って少数派だと思います。日本人の半分はパスポートを持っていませんし、都会ならまだしも、本作の舞台のような三重の山村にずっと住んでいる紘や光彦はそもそも外国の人と接したことすらないかもしれません。良い悪いではなく、いくらグローバリズムの時代だと都会のエリートが叫んだところで、そうではない人や地域が現実にたくさんあるのだということです。この溝があまりに深くなると、トランプ政権やブレグジットのような結果につながるのだと思います。

じゃあ海外を知っている人が世界を広く見られるのかというと、そうでもありません。瑛介はあまりに壮絶な体験をしたために過去に囚われています。瑛介は紘に「おまえらは世界を知らない」と言いますが、彼もまた田舎に残った紘や光彦の見る世界を捉えきれていないのではないかと思います。友情はいつまでも変わらないけれど、その中身は変化しています。結局のところ、人間っていくつになっても日常の手の届く範囲でしか世界を見ることはできないのかもしれないのかもしれません。もしかしたら若い頃だったら新しい世界も簡単に受け入れられたかもしれないけれど、39歳のおじさんには勇気のいることでしょう。

 

「半世界」の意味

世間と世界のあいだに明確な境界線を引くことなどできない。でも、自分の世界と相手の世界のあいだには薄い膜が張られていて、形を自在に変えることはできても、向こう側に突き破ることはできない。引き返すにはちょっと遅い中年の見る世界が「半世界」という不思議なタイトルに込められているのではないでしょうか。