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さいきん見た映画の感想を書いています。ネタバレありなので未見の方は注意してください。

「女王陛下のお気に入り」感想:ゼロサムゲームの迷宮

こんにちは。じゅぺです。

今回はいま映画ファンの間で話題の新作「女王陛下のお気に入り」の感想です!

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女王陛下のお気に入り」は、18世紀初頭のイングランドを舞台に、精神的に不安定なアン王女の側近の座を争うふたりの女を描く宮廷闘争劇です。ベネツィア国際映画祭で審査員賞を受賞したほか、アカデミー賞でも作品賞にノミネートされるなど、国際的な評価も高い作品です。前評判どおり大変すばらしい内容で、いまのところ映画館で見た作品ではトップクラスの面白さでしょう!本記事では特に「撮影」と「女優」の2点から「女王陛下のお気に入り」の良さを考えていきたいと思います。

 

他人の不幸は蜜の味

女王陛下のお気に入り」はなんといってもサラとアビゲイルの容赦ない潰し合いが見どころです。ほんらい理性的かつ余裕ある態度でいるべき高貴な身分の人たちが、目も当てられない幼稚な争いに身を投じている。しかもこの戦いに国の運命までかかっているのですから大迷惑です。いつの世もゴシップは人の心を惹きつけるものでして、古代ギリシアの時代からは物語は神々の不倫や諍いを描いてきました。作家の池澤夏樹が物語の起源の一つにこのゴシップへの興味関心があるのではないかと語るとおり、他人の不幸やいがみ合いを覗き見ることって最高のエンターテイメントなのではないかと思います。他人の不幸でお腹いっぱいになりたいと思う人はそんなにいないでしょうが、自分以外の人間がなにを考え、どう動いているのか、できれば相手にバレずに知りたいって気持ちそのものはそれほど不自然ではないのではないでしょうか。

 

空っぽの宮殿

ゴシップやスキャンダルは日常の退屈しのぎはちょうどいいスパイスかもしれませんが、やはりそれ自体どこか空虚が付きまとうもの。サラとアビゲイルの対立も、けっきょくのところ不毛な争いです。徐々に影響力を失っていることにサラは焦り、いつまた底辺に戻されるのかとアビゲイルは怯えます。けっきょくのところ相手がどれだけ相手を蹴落として不幸にさせても、想いは満たされないのです。もちろん、この取り合いの中心にいるアン王女も、絶大な権力を握る国家元首のはずなのに、なにもできず、ただひたすらに政争の道具にされ、尊厳を傷つくられ続けています。

彼女たちの暮らす宮殿は豪華な装飾品であふれているけれど、本当のところ中身は空っぽなのです。ここにいる人はみんな孤独で、他人を信用しません。政治家や貴族たちが肉欲と権力欲を満たすために脅しのネタやコマになりそうな人間をさまよい歩く姿は、まるで死肉を漁るハイエナです。だれも民のことなど考えていません。非常に歪んでいるのです。

 

空間の歪みを捉える

アカデミー撮影賞にもノミネートされている通り、この映画は撮影のクオリティがとても高いです。

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この画像のように奥行きや空間の広さを意識させるカットがとても印象的でした。魚眼レンズと広角レンズが、この宮殿ではだれも幸せになれないことを暗示するかのように、不安的な気持ちにさせる構図を作り出しています。彼女たちの見る世界は線がゆがんでいるんですよ。特にアン王女が車イスで押されるシーンは何度登場しますが、とても素晴らしかった。そもそも「車イスを押す」というアクションが、無力な王女と彼女を「操る」側近たちという関係性をビジュアルに訴えています。しかもアン王女は車イスに座っているから目線はみんなより低くて、だれもが彼女を「見下す」のです。カメラはアン王女の目線に合わせて低い位置から宮殿の高い天井を映します。絶対的権力者のはずが、だだっ広い屋敷でただひとり癒されない孤独を抱えている。本作のハイライトの一つではないでしょうか。

 

肝心のサラとアビゲイルの権力闘争の中身にあまり触れていませんでしたね。これまた非常にインパクトの強い、濃ゆい内容の戦いなのです。それぞれのキャラから見ていきましょう。

 

気高き側近のサラ

サラは幼なじみなのでアン王女には強く出られます。彼女のことをわかっているし、大切な想っているがゆえにかなりキツイ言葉も浴びせかけます。明らかに憔悴しているおばさんに「アナグマみたいね!」って。流石にそれはひどすぎるよって思いますが笑、これもまたサラなりの愛情表現なようです。勝手気ままなアン王女を操るサラは、文字通り手綱を握って馬に乗る騎手です。他方、二人にはDV男と依存症女のような結びつきもあると思います。サラはアン王女の近くを陣取り続けない限り発言力を維持できないし、アン王女はサラにわがままを聞いてもらえないと、おそらく今以上に精神が崩壊するだろうし、国政も混乱することでしょう。アン王女とサラは一言では片付けられない絆で結ばれているのです。

また、サラにはアン王女の寵愛を受けてきた側近としての誇り、宮中で勝ち抜けてきた人間特有の気高さを感じます。しかし、それは傲慢さと裏表でもあります。多少アビゲイルに脅しをかけられても動揺しない自信の強さ。完璧にも思えるが、次第に台頭していく政敵・アビゲイルに心揺さぶられる姿は人間臭いです。

そして、そんな彼女を演じるレイチェル・ワイズの凛々しい顔立ち!一方、中盤以降、とある事件で顔に傷を負い弱りきったサラの姿は哀れみを誘うし、単にプライドが高くて取っつきにくいだけの人間ではないことを表現できるところにレイチェル・ワイズの女優としての能力の高さを感じます。

 

泥臭くもがくアビゲイル

一方、サラのライバルになるのは没落した貴族として一度は娼婦にまで身を落としたアビゲイル。持ち前の素直さと人当たりの良さでアン王女の寵愛を勝ち得ていく過程は痛快です。地獄を見たこともある彼女には難局を切り抜ける底力がある。アビゲイルは生活の知恵みたいなものも持っています。高貴なサラとは対照的に図太くて忍耐強いんですよね。自分にとって気に入らない事態に直面したとき、サラだったらムッとしつつも感情は抑えてその場で機転を利かしてイヤミで返すんでしょうけど、サラはそれなりに露骨に表情に出してしまう上に、あとで裏でグチグチと陰口を叩いたり、大騒ぎしたりする。そういう印象を受けます。この開けっぴろげな感じがサラと対照的だからこそ、アン王女は辛い現実の逃げ道に彼女を選ぶのかもしれません。

しかし、アビゲイルには過去のトラウマがあります。努力しても没落の影がちらつく負の循環に陥るのです。どこまで逃げてもサラが視界から変えない。がんばっても抜け出せないのではないかという怯えや恐怖も見え隠れします。そんなアビゲイルの弱さは観客の僕らにはとても切実に写ります。他人を蹴落とそうとする限り、自分にもしっぺ返しがくるのではないかという不安は付きまとうもの。どれだけ遠くへ行こうとも、二人の争いは不毛なのです。

ところで、そんなアビゲイルを演じるエマ・ストーンも抜群の存在感を示しています。彼女の愛嬌あるガラの悪さと、底辺からの成り上がりを目指し、あの手この手で政敵を排除しようとするアビゲイルの図太さが絶妙にマッチしているのです。ジャド・アパトーの青春映画に出ていた頃のおてんば感を残しつつ、近年の演技派女優としての堂々たる風格も兼ね備えており、いよいよハリウッドのトップスターの座を不動のものにしたのだなと、感慨深くなってしまいました。本当に素晴らしい演技です。彼女はやはり「ファック!」って叫ぶのが似合いますね笑

 

幸せになれない王女・アン

あと、忘れてはならないのがオリビア・コールマン演じるアン王女。彼女は悲しい過去を受け止めきれず、酒やお菓子に逃げたがために心身ともにボロボロになってしまった悲運の王女なのです。元をたどればだいたい彼女の不安定さのせいではあります。責任ある王女としての役割を果たせていないのですから。

でも、彼女が絶対悪いのかというと、そうとも言い切れない。弱さをさらけ出し、逃げ場のない地獄の中でもがく彼女の姿は、身勝手で醜く見えるけれども、可哀想でもあります。何をしても幸せになれない人なのです。きっとアン王女も王女という立場でなければ、ここまで不幸にならなかったかもしれません。そう考えると、この広大だけれど窮屈な宮殿に閉じ込められた彼女がますます憐れに思えてくるし、アビゲイルの性的な慰めに身をよじらせる彼女の姿はグロテスクなほど残酷かつ悲惨です。この映画でいちばん悲しい人は、なにもかも他人に頼り、操られることでしか生きていけないアン王女なのかもしれません。

 

不毛なゼロサムゲーム

映画のラスト、アビゲイルとハーリーの陰謀は成功し、サラは宮中から追放されます。サラの支配から抜け出し、一度は王女としての自覚と威厳を取り戻したかに見えたアン王女も再び体調を崩し、精神が乱れてしまいます。結局、誰が王女を操るかが変わっただけなんですね。勝利を確信したアビゲイルは、アン王女が可愛がっていたウサギを踏みつけます。

しかし、そんなアビゲイルもアン王女の「側近」でしかありません。余裕の振る舞いを見せていた彼女も、アン王女に足を揉むことを命じられればそれに従うしかありません。王女の前で跪き、無造作に自分の頭を掴まれながら、アビゲイルは絶望と苦悶の表情を浮かべます。彼女は結局のところ最初の地獄から別の地獄に移っただけなのです。サラを追放しても、これからまた新たな苦しみが待っています。そしてそのことを暗示するかのように、ウサギたちがうごめく不穏な音を響かせて、映画は幕を閉じるのです。

誰かが徳をすれば、誰かが損をする。世の中はそういう仕組みで回っています。サラとアビゲイルもこの不毛なゼロサムゲームから抜け出せないでいるのです。結局二人ともアン王女の寵愛を受けられるかどうかでしか計られないし、存在価値もない。彼女に切り捨てられれば一貫の終わりです。それはアビゲイルを操ろうとする野党議員・ハーリーたちの態度からも明らかです。

そんなことをわかっていながら、アン王女のベッドの隣を奪い合い、空砲で相手を威圧し、しまいには毒を盛って半殺しにする。なんて滑稽なんでしょう。でも、こうなってしまった以上、彼女たちには他に生きる道がない。とことん悲惨です。とっても意地悪だけど、ゾクゾクとした余韻を残す作品でした。傑作です。