映画狂凡人

さいきん見た映画の感想を書いています。ネタバレありなので未見の方は注意してください。

「あ、春」感想:家族ということばの意味

こんにちは。じゅぺです。

今回は「あ、春」について。

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「あ、春」は、倒産間近の証券会社で働く紘のもとに幼い頃に死んだはずの父が突然現れたことで起こる騒動を描くヒューマンドラマです。監督は「セーラー服と機関銃」や「台風クラブ」の相米慎二。トンがった青春映画を撮ってきた相米監督ですが、これはすこし毛色が違いますね。しかし、根本の部分では挑戦的な作品であると思います。

豊かなはずなのに余裕のない息子と、文無しのくせに余裕すぎる父。性格も正反対で反発しあいながら、それでも父の姿を見てしまう紘の複雑な気持ちに触れます。この対比がコミカルで楽しいのです。

また、再会の唐突さと、ふたりの相反する性格に「本当にこの人たちは血の繋がった親子なのか?」という疑問がふつふつと湧いてきて、見る者の興味を引っ張るサスペンスも生んでいます。

佐藤浩市の疲れ切った生真面目なサラリーマン感と、山崎努のちゃらんぽらんなダメ男感がとてもしっくりきて、面白かったですね。そして性格は正反対だけど、どちらも浅黒くてゴツゴツしている。見た目が似ているからというわけではないが、この体の感じが不思議と親子であることを納得させてくれる気がします。

で、結局この二人は血の繋がった親子ではなく、絋の「本当の父親」は別にいることが発覚します。せっかく戸惑いながらも父親を受け容れ、失われた時間を埋め合わせていく決心が付いていたのに、水を差す話です。ここでいちど収束しかけたストーリーはふたたび拡散します。そうと分かれば、これまで溜め込んでいた不満や後悔も爆発します。絋と父親の関係に混乱が訪れるのです。

この映画は終始絋の目線で進んでいますが、父親から見てもこの物語は悲劇です。血を分けた自分の分身だと思っていた男がじつは他人だったんですから。つねに淡々として内心どう思っているのかはわかりにくいですが、真相を知るまでの言動と話を聞いてぶっ倒れてしまったことを思うと、そのショックの大きさは相当なものだったことでしょう。

じゃあこのままで終わるかというと、そんなはずはありません。最後に行き着くのは、血が繋がっていようがいなかろうが父親は父親だということなんですね。大事なのは、一緒に過ごした時間だったり、なにを受け継いでいくのかなのです。血が繋がっていても愛情のない親子なんてごまんといることでしょう。一度離れかけた親子の絆がこれまで以上に強くなる夕日の屋上のショットは、あまりに美しくて息を飲みました。西新宿の高層ビル群を眺めながら、見舞いにやってきた息子と車いすの父が思い出の歌を口ずさむ。思い出すだけで熱いものが込み上げてきます。相米慎二監督らしい、完璧な構図のロングショットで、本作屈指の名場面でした。

去年までの常識すら「古臭い」考えになってしまうぐらい目まぐるしく価値観がアップデートされていくこの世の中において、「家族」ってなんなのだろうと考えてしまいます。血が繋がってなくてもいい。相手は同性かもしれないし、ペットでも、ぬいぐるみでも、ゲームの中のキャラクターでもいい。なんなら家族なんていらない、一人で過ごすという選択肢もあります。映像作品でもそういうテーマを扱ったものが増えてきました。じゃあそこに共通する「家族」の要素って何でしょうか。ことばが抽象的なので定義は人によって違うかもしれませんが、それでも、最小公倍数的な「家族」の核となるものがあるんじゃないか、そう思えてなりません。映画とは関係ありませんが、「あ、春」はそんな思いを巡らせるいいきっかけになりました。傑作です。