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さいきん見た映画の感想を書いています。ネタバレありなので未見の方は注意してください。

「君は月夜に光り輝く」感想:「死」と「青春」の関係について

こんにちは。じゅぺです。

今回は月川翔監督の最新作「君は月夜に光り輝く」です!

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君は月夜に光り輝く」は、不治の病・発光病で「余命ゼロ」のまみずと彼女の死ぬまでにやりたいことを代行する卓也の交流を描く青春映画です。

 

月川翔監督の安定感!

本作の監督は「君の膵臓をたべたい」や「センセイ君主」の月川翔。過去の記事でも月川監督のことについて触れています。

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彼って女の子を可愛く撮ることにかけては、廣木隆一と並んで邦画最高レベルだと思うんですよね。女の子を可愛く撮るセンスは頭抜けてるのです。優しく包み込むような淡い照明と逆光、大切な場面ではじっくり長回しで間合いの緊張感を閉じ込める。本当に誠実にカメラの向こうの女優と向き合い、最高に可愛い瞬間をぎゅっと閉じ込めることに長けている人です。

あと、月川監督ってデートシーンを撮るのが上手いんですよね。「君の膵臓をたべたい」の博多デート、特にホテルでの「真実か挑戦か」ゲームのところなんて、ゾクゾクするほど素晴らしかった。今回もスマホを胸ポケットに忍ばせてお台場やら海やらをまわる場面は印象的です。片手に収まるデバイスあればこそのバーチャルデートになっています。これは完全に「her」を意識していますね。スマホを持ってぐるぐる回るシーンがありますが、ほとんど「her」そのまんまです笑 のちに触れますが、ラストの「ラ・ラ・ランド」的な反復も最高でした。あれがあるかないかで映画の出来は大きく違っていたと思います。

本作で思わぬ発見だったのが、今田美桜です。メイド喫茶のバイトの子を演じています。とっても可愛かった。彼女にデートに誘われても歯牙にも掛けない卓也の純愛と鋼の精神にもはや敬服するしかありません。また、この場面のロッカーの鏡の使い方が地味に秀逸でしたね。卓也にデータを断られ、困惑や悲しみを抱えながら、気丈に振る舞う彼女の「見せたくない顔」を見事に鏡を通して覗き込むことができるわけです。こういう工夫が作品のレベルを上げるんですよね。さすが月川翔!と言いたくなるワンシーンでした。

 

「ララランド」との類似点

本作はまみず以外にも「死」に関わる人物が二人出てきます。卓也の姉と、その彼氏ですね。卓也の姉の恋人はまみずと同じ発光病にかかり、命を落とします。姉はそんな彼氏の死から立ち直れず、自ら命を絶ってしまうんですね。これが卓也と彼の周りの人物に暗い影を落としているのです。しかし、僕はこの設定は余計だと思いました。原作ではどうなのか知りませんが、少なくとも映画ではあまりうまく機能していません。

いつでもどこでもスマホひとつで繋がれてしまう時代だから、昔別れた人はFacebookで探せるし、国境をまたいでもSkypeでお話しできます。そうなるとわかりやすい恋愛の障壁や別れを表現するとき、ますます「死」に頼ってしまうのかもしれません。でも、それってある意味不誠実です。死を軽々しく扱っている。裏返して言えば、生きることを軽々しく扱っていると思います。そういう点で、この映画も「死」そのものに関するシーンはとても陳腐に感じてしまいました。一方で、別れの痛みを引きずりながら、たとえばこんな過去もあり得たかもしれないって夢想するような、まみずというひとりの人間と時間を共有することへの卓也の切実な願いは響くものがありました。

卓也がまみずとの幸せなデータを夢見る終盤のシークエンスは「ラ・ラ・ランド」の明確なオマージュにもなっていましたが、この「ラ・ラ・ランド」で重要なテーマになっていたのが「時間の不可逆性」でした。月並みな表現ですが、人生は一回っきりです。そして「いま」の自分は、これまで積み重ねてきたたくさんの選択と、捨ててきた「もうひとつの未来」の上に成り立っています。どれだけ後悔しても時間を巻き戻すことはできません。だったら絶えず「いま」と「過去」に意味を与え続け、この瞬間を楽しむしかないんですよね。これはわりとどのドラマにおいても描かれている一般的なテーマだと思います(そういう見方しかできないのは視野が狭いとも言えますが)。

 

「死」と「青春」の関係について

またこうしたテーマは「青春」映画と非常に相性がいいと思います。80年以上ある人生で、仕事のことも考えず、ただ目の前の人やモノに全力で向き合い、好きなように生きられる学生時代って、それほど長くはありません。そして多くの青春映画においてこの時代はノスタルジーをかきたてる、「二度と戻らないもの」として描かれています。だから当然「刹那を大切に」というテーマと「青春」は噛み合わせがいいわけです。

そう考えた時、時間の有限性や不可逆性の切なさ、一瞬ごとの輝きを描く上で、「死」というのはやはり扱いが難しい題材だと思います。「死」というのは予めはっきりと終わりがわかっている、どう転がろうがある程度切なくて悲しい出来事が待っていることは100%なわけで、その中で観客の予想を乗り越える、驚きと感動をもたらすストーリーを作るのは本来簡単ではないはずです。逆にいうと、そういう「死」そのものに安く乗っかっちゃうような映画は、僕はつまらないと思います。「青春」という期間がそれだけで輝きのあるものだという見方も一面的ではありますが、せっかく面白い材料がありながら、人を死なせて涙を搾り取るような「余命」モノは、正直、あまりたくさん見たくはありません。「君は月夜に光り輝く」が決して安直な映画だとは思いませんが、「余命」モノのひとつに数えられることは事実ですし、企画の意図もそういう態度にあると感じられました。

 

永野芽郁北村匠海の魅力も全開だったし、月川翔監督ならではの演出には大いに満足だったのですが、もうそろそろこの手の映画は見なくてもいいかな、という気持ちになってきました。「女子高生のタイムスリップ」と「余命◯◯ヶ月」はそろそろやめませんか?