映画狂凡人(映画感想ツイート倉庫)

さいきん見た映画の感想を書いています。ネタバレありなので未見の方は注意してください。

「雨月物語」感想:欲望に忠実に生きるということ

こんにちは。じゅぺです。

今回は「雨月物語」について。

f:id:StarSpangledMan:20181008145648j:image

雨月物語」は上田秋成の読本を原案に、欲望に翻弄される人々を描いた溝口健二監督の作品です。溝口作品を見るのははこれが初めてです。

雨月物語」はあらすじだけを追ってみると「まんが日本昔ばなし」のようで、良くも悪くも教訓じみたお話です。元ネタが江戸時代の読本なので当たり前と会えば当たり前ですが。根底に流れているのは、やはり膨らみ続ける人間の欲望に対する戒めや、身の丈にあった生活を維持し続けることの難しさと幸せなど、江戸時代当時の市民感情に寄り添った内容になっていると思います。しかし、溝口監督によるエッジの効いた演出と、俳優陣のおどろおどろしい芝居により、単なる昔話にとどまらない普遍性を有しているんですね。

雨月物語」では、お金や出世を求める男の夢も、家族と平穏に暮らす女の幸せも、幻のように儚く消えていきます。ただ幸せを願っていただけなのに、源十郎はお金を盗まれ、宮木は強姦され、阿浜は遊女に堕ちる。彼らは「身の丈」を越えようとして不幸な目に遭うのです。そして、かつての慎ましい生活を振り返り、自らの過ちを知ります。民話のような起承転結です。普通の生活に戻っていく源十郎たちの姿に、手が届く範囲で平和に過ごす日々がいかに尊いことか、思い知らされます。

このような話は、なかなか現代には作りにくい内容なのではないかと思います。だって、自由競争を前提とした資本主義社会は、世界が常に右肩上がりに成長していくことをすべての前提としているからです。あしたは今日より必ず豊かになるし、「なりたい自分」になるためにたくさんのお金と時間をかけなければなりません。すなわち、現状維持は「負け」です。この社会はみんな欲望をむき出しにして争わないと成立しないのです。身分が固定されていた農耕社会では現状維持でも帰る場所があったけど、21世紀では走り続けないと先がないんですよね。「見失っていた自分を取り戻す」お話としてはもちろん普遍的なのですが、作品の前提として、このような対比ができるのは面白いと思いました(ちなみに詰めきれませんでしたが、「雨月物語」は戦乱の世を背景としているので、そこに現代の競争社会を当てはめて考えてみるのも面白いかもしれません)。

あと、忘れてはならないのが、溝口による演出ですね。死後の世界のような川の流れや若狭の屋敷、独特の美しさを放つ映像と緊張感のある音楽がすばらしいです。細かくカットを切らず、長回しをいくつも繋ぐことによって、会話の間の生々しい鮮度が保たれています。奇怪な現象に巻き込まれていく不気味さや寒々しさがフィルムに焼きついているのです。屋敷のくだりは本当に呪われそうなぐらい怖かったです。久々に映画を見ていて鳥肌が立ちました。

溝口健二監督は「西鶴一代女」もDVDを買ってあるので、いずれ見なくてはと思っています。見たい映画が溜まっていくなあ…。