映画狂凡人(映画感想ツイート倉庫)

さいきん見た映画の感想を書いています。ネタバレありなので未見の方は注意してください。

「花とアリス」感想:異質な他者の目線から隔離された二人だけの空間

こんにちは。じゅぺです。

今回は「花とアリス」について。

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花とアリス」は、二人の友情と嘘の上塗りによって育まれていく恋を描く青春映画です。監督は岩井俊二。彼の作品は「リップヴァンウィンクルの花嫁」と「打ち上げ花火、横から見るか?下から見るか?」を見ました。うまく形容できませんが、ラインナップを眺めるだけで、なんとなく「岩井俊二ワールド」が伝わってきますね笑

僕がこの映画で気に入ったのは、はっと息を飲むような耽美で幻想的なショットの数が数々です。浜辺に散らばったトランプ、教室の窓から見える鉄腕アトムのバルーン、ガラガラの体育館で演じる落語、そして制服で舞うアリスのバレエ。すべてが夢のような淡さに包まれた独特の映像体験を生み出しています。ただ浸るだけでエンタテインメントとして成立し得る強度を、この映像は持っているのです。まさしく「映画」だと思いました。

本作の前半は、花とアリスの「百合」を想起させる親密な関係をじっくりと描いています。言ってしまえば、女の子同士のイチャイチャです。ここは先ほど触れた映像の美しさもあいまって、多幸感溢れるパートになっています。しかし、ここで描かれる関係は男(もしくは異質な他者)が排除されたファンタジーです。性的な匂いを隠しています。これから彼女たちは大人になっていくわけで、異質な他者の目線から隔離された二人だけの空間は、破壊されていく運命にあるのです。

花とアリスは「先輩との恋」をキッカケに一度は距離を置くことになります。二人の恋のさや当ては、花の嘘から始まりました。やがて「現実」と「虚構」、そして「現在=いまの恋人=花」と「過去=かつての恋人=アリス」は倒錯し、花とアリスの関係はねじれていきます。先輩の拾ったハートのエースは「現実」と「虚構」、「現在」と「過去」を繋ぐ接点のモチーフです。

しかし、二人の関係のねじれは、その中心にいるはずの先輩を置き去りにして進展していきます。結局のところ、先輩の目線によって一度破壊された二人の関係は、再び先輩=異質な他者の目線を排除することによって、より一層の深まりを見せていくのです。先輩はキッカケでしかなく、別に原因ではなかったんですね。だからこそ、原点=バレエ教室の振り返り、文化祭とオーディションというそれぞれの通過儀礼がオーバーラップしていく中で、二人の関係は自然に修復していきます。花のいう通り、きっとこれは「喧嘩じゃない」のです。あくまで友情の確認の儀式だったのではないかと思います。

ところで、ここでいくつか浮かび上がってくる疑問があります。花が先輩との恋仲を断ち切ることなくむしろ前進させること、そして、アリスと1対1の状態で落語を演じること。一方のアリスはモデルとして次のステージへ羽ばたくことです。

すなわち、アリスは外の世界に飛び出していく(=先輩は過去のものとなり、花以外の人とも触れ合っていくことになる)のに、花には先輩とアリスしかいないのです。これまで「先輩が好き」という同じ土俵にいた花とアリスの立ち位置が、ここで非対称になってしまいます。大勢の観客の前で華々しく努力の成果を披露することなく、アリス一人の前で落語を演じる。彼女だけ前に進んでいませんアリスしかいないのです。

本音を言うと花にもアリスがいない世界に飛び出してほしかった。でも、この映画の主眼はきっとそこではないのだろうとも思います。恋か、夢か、それとも友情か、なんていう選択肢の前で揺れ動く類の話ではないからです。花は先輩と落語、アリスはモデル。別々の道を歩み始めても、二人は一緒。これからも友だちのまま、淡い夢のような時間をともに過ごしていくのでしょう。閉じた関係性のまま物語は幕を閉じます。先輩という「男」の目線によって一度動揺した花とアリスのある種同性愛的でプラトニックな結びつきは、波乱を経てふたたび「異質な他者」から隔絶された殻の中でより強いものになっていくのです。青春映画として読むには、結構変わり種な作品なのではないでしょうか。