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さいきん見た映画の感想を書いています。ネタバレありなので未見の方は注意してください。

「Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち」感想:ダンスという言語

こんにちは。じゅぺです。

今回はドキュメンタリー映画を取り上げたいと思います。ヴィム・ヴェンダース監督による「Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち」です。

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「Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち」は、急死したドイツの天才振り付け師、ピナ・バウシュが遺したものを追うドキュメンタリー映画です。ルカ・グァダニーノ監督の「サスペリア」に登場する振り付け師はこのピナ・バウシュがモデルです。本作はもともとヴィム・ヴェンダース監督はピナ・バウシュと一緒に映画をつくる構想を温めていたようですが、彼女の死によって一度はこの話は立ち消えになったそうです。しかし、彼女の功績を映画に残したいという声もあり、最終的には本作の製作にまで漕ぎ着けたのです。

 

心をつかむ不思議なパフォーマンスの数々

僕はバレエも舞踊も門外漢です。なにも知識がありません。せいぜい「白鳥の湖」のタイトルを知っているぐらいです。踊りの善し悪しもわかりません。正直、作中でバウシュを知る人物たちが語る言葉も、意味はわかるけど理解はできませんでした。雲をつかむような、非常にふわふわとした抽象的な内容に思えました。

しかし、街中や自然の中で撮影されたヴッパタール舞踊団によるパフォーマンスには釘づけになりました。これがなにを表現したものなのか、それを捉えるだけの語彙も鑑識眼もないけれど、人間の身体の動きの組み合わせでこれだけ奇抜で新しい表現ができるという事実にひたすら感動しました。特にお気に入りなのは山の上で列になって踊るパフォーマンス(本記事のサムネイルになっている画像のもの)とモノレールの高架下で男女が絡みついては離れるダンスの二つです。撮り方もスタイリッシュですし、ごはん食べながら無心で眺めていたい映像でした。なぜか心の根っこの部分をガシッと掴まれたような喜びや快感があるんですよね。本当にずっと見ていられます。むしろ語りのシーンを省いてもいいんで、ずっとこれを見せてくれた叫びたいぐらいです。

 

ダンスという言語

ピナ・バウシュの作り上げた世界を見て、踊りってこんなにも自由なものなんだということに気づかれます。みんなしてバケツで岩に水をかけたり、踊りながら土を被ったり、あまりに僕の知っているダンスとはかけ離れた不思議な演出に困惑することもありました。

しかし、これらのパフォーマンスのエレメントをわからないなりにつなぎ合わせていくと、じつは自然の中にあるものと踊りに強い結びつきがあるのではないかと考えるようになりました。生命と自然の有機的な結びつきの中に人間を放り込む、その原初的な試みから、肉体を駆使したパフォーマンスの真価が浮かび上がってくるのではないかと。ここで例に挙げたダンスは、なんとなくですが、社会とか人間同士の関わりみたいな抽象的な概念を離れて、人間を1匹の動物、手足の生えた二足歩行の生命としてその身体そのものの力に迫っている気がしたのです。

もちろん建物を模したステージでのパフォーマンスもあります。逆にそこには人と人の関わり、近くに人がいることによって伝播したり増幅したりする感情、交わることによる相互理解の力を感じました。可笑しかったり、切なかったり、肉欲を感じたり、悲壮感が漂っていたり。作中のインタビューでも触れられていた通り、これは文字や音とは異なるもうひとつの言語なのだろうと思います。ほかの言語で言い換えることができないところにダンスの面白さがあるのかもしれません。そう考えると、ダンスってじつは人間が言葉や文字を発達させる前から存在する最も原始的な言語のひとつなのかもしれません。僕は人前で踊ったり、楽しみのためにダンスをしたことはほぼ皆無ですが、なんだかそれももったいない気がしてきました。いちばん身近に習得に挑める言語に触れられていないのですから。

 

最後にちょっぴり悲しく感じたことについて。当然かもしれませんが、やはり、ステージの上の生身の人間の動きを見ないことにはピナ・バウシュの生み出した世界の良さは味わいきれないだろうなということです。だから劇場版では3Dで公開していたんでしょうね。ちょっぴりダンスや舞踊のことも勉強したくなる作品でした。ドキュメンタリーってこういう出会いがあるから見逃せませんね。