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さいきん見た映画の感想を書いています。ネタバレありなので未見の方は注意してください。

「クロニクル」感想:思春期の「どうにもならなさ」を描く

こんにちは。じゅぺです。

今回は「クロニクル」の感想です。

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「クロニクル」はジョシュ・トランク監督による青春映画です。超能力を得た高校生たちが力に飲まれ、破滅していく姿を描きます。

 

事件を「目撃」する面白さ

この映画が面白いのは青春映画を一人称目線で切り取る演出にあります。

一人称目線というと、ホラー映画で使われることが多い印象です。本作でも未知の存在と出会い、困惑していく姿を主人公のアンドリューのカメラを通して描いており、ホラー映画らしい演出テクニックが駆使されています。空き地で発見した穴に潜り込み、謎の発光体を触れる場面は非常に緊張感がありました。しかし、この物語はあくまで高校生3人の青春と友情の崩壊を描いています。ホラー的な恐怖演出はオマケなんですね。

では、一人称目線の演出の本当の意味はなんなのか。じつは「クロニクル」では鏡の存在も重要なアイテムにになっており、繰り返し本編に登場します。3人が部屋で能力を試すシーンなど一人称目線のカメラと鏡を組み合わせた場面もいくつかありました。どちらかというと大事なのは一人称目線ではなくカメラと鏡の存在だと思います。アンドリュー、スティーブ、マットらは徹底して「見られる」対象として登場しているのです。そして僕たち観客はこの事件の「目撃者」になります。

少年たちの人生が狂っていく様を覗き見る行為は、背徳感を刺激します。この映画は終始「録画」です。僕たち観客はただ彼らの暴走を傍観するしかありません。ここが肝だと思っています。小さなボタンのかけ違いが大きな破滅を招く、その過程を目撃しながらも止められないのです。非常にもどかしい気持ちを抱えながら、僕たち観客は映画に向き合わなければなりません。この「どうにもならなさ」こそ、思春期に抱える悩みや苦しみの源泉なのではないでしょうか。直に世界とぶつかった時の摩擦熱と、皮膚が擦り切れる痛み。「クロニクル」を迫真の青春映画たらしめているのは、このカメラと鏡というアイテムとそれらを駆使した語り口なのではないでしょうか。

 

アンドリューの心の叫び

繰り返しになりますが、「クロニクル」の面白さは、転落していくアンドリューの運命の「どうにもならなさ」であり、万能の力を得ても現実に抗うことができなかった彼の悲痛な心の叫びにあります。

「クロニクル」は残酷なことに「上げて落とす」タイプのお話になっています。冒頭の能力を得た3人の高揚感はいかにも高校生らしい無邪気さで可愛らしい。物を浮かす喜びに始まり、空を飛び回る爽快感。求めていたものがいまこの手の中にあるという全能感に彼らは浸ります。

その頂点がタレントショーです。学校で蔑まれてきたアンドリューがみんなの喝采を浴びる。これまでと打って変わって人気者扱いされ、調子に乗ってしまうアンドリューが切ないです。見ている僕も恥ずかしい気持ちになりました。なぜからそれが一瞬の輝きだと知っているから。地に足ついた感じが全くしないんですよね。ズルをして、満たされない気持ちを妄想で癒しているような痛々しさがあります。パーティーではチヤホヤされるアンドリューも、家に帰れば抑圧的な父と病気の母がいます。こんなものは刹那的な慰めでしかないのです。

初めは無邪気にいたずらをしていた3人も徐々に肥大化する自尊心に心を蝕まれていきます。しかも、どれだけ力が強くても、現実は思ったようにはなりません。空を飛べるようになったって、ムカつく奴の歯を引っこ抜いてやれたって、鬱屈とした生活はさっぱり変わらない。つかの間の全能感から突き落とされる絶望。残されるのは圧倒的な無力感と諦めの気持ちです。もうどうにでもなれ!とでも言いたげな、心の叫びが聞こえてくるアンドリューの最期が辛く苦しかったです。

 

溜めに溜めた末に全てを爆発させてしまうアンドリューを見て、みなさんもどうにか途中で軌道修正できなかったのだろうかと考えてしまったと思います。非常にモヤモヤの残るエンディングです。これがやはり最初に触れた思春期の「どうにもならなさ」という普遍的なテーマにもつながってくるわけですね。人によってはものすごく引きずってしまうような内容になっていたのではないでしょうか。大傑作でした。