「ウィーアーリトルゾンビーズ」感想
ウィーアーリトルゾンビーズ、超絶大傑作。両親を亡くした4人の子どもたちによるデッドパンコメディ。人生なんてクソゲーだ。シナリオどおりに進んでたまるか。レトロゲームのプレイ画面の上で、彼らは躍動する。この映画は、物語にもならない平凡な人生に絶望する「ゾンビ」たちへの強烈なビンタだ。
大人は希望を持てというけど。肝心の彼らは暗い顔をして、スマホを無心に睨みつけ、日々の生活に疲れ切っている。「そうして私たちはプールに金魚を、」でも感じたが、長久允監督はこの国のウンザリするような平凡さにたいする若者の絶望と、どんどん無感情になっていく人びとの心を捉えていると思う。
「オトナ帝国の逆襲」でいうところの大阪万博のように、「ウィーアーリトルゾンビーズ」のレトロゲームは、大人たちの「過去」を表している。しかしヒカリたちには帰りたい過去がない。そこにはひたすら現実への諦めがある。もう「希望」という言葉は薄っぺらくなってしまったらしい。
「あした世界が滅んだら面白いのに」と妄想する、思春期前の子どもたち。でも、両親が死んだってなにも変わらない。悲しいはずなのに涙がでない。夢や希望のないこの時代に、せいぜい望めるのは「平凡」な生活だが、静かに沈みゆく船の中で窒息する僕たちには、それすら高望みなのかもしれない。
それでもイクコは言う、「絶望ダッサ」と。ゾンビのままかもしれないけれど、その先にはひたすら青々としたら草原が広がっていて、たくさんの冒険が待っている。デカい夢なんてなくてもいい。ま、とりあえず「コンティニュー」してみようぜと。平凡に希望を見る涙ぐましさ。
シニカルな笑いに満ちた作品だけど、やはり根底にあるのは生き抜くことへの肯定である。子どもたちは親たちの死を目の当たりにするが、自分が死ぬことは一切考えていない。この先、「大人」になることは想像しても、老いていくことや、荼毘に付されて骨になることは頭にない。生きることだけ信じてる。