「すずしい木陰」感想
すずしい木陰、みた。柳英里紗が木陰のハンモックで揺られる様をただ眺めるだけの96分。途中なにか起こるのかと思ったら本当になにもない。こだわりの方法で炊き上げた白飯を、なにもつけずに召し上がれ…といった趣き。これを映画として褒めるべきなのか?どちらかというとインスタレーションだろう。
ただこれほど「映画館」という空間を意識させられた作品もない。ハンモックでうたた寝をする女性をじっと眺める行為には、こちらで如何様にも「鑑賞」できてしまう暴力性、そして断りなくのぞき込むような背徳感がある。アフタートークで守屋監督が言っていた「カメラを向ける恐怖」は観客も同じだ。
太陽の光が木の葉の影からあふれ、画面いっぱいに浸る場面がある。完全な偶然らしいが、これは「奇跡」と言い換えてもいい。柳英里紗がこちらを見つめる瞬間は、「ラ・ジュテ」の「まばたき」を思い出した。だが、これを映画として面白がっているかというと微妙だ。広義の映像作品ではあるが。
音響はともかく撮って出しの映像、フィックスのまま場面の転換もない。俺が映画に求める快楽とは違うベクトルなのはたしかだ。でも、この良い意味での軽率さ、身軽さみたいなものは、羨ましくもある。ところで、柳英里紗とカメラの距離感は絶妙だったと思う。もっと近かったらたぶんすぐ飽きてた。
もっと近くで見たいなあ…と思わされる微妙な遠さなのである。96分、眠気と戦いつつ何とかスクリーンにしがみつくことができたのも、このもどかしさのおかげだろう。柳英里紗の表情や、自由に伸びる脚の様子が、見えるようで見えない。見ようと思えば見える。そんないやらしさがあった。感想おしまい。