映画狂凡人

さいきん見た映画の感想を書いています。ネタバレありなので未見の方は注意してください。

「ジョイ」感想:肝っ玉母ちゃんの奮闘記

こんにちは。じゅぺです。

今回は「ジョイ」について。

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「ジョイ」は、女手ひとつで家を切り盛りする「肝っ玉母ちゃん」のジョイが、家庭用品販売の実業家として成功するまでを描く伝記映画です。デヴィッド・O・ラッセル監督では「世界にひとつのプレイブック」に続いて好きな作品ですね。

「ジョイ」ってなんども無性に見返したくなる作品です。ときどきジョイに会って、あの「肝っ玉母ちゃん」のエネルギーを浴びたくなるんですよね。やはり、ジョイの生き様が強烈な引力になっている作品だと思います。ジェニファー・ローレンスって田舎のヤンキーっぽいな〜って常々思っていたので、行き詰まって近くにいた親父の銃借りてストレス発散したり、交渉の場であえて目線を合わせずにプレッシャーをかけたり、という振る舞いがぴったり。きっと、モンスターな家族に立ち向かうためにたくましくなったんだろうと想像できます。

特にロバート・デ・ニーロ演じる父と、ヴァージニア・マドセン演じる母のインパクトは凄まじい。良くも悪くも自分の幸せしか考えない。ジョイはそのしわ寄せを食らい、散々な目にあいます。ものづくりへの関心や夢を一度は諦めたのも、父の横暴のせいでした。一方で、彼らの奔放な生き方が、ジョイのショッピング業界への進出の決断を後押ししたということもできます。ジョイにとっては、家族は自分を縛り付ける枷であると同時に、自らを形づくる原点でもあるわけです。

しかし、ジョイが羽ばたくことができたのは、彼女が自分の力とモップの魅力を信じて、何がなんでも一発当ててやろうという、諦めないハートを持っていたからでしょう。どれだけ辛い経験をしようとも、決して自分で自分を見捨てない。失敗を繰り返しながら、どんどん太く、たくましくなっていく。当時、メディアとして無限に可能性が広がり続けていたテレビの明るい未来と、田舎のバツイチ子持ち主婦から実業家の世界を駆け上がっていくジョイの人生が重なります。彼女の新たな「ステージ」の幕開けを予感させるQVCのスタジオ見学の場面と、そのあとに続くジョイの初ステージの場面の高揚感!ソフトスルーになったのが惜しまれます。きっと映画館で見たら素晴らしい興奮が待っていただろうに…と思わずにはいられません。

この後、ジョイは再び苦渋を舐めることになるわけですが、それでも、彼女はタダでは転ばないだろうという確信が、見ていてありました。だって彼女はバツイチ子持ち主婦からスタートし、ここまで駆け上がってきたのですから。クライマックス、銃をぶっ放し、ざく切りの短髪にサングラスで敵陣にカチコミに行く、どれだけ邪魔が入ろうとも執念で自分の道を開いていくジョイがカッコよかったです。僕的にジェニファー・ローレンスではベストアクトな作品。オススメです。

「死刑執行人もまた死す」感想:当時の観客はなにを思ったのだろう

こんにちは。じゅぺです。

今回はフリッツ・ラングの作品「死刑執行人もまた死す」の感想です。

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死刑執行人もまた死す」は、ナチス支配下プラハゲシュタポに追われるレジスタンスを描く戦争映画です。第二次世界大戦真っ只中の1943年に作られているせいか、戦意高揚を煽る内容になっています。「ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ」を見た時も感じたのですが、この時代のプロパガンダ映画は全体主義的な価値観を称揚していて、戦後のアメリカの歴史を思うと、非常に違和感があります。大義のために散っていく人びとに共産主義の香りすら感じました。こういう「みんなで団結して悪を倒そう!」みたいな映画ばかりかかっている劇場で、当時の観客がなにを思っていたのかは気になります笑

https://eigakyorozin.hatenadiary.jp/entry/2018/10/01/090056

死刑執行人もまた死す」も前半はそのニオイがきつく、わりと退屈しながら見ていたのですが、後半から一気にその型を崩し、方向転換していました。特にチャカの裏切りが発覚してから俄然面白さが加速します。物語は、ナチスへの抵抗から、仲間を売ることで自らの地位にしがみ付いていたチャカへの復讐劇に転じます。しかし、彼は所詮「長いものに巻かれろ」な小物なんですよね。ちっぽけで陳腐な悪なのです。だから、いくら「悪者」とは言え、信じていた人全員に裏切られて無残に銃殺されるチャカは、あまりにも情けなくて少々可哀想でした。彼もまたナチスという巨悪に捻り潰された哀れな男の一人なのです。チャカ一人死んだところで戦局は好転しません。むしろ本当の地獄は「これから」なのです。残酷に突き放すかのような(そして観客の闘志をくすぐる)「Not The End」の幕引きに鳥肌が立ちました。あえてカタルシスを削ぐ不条理なラストに、戦時中の恐怖や不安が見え隠れします。

この映画を見て思い出したのはロベルト・ロッセリーニの「無防備都市」です。権力によって人びとの生活が蝕まれていく恐怖と、かすかに芽生えた自由への希望が描かれていました。いずれの作品でも繰り返し描かれるのは「自由は勝ち取るものだ」ということ。おそらく当時この映画を見ていた観客たちの多くも、大切な家族や友人が戦場に送られていたことでしょう。そんな状況においてあえてこの「エンタテイメント」を見るということ。きっと彼らはそれぞれに今この国が直面してから困難に想いを巡らせ、先の見えない不安や恐怖にある程度の折り合いをつけていたのではないでしょうか。そこにある救いや慰めにこそ、フィクションの力があるのだと思います。そして、先の大戦を「歴史」の1ページとして知る現代の観客は、いまある自由はおびただしい死体の山の上に築かれたものだと改めて気づかされるのです。「死刑執行人もまた死す」は時代によって見え方が変わる作品と言えるでしょう。そこが映画の面白いところかもしれませんね。

「ラルジャン」感想:一瞬の無駄のない完璧な87分間

こんにちは。じゅぺです。

今回はロベール・ブレッソンの遺作「ラルジャン」の感想です。

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ロベール・ブレッソン監督といえば、独自の理論に基づき構築された静謐かつ無駄のない演出が特徴的でしょう。未読ですが、彼の映画論が記された「シネマトグラフ覚書」は多くの監督に影響を与えました。僕のオールタイムベストの一本「ハッピーアワー」を監督した濱口竜介ブレッソンの理論を土台にして独自の「濱口メソッド」を編み出しています。

https://eigakyorozin.hatenadiary.jp/entry/2018/08/30/090039

僕はこれまでブレッソンの作品は「少女ムシェット」と「バルタザールどこへ行く」を見たのですが、正直あまりハマりませんでした。無駄を削ぎ落とした究極にシンプルな演出がイマイチ馴染まなかったんですね。しかし、ようやく「スリ」でその面白さに気づき、ついにこの「ラルジャン」でどっぷり彼の世界に浸かることになってしまいました。とんでもない大傑作です。以下、その良さについて考えていきたいと思います。

ラルジャン」は、小遣い欲しさの少年の小さなウソが、大人たちの醜いごまかしを招き、やがて一人の妻子持ちの男の人生を大きく狂わせてしまう…というお話。「少女ムシェット」や「バルタザールどこへ行く」に比べるとストーリーに起伏があり、まず前提として見やすい内容になっていると思います。偽札がキーアイテムになっており、たった一枚の紙切れで堅実に生きていた一人の人間の将来をメチャクチャにしていく…という冒頭からは全く予想もつかない展開はサスペンスとして面白いと同時に、この世の不条理を冷酷に突きつける人間ドラマにもなっていて、非常に素晴らしい脚本だと思いました。

そして、この濃厚な脚本をたった87分でまとめ、芸術作品として一級のものに昇華させるブレッソンの演出が絶品なのです。刑務所の食堂で杓子が滑る音、老婆の手にかかるコーヒー、血の匂いに騒ぐ犬。感情を排し、断片的な音の情報だけですべてを物語ります。最小限の面積に様々な記号や意味が詰め込まれているので、ただ受け身で見ていると見落としも多いと思います。

非常に興味深いのが、この映画は人物のテンションのピーク、感情がもっとも高まる部分は、あえて「見せない」という選択をすることです。リュシアンが警察に捕まる現場も、イヴォンヌが食堂で暴行を働いたり、娘の死を知り絶望する様も、その「前後」しか描かれません。演劇的な俳優の演技を徹底的に嫌ったブレッソンならではの見せ方だとは思いますが、おかげでとてもシャープで洗練された印象を与えます。

また、執拗なまでに繰り返し登場する「扉」も印象的でした。僕は人物が扉の向こう側へ行くたびに、物事が悪い方向へ転がる不吉な予感がしました。「こちら」と「あちら」を区切る扉は、そこにいることを厳しく拒絶しているかのように映ります。

映画の面白さはリズム=編集が大きく左右するのだということを改めて実感しました。エッジの効いたショットのつなぎが独特のリズムを奏で、うねるようなダイナミズムを生み出しているのです。極限まで無駄を削ぎ落とした演出には、運命に振り回される人間たちへのどこかシニカルで冷めた目線すら感じます。心震える大傑作でした。

「惑星ソラリス」感想:胸に澱む後悔と向き合いながら

こんにちは。じゅぺです。

今回はタルコフスキー監督の名作「惑星ソラリス」について。

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惑星ソラリス」は、知性を持つ海によって作られた亡き妻ハリーの「複製」と出会ったクリスが、科学者として愛情と倫理の間で揺れ始める様を描くSF映画です。

「2001年宇宙の旅」と並んで「眠気を誘う」SF映画としてよく名前を挙げられますが、僕もしっかり寝落ちしました笑 お話の筋が少々追いにくい上に、会話の内容も抽象的かつ哲学的で、一生懸命追いかけていても途中で集中力が途切れてしまうんですよね。おかげで何度も巻き戻し、欠落した部分を見直す必要がありました。なので普段よりもじっくり時間をかけて作品に向き合えているかもしれません笑

とはいえ、じゃあこの映画は何を描いているんだろうと考えてみても、なかなか一言でまとめるのは難しいと思います。会話のいたるところにヒントになりそうなキーワードも散りばめられているのですが、言っていることがわかるような、わからないような、ふんわりと輪郭を掴むことしかできません。

惑星ソラリス」はストーリーの流れを追いかけても本当の面白さがわかるタイプの映画ではありません。詩のように情感豊かな映像と音楽の調和に浸ってこそ、真の価値があるのです。

たとえば、冒頭から印象的に挿入される、波にたゆたう水草は、まるで意思を持って動いているかのように活き活きとしていて、ソラリスの海とハリーの複製のイメージに重なります。また、本作「惑星ソラリス」をうたいつつ、お話のほとんどがソラリス上空に浮かぶ調査船内で展開されますが、その描写のきめ細かさも見応えがありました。(カメラのことは詳しくありませんが)レンズが奥の奥までしっかり空間を捉えていて、非常に「深い」絵になっているんですね。先の先まで湾曲して一つの円のように続く宇宙船の通路は、クリスたちが内面世界の迷宮に迷い込んでしまったことを表しています。クリスが空想の世界から抜け出せなくなってしまったことを暗示する「屋内に降る雨」のショットも不穏さと死の匂いを漂わせていて、とても印象的でした。「惑星ソラリス」の面白さは、こうした映像体験にこそ立脚するものだと思います。

よくわからないなりにも映像を楽しみながら鑑賞していく中で、やはりいちばん混乱したのはラストです。あんまりお話の中身を理解しないまま(途中寝落ちもはさみつつ)見ていたので、とっさには内容を理解できませんでした。しかし、あとからじっくりかみしめていくと、全体をつかむ上であのオチは欠かせないと考えるようになりました。空想に浸ることを選んでしまったクリスの悲劇的な姿から思うのは、かつて犯した過ちへの後悔は、いつまでも暗く胸の奥に澱み、人間の理性は、得られたはずの愛への渇望によって簡単に揺さぶられてしまうということです。あまりにリアルな幻影が実体を持って目の前に現れたとき、人はそれを「偽物」として退けることができるのだろうか。拒絶できなかったら、それは「弱さ」なのだろうかと、考えてしまいましたね。

正直、スローテンポな話運びに、抽象的な会話劇にはついていけない部分もありました。ショットの切れ味なら「ノスタルジア」の方が圧倒的に上回ってると思います。しかし、見ている最中の興奮もさることながら、見終わった後、一つひとつの要素を再構築して考察するのもなかなか楽しい体験でした。いずれまた見返そうと思います。今度は眠くない時に笑

「バイス」感想:リアル「ハウス・オブ・カード」の世界

こんにちは。じゅぺです。

今回はアダム・マッケイ監督最新作「バイス」について。

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バイス」は、「史上最強の権力を持った副大統領」と呼ばれ、ブッシュ政権を陰で操り、イラク戦争を煽動したといわれるチェイニー副大統領の半生を描く伝記映画です。監督は「マネー・ショート」のアダム・マッケイ。プロデューサーにはウィル・フェレルブラッド・ピットなど。「サタデー・ナイト・ライブ」の出身者が多く参加しているようで、コント的な空気感の笑いの中に強烈な社会風刺を込めた作品になっています。

 

リアル「ハウス・オブ・カード」

海外ドラマはそれほど見ない僕ですが、「ハウス・オブ・カード」という政治ドラマはハマって見ていました。残念ながら主演のケヴィン・スペイシーがハリウッドから追放されたので、主役不在のまま製作されたシーズン5はグダグダなヘナヘナでひどい駄作になってしまいましたが、シーズン3ぐらいまではかなり面白いシリーズでした。このドラマはホワイトハウスを舞台にした作品でして、主人公のフランク・アンダーウッドが下院民主党の院内総務から始まり、さまざまな陰謀で政敵を蹴落としながら、国務大臣、副大統領、大統領と権力の階段をのし上がっていく様が描かれます。憎たらしいまでにクレバーで悪辣なフランクは、まさしく「悪のカリスマ」ともいうべき人間で、こんな政治家いたらやだなーと思うけど、ただ愚直に権力の高みを目指し続ける姿に惹かれてしまうのです。言うことを聞かない政治家は徹底的に追い詰めて死に追いやるほか、大統領選で劣勢に立たされたシーズン4ではとんでもない奇策を繰り出すなど、まあドラマだから許せるよねって部分も多いんですけど、残念ながら「バイス」を見ると、あながちあれもウソではなかったのだと気づきます。フランク・アンダーウッドは実在したのです。

 

存命の政治家をこき下ろすスピリット

アダム・マッケイ監督のスタンスは割とはっきりしています。もう全体から「クソくらえ!」って叫びが聞こえてきます笑 特に取り柄もなかった男が、根拠のない凄みと運に助けられながら、徐々に陰謀家としての経験と技を身につけていく。フランク・アンダーウッドのように、ときに逆境を糧にして、運にも助けられながら、陰湿な権力者へと育っていきます。基本的に登場人者はみんな「アホ」として描かれているので、みんなが大真面目にことを進めているのに、状況はどんどん悪化していくという、理不尽劇の趣もありました。最近演技派としての評価の方が一般的になりつつあるスティーブ・カレル案じるラムズフェルドなんて、絶妙に軽薄で頭悪そうな感じに描かれています。チェイニーの前で下ネタ言って滑る場面の「ズレ」感だったりは、この俳優にしか出せない味わいだと思います。

きわめつけはサム・ロックウェル演じるブッシュ大統領。チキンにかじりつきながら指をちゅぱちゅぱ舐める時のあのアホ顔!ひん曲がった口もだいぶ誇張されてますが、特徴を捉えています。なかなか愛嬌があって可愛いおっさんなのですが、あんなのがアメリカの大統領だったと思うと寒気がしますよ。

あと「偽エンディング」はかなり笑えましたね。さっさと歴史の表舞台から去ってくれればよかったのにと言わんばかりの作り手たちの思いがにじみ出ていました。ここまで存命の政治家たちをこき下ろせるハリウッドの環境がすごいと思います。日本だったらまずこんな企画にはお金が集まらないでしょう。

 

独特の編集とユーモアのセンス

チェイニーという男は陰で政治を操っていた人間なので、本来地味な話になりそうなところなのですが、「マネー・ショート」に引き続きハンク・コーウィンの編集と、アダム・マッケイの捻くれまくった世界観でだいぶ見ごたえのある内容になっています。驕れる権力への怒りや失望、無関心な観客への警告をトリッキーな編集と意地悪な皮肉で見せるテクニックは、ハリウッドのクリエイターの中でもトップクラスでしょう。

とくに爆発の映像を使った場面転換を繰り返したり、時系列が前後したりと、見にくかったり、それってどうなのと思う箇所もあったけど、編集はかなり面白かったです。国家の中枢に私欲にまみれた陰謀家たちがうごめく混沌を刺激的に描いていたと思います。

エンタメとして最高に楽しめるが、彼らによって昨今の混沌がもたらされたのだと考えると笑ってもいられません。あのエンドクレジット後の映像は「おいおい、笑ってるお前らはどうなんだよ?」と観客に冷や水をぶっかける、かなり強烈なパンチでした。いまやブッシュやチェイニーを超える怪物を生み出してしまったのが、このアメリカという国なのです。さて、日本はどうなんでしょうね?

「ひなぎく」感想:若さと美を兼ね備えた「最強」姉妹

こんにちは。じゅぺです。

今回はチェコヌーヴェルヴァーグの代表作「ひなぎく」について。

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ひなぎく」は、無軌道に生きる二人のマリエを描く旧チェコ・スロヴァキアの映画です。日本では90年代に「女の子映画」として人気を博しました。旧共産圏独特の刺々しいセンスとキッチュで前衛的な演出が魅力です。

チェコ・スロヴァキアの作品ということで、おそらく共産党支配の社会のあり方を問うという姿勢が背景にあるのだろうと思います。アヴァンギャルドで荒唐無稽、ほとんど筋書きもなく進むため、非常に難解ではありますが、フィルムの性質や素材感を生かした「遊び」たっぷりの映像を見ているだけで楽しい内容になっています。不思議な切り絵の数々、ナイトクラブでの狼藉、並べられた蝶々の標本、悪趣味なパイ投げ合戦。どれも強烈で一度見たら忘れられません。

主人公の二人のマリエは、ひたすら寄生と破壊をくり返す非生産的な毎日を送っています。二人して男どもを釣り上げてタダ飯を食らう様は痛快です。若さと美を兼ね備えた彼女たちは無敵です。歯車のように労働(ファーストカットは「歯車」なのですが、破滅的に生きるマリエに対置されていると解釈できます)に勤しんで「幸せ」を演じるのが本来の生き方なのか。この映画はマリエたちの目線を通じ、体制への批判を交えつつ、そんな生き方に「NO」を突きつけます。彼女たちは常道に精いっぱい抗うのです。ファーストカットに「歯車」と並んで挿入される「きのこ雲」は姉妹の結末を暗示しており、その通りになる破滅的なラストには、抑圧への絶望と権力への闘志を感じます。

本作を貫くのは、若く麗しいマリエたちの無邪気で傲慢な暴力性だと思います。思い付いた「悪さ」を手当たり次第に実行する彼女たちの脳内を覗き込むかのようなモンタージュ的編集は、見るものを混乱させますが、このカオスこそが逆説的に体制への批判になっているのではないでしょうか。大いに刺激的な映画でした。

「スリ 」感想:物語る「手」

こんにちは。じゅぺです。

今回はロベール・ブレッソン監督作品「スリ」について。

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「スリ」は、スリにのめり込んでいく青年ミシェルと、彼の母のアパートの隣室に住むジャンヌが、恋に落ち惹かれあっていく様を描く作品です。冒頭に「これは刑事物ではない」と字幕が出てくる通り、これはスリという犯罪そのものよりも、ミシェルの魂の徘徊と、その行き着く先にあるジャンヌへの愛が主眼になっています。

ロベール・ブレッソン監督の作品は「少女ムシェット」と「バルタザールどこへ行く」を見たことがあります。どちらも人物に表情の変化が乏しく、淡々と対象を写すため、初見時は難解な印象を受けたのですが、そのあとブレッソンの「シネマトグラフ」の考え方を知り(といっても深くは理解できてませんが)、ある程度腑に落ちた、といったところです。正直、よく名前が挙げられるほどには良さがわからないな〜と思っていました。

しかしこの「スリ」は前に見た2作に比べるとわかりやすく、非常に楽しめました。本作は「手」こそが真の語り手になっています。雑踏に紛れて伸びる指の軽やかな動き、静寂の中に訪れる一瞬の孤独。スリをする場面は、これぞ映画というべき快楽と緊張感にあふれていました。盗みを犯すその瞬間、ミシェルの存在は世界から消えます。誰にも気づかれないように気配を消す、たった数秒の戦いの間、ミシェルは独りぼっちになるのです。

ミシェルは感情を見せません。表情もほとんど変化しない。だけど、そこにこそ彼の孤独を見つけられると思います。一時の気の迷いから始まったはずのスリが、彼の心のすきまにぴったりとハマったのでしょう。手先が器用であったばかりに、進むべき道を見誤ってしまうのです。一方で、スリを始めなければジャンヌと出会うこともなかったというところに、人生の皮肉を感じます。

物語は、競馬場に始まり、競馬場で終わる円環構造になっています。スリという冒険に身を投じ、大きな回り道をした末にミシェルがたどりつくのはジャンヌ。ラストシーンで、牢屋越しに頬を寄せ合う二人の美しさ!今井正監督「また逢う日まで」を思い出す。ささやかながら複雑な迷宮のゴールにある、儚くも希望に溢れた景色。非常に素晴らしい作品でした。