「ゴヤの名画と優しい泥棒」感想
ゴヤの名画と優しい泥棒、観た。不条理な世の中を乗りこなすケンプトンの飄々とした生き様に惚れる。間違っている事は間違っていると言う。彼に振り回されながらもなんだかんだ見守ってくれるドロシーも素敵。落語みたいな義理と人情とペーソスと。これが実話だというのがいちばんの救いである。
ジム・ブロードベントとフィオン・ホワイトヘッドなんて親子というより祖父と孫では?と思ってしまう歳の差だが、そこらへんは特に説明されずに話が進んでいく。ヘレン・ミレンといえば「黄金のアデーレ 名画の帰還」ではライアン・レイノルズと一緒にクリムトの名画を取り返す側だったのを思い出す。
労働者階級の貧乏な暮らしの中でも、朝起きてごはんを食べて、職場からパンを持ち帰り、競馬が当たったら外食をして…という食事にまつわる描写が印象的だった。ケンプトンは、雨の中、ダンボールの看板で受信料の反対運動なんて、だいぶクセが強いジイさんだが、市民としての矜持を忘れない男なのだ。
冒頭、証言台に立つケンプトン。どこか力の抜けたユーモラスな受け答え(「無罪です」としか答えていないのだが。ここのジム・ブロードベントの演技に作品の「引き」を一点突破で賭ける演出もいい)と、思わず笑ってしまう女性裁判官の横顔で、この映画をどう楽しむべきか?は示されている。安心設計。
ドロシーの機嫌がいいかどうかはキッチンでの受け答えでわかるのも面白い。ヤカンを沸かしながらケンプトンと上機嫌にダンスをするシーンでは、うしろのコンロ危なくない?と、そんな展開あるわけないのに気が気でなかった笑 個人的には後日談の次男にまつわるエピソードが好き。ホロリときた。