「そして誰もいなくなった」感想
そして誰もいなくなった、みた。孤島に閉じ込められた10人の男女が、童謡の歌詞の通りに次々殺されていく…。原作未読。一人、また一人と無残な死に方をしに、謎が謎を呼ぶ。それでいてユーモアも忘れない。徐々に候補が絞られていくので、犯人探しの推理も楽しめる。最後はどうかと思うが…傑作!
いきなりロシア人が死ぬのもドキッとさせられるし、屋敷の電気が不安定になり、照明が明滅する中での駆け引きから一気に犯人探しが加速するのもたのしい。毛糸が二階から垂れてきたり、誰かが死んだことに気づくキッカケも、いかにもミステリーって感じでいい。ちゃんとクリスティの原作も読まなきゃ。
「サウナのあるところ」感想
サウナのあるところ、みた。サウナ王国フィンランドの異色ドキュメンタリー。男なら泣くな、弱みを見せるな。そう育てられた男たちが、心も裸に、先立った家族との思い出や、運命の人との出会いについて語りだす。石の上で水の焼けるジュワッという音が心地よい。つねに全裸なのはやはり可笑しい。
サウナのドキュメンタリーということで、能天気で癒される映画なんだろうと思っていたが、まったくの逆だった。男たちの語る話は重く、ほとんどが彼らの人生の形を大きく変えてしまった悲劇だ。でも、男たちは全裸だ。それだけでちょっと可笑しい。汗の流れる、固そうなその肌に人生が刻まれている。
サウナという場には日常があふれている。石とベンチだけではない。アメニティが転がっていたり、飲みかけの酒瓶が置いてある(サウナでビールなんて!)。一人用の電話ボックスみたいなサウナもあれば、キャンピングカーを改装してシャワーまで完備したサウナもある。豊かな文化と生活がここにある。
フィンランドというふだん馴染みのない国の風俗に触れられるだけでも、とてもいい映画だと思う。ドキュメンタリーと呼ぶには作為的な部分も多く感じて、あまりにドラマティックすぎるかなあとも思うけれど。サウナ、入りたくなったなあ。
「アイネクライネナハトムジーク」感想
アイネクライネナハトムジーク、超絶大傑作。ずっと見ていたいと思える映画だった。人生において時々起きる「劇的なできごと」が幸せをもたらす?いや、たいていは平凡に生きる僕たちを温めてくれるのは、ささやかな日常であり、小さな夜の積み重ねだ。街の灯りは、そんな営みの証明なのかもしれない。
佐藤のくしゃっと崩れた不器用な笑みと、紗季のやさしさがにじみ出たはにかみ。客人のためにスイカを割る、帰ってきた娘のためにポトフを煮込む、リビングの植物に水をやる。仕事から帰ってくると、家に灯りがついている。「いつもの人」が路上ライブで駅前の景色に彩りを与える。かけがえのない営み。
いたるところにイベントとセリフの反復が散りばめられている。「あなたとわたし」しか知らないささいな出来事、秘密の会話。他人から見れば何でもないことかもしれない。でも、僕たちにとってそれは、とても大切な人生の思い出のアルバムの1ページで。ふと振り返っては笑みがこぼれてしまう瞬間。
ひとりでラーメンを食べる藤間=原田泰造に泣かされた。あのオーバーラップはとても良い。久留米くんとかね。何すればよくわからなくて他人に頼りたいとき、期せずして他人に背中を押されて前に進めること、あると思う。この映画に出てくる男は情けなく、決して強くはないのだが、しっかり生きてる。
「HELLO WORLD」感想(ネタバレあり)
HELLO WORLD、みた。直美が瑠璃と出会う時、すべてが始まる。瑠璃を追いかける中で明らかになる二人の運命と世界の秘密。自分の気持ちと向き合い、丸ごと愛おしく抱きしめる。きみこそが世界そのものなのだ。これはアダムとイブがエデンの園を追放される、創世記のヴァリエーションなのかもしれない。
「HELLO WORLD」における直美と瑠璃の関係を見ると、どうしても北村匠海と浜辺美波という二人を思い出さずにはいられない。リアルとフィクションの相補的な力を感じてしまうのだ。そして物語として直接の関係があるわけでないが、「君の膵臓をたべたい」も何度か頭をよぎった。
立ち止まらざるを得ない悲劇があったとしても、直美は、そして物語は、つねに未来のほうを向いている。一見すると複雑だけど、先へ先へと引っ張る力が中心にある。複層的で幾重にもレイヤーを積み重ねながらも、構造としてはじつはすごくシンプルなのだと思う。
「 HELLO WORLD」は、プログラミング言語の入門書のいちばん最初に載っている例文だ。それを頭に入れておくと、この映画に感じていた重々しさみたいなものはふっと晴れるのではないかと思う。終盤、直美がとある人物にかけられる言葉とそのあとの行動(=未来のナオミが、自らの命と引き換えに、世界の安定と過去の自分の幸せを取り戻したこと)に心揺さぶられた。あれはまさしく自己愛だと思う。
北村匠海のナチュラルな演技も、浜辺美波のすこし揺れるような声も、すばらしかった。松坂桃李は、少々ミステリアスかつダーティな役柄にぴったり。地味に福原遥もよかった。中盤以降のアニメーションは、さまざまな映画が頭をよぎった。たとえば、全体の構成は「エターナル・サンシャイン」に近いし、電子世界の移動は「ドクター・ストレンジ」の異世界旅行の場面、クライマックスの月面は「インターステラー」を思い出した。
さらに物語の骨子は細田守(電子世界はもろに「サマーウォーズ」でした)と新海誠、そして庵野秀明。
OKAMOTO'SやOfficial髭男dismの起用は、もろに「君の名は。」の影響を受けているだろう。パーツごとに分解すると、それほど新しい要素はなく、デジャブすら感じるのだが、混ぜ方がうまい。いい塩梅に、丁寧につくっていると思った。本当はゴリゴリのSFなのに、それなりに口どけまろやかになってる。
ここまで複雑でないにしても、新海誠監督の次回作はハリウッド映画のテイストを取り込んだSFかなあと思っていたので、先取りされてしまった感じがある。
「人間失格 太宰治と3人の女たち」感想
人間失格 太宰治と3人の女たち、みた。太宰が「人間失格」を書くに至るまでを描く伝記的映画。振り回され、傷つき、愛を求める妻と二人の愛人。太宰は彼女たちの魂を吸い取るように作品を書き、文壇のスターの階段を駆け上がっていくが、その実、獲物にされていたのは太宰の方なのかもしれない。
蜷川ワールド、一回で十分かもしれないと思ってしまった。このあいだ見た「ダイナー」とほぼ同じだからだ。万華鏡のように、妖しく輝く光も、死のイメージと直結する、舞う花びらも、前作と代わり映えしない。伝記映画の切り口としては面白いが、彼女の手法にすでに飽きているきらいがある。
なるほど今回はそうきたのね!って感じはない。はじめに蜷川ワールドがあって、その土台の上に作品を乗っけている。メニューが一つしかないこってりラーメン屋。せめてチャーシュー麺ぐらい置いてくれよと。その味が好きな人にはたまらないのだろうけど。そして相変わらず映画的ではない。
映画的って何?という話になってしまうけど、どちらかというと演劇的なのではないか、というのは多くの人が指摘していると思う。3人の女それぞれの居場所=家があり、太宰には書斎と酒場があり。酒場での取っ組み合いの場面が何度かあるが、カメラで切り取られたドラマというより舞台での演技だった。
わりかし文句多めになってしまったが、それぞれに葛藤を抱え、それでも太宰のほうを向かずにはいられない3人の女たち=宮沢りえ、沢尻エリカ、二階堂ふみはよかった。そして何より小栗旬。見てくれこの美しい顔!感じてくれこの色気!という蜷川実花の叫び声、私にもしっかり届きました。