映画狂凡人(映画感想ツイート倉庫)

さいきん見た映画の感想を書いています。ネタバレありなので未見の方は注意してください。

「清水港代参夢道中(続清水港)」感想

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清水港代参夢道中(続清水港)、みた。舞台監督が「森の石松」の世界に飛ばされ、石松本人になってしまう。筋書き通り進めば最期は討ち死だが…。浪曲×ミュージカル×タイムスリップの斬新さ!音質が悪くて話を追うのに苦心したが、「オズの魔法使」みたいな夢落ち大団円が良い。会話もリズミカル!

肝心の「森の石松」をよく知らないので、そこだけでも事前に調べておけば…と思った。よく講談のテーマになるみたいですね。面白いなぁと思ってた中盤の丁々発止のやりとりが「寿司食いねぇ!」の元ネタだと、見終わってから知った。孤児を拾う展開は「丹下左膳餘話 百萬兩の壺」を連想。

轟夕起子マキノ雅弘の奥さん!)演じるヒロインのおふみが健気でいい。ちょこちょこと石松についていくのがかわいい。しかし、音が悪すぎて話の半分ぐらいしかわかってない気がする。これぐらいのマスターしか残ってないのか。マキノ雅弘は「鴛鴦歌合戦」しか見てないが、もっとチェックせねば。

浪曲ミュージカル映画っぽくやるのって斬新だなと思ったけど、俺が見てないだけで昔の作品には多いのかしら。二代目広沢虎造フィルモグラフィーをみて思った。まだまだ世界は広そうだ。

「すくってごらん」感想

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すくってごらん、みた。田舎に左遷されたエリート銀行員が、金魚を通して立ち直っていく和製ミュージカル。好きになれそうだったのに、全くハマらなかった悔しい作品。尾上松也のキャラが単にひとりで盛り上がってる童貞にしか見えず…。ちょっと演出と脚本がなあ。最後までちぐはぐでした。

石田ニコルがいちばん魅力的でしたねえ。メチャクチャ妖艶というか色っぽくて。歌もうまくてこれから演技方面でもたくさん見たいなと思った。百田夏菜子は天真爛漫のイメージが強く、男を惑わすミステリアスな女性の役はいまいちピンと来ず。少なくとも彼女をそう見せるだけの演出になってない。

尾上松也のキャラは最初から最後まで何したいのかわからない。てか、そもそも金魚すくいが扱われないのが謎だ。奈良の街並みも、行ってみたいとは思わなかった。非常に箱庭的な撮り方をしていて、どこになにがあるのか、地形、住人はどうなのか。予算のせいかただの背景にしかなってない。

ミュージカルパートは「ラ・ラ・ランド」のマジックアワーをそのまんま意識した丘の上の夜景のパートがあったり、銀行内での判子連打でリズム奏でる序盤は「君も出世ができる」を連想させたり。悪くないけど、グッとくるほどではなく。まあ、ここは完全に好みですねえ。

「ラジオ・コバニ」感想

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ラジオ・コバニ、みた。ISとの戦闘により荒廃したシリアのクルド人街・コバニ。ふたりの大学生がこの地でラジオ局を開設し、街の再建を見つめていく様を追うドキュメンタリー。ニュースで知ったつもりでも、改めて瓦礫の山になった街の様子を見るとことばを失う。しかし、希望の灯は消えていない。

廃墟になったビルの解体作業。コンクリートの破片の山から埋もれた遺体を引きずり出す。どれも、とてもこれが人だったとは思えないほどボロボロで。布切れみたいに薄い。軽々しく投げ捨てられる人の手足、誰かの顔だったもの。それを子供たちが鼻をつまみながら見ている。虚しくなってしまった。

復興×ラジオのテーマ設定は「陸前高田災害FM」を追った小森はるか監督のドキュメンタリー「空に聞く」を思い出す。東日本大震災の被災地といえば「女川さいがいFM」も有名だ。復興と災害の関係は興味がある。破壊された日常とコミュニティをつなぎとめる手段としてのラジオ。その底力を知る。

「野球少女」感想

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野球少女、みた。「女性にしては」の枕詞がつきまとう。プロ野球選手を目指してガラスの天井に抗う高校生の物語。「梨泰院クラス」でおなじみのイ・ジュヨン、すばらしい役者ですね。深めに被ったキャップからのぞく目つきの鋭さ!主人公のことが好きで堪らなくなった。小品だが、熱く爽やかな作品。

イ・ジュヨンの華奢な身体はプロ選手を目指すにはあまりに細すぎて、残念ながらスポーツ映画としての説得力はあまりなかったのだが、逆にあの心許ない佇まいがまわりの大人の「いやいや、やめとけよ」というリアクションを際立たせていたと思う。しかし、演技は体格だけでするものではない。

何度も失望しながらも、立ち上がる力強さを、イ・ジュヨンは小さな身体で表現していた。頭ごなしに否定するコーチーに対する、怒りを含んだ目つき。母親と接するときの刺々しさの残る口調。そして、マウンドでの風格。この手の映画は主人公を応援したくなることが大前提だけど、その点では満点だった。

いい意味で「厭だなあ」と思ったのは、誰もみんな表立って「女だてらに」とは言わないこと。そもそも男でもプロになるのは難しいのに、実力あるの?と。たしかにその考えも間違いではないし、プロになれなかったコーチや、お金のやりくりに苦心する母親の言葉は、スインの将来を心配したものでもある。

しかし、スインが同じ実力の男の子だったら、まったく同じリアクションだったのだろうか。これは男/女という「区切り」に限った話ではないが、結局のところ前例がない、誰もやったことがないから、まわりの大人も背中を押せないのである。変に夢なんてさせたら無責任じゃないかと。

あと、映画としてはヘタに恋愛要素を絡めなかったのがよかった。スポ根モノ(この作品は根性よりいかに立ち回るかにフォーカスがあったけど)に恋愛は必須でないよな、と。そして、戦い続けることは決して自分のためだけではない…と伝わるお話になっていたのもよかった。品のいい映画だったと思う。

「あのこは貴族」感想

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あのこは貴族、みた。生まれも育ちも渋谷区松濤の華子と、富山から上京して働く美紀。東京はデカくて寛容なようでいて、じつは小さなムラの集まりなのだ。この階層からは抜け出せないのかもしれないという息苦しさ。しかしそのうっすらと続く微温的な地獄に、ふと新しい風が流れ込む。これは傑作!

東京の街中歩いてると「この高級ホテルはどんな層が使ってるんだろう」とか「角の先にお屋敷がいっぱい並んでいるな〜」みたいなことを思う機会は多々あり。ただ、実際その層の人たちと出会うことはないし、どんな生活をしているかも全く見えないわけです。暮らしてる空間が庶民と違うから。

だから富裕層の実態は分からないのだけど、正月からタクシーに乗り、高給ホテルで晴れ着姿の親戚たちと会食をする冒頭のシークエンスはゾクッとして。ちょっと怖くなるぐらい「リアル」だった(彼らを知らないのでどこまで本当なのか知らないけど笑)。お前らここでこんなことしてたのか!みたいな。

華子は正月にきらびやかな丸の内のビル群をタクシーで抜け、ホテルへと向かう。一方の美紀は、弟の車の助手席で、富山駅前のさびれたシャッター街にため息をつく。異なる世界の住人たち。同じ日本人なのに、見える景色はまったく違う。みんな触れないけど日本には「貴族」がいる。みんな平等ではない。

ホテルのカフェテリアで食器を落としたとき、自分で拾おうとする美紀と、手を挙げて店員を呼ぶ華子。所作ひとつ取っても「生まれ」の違いが出る。彼女は高層ビル群のすきまから見える東京タワーを「新鮮だ」と言った。松濤のお屋敷から東京タワーは見えないから。なんてせまい世界なんだろう。

華子が青木家に「ごあいさつ」に伺う場面。あの窮屈で酸素の薄い空間に、こじんまりとたたずむ幸一郎を見たとき、ああ、この人に自由はないんだなと思った。後継を生む、地盤を継ぐ。ほとんど「身分」を守るために生きているようなものである。しかも彼は弱音を吐かない。そこが怖い。

はじめからサイズの合わない結婚指輪、扉の向こうで知らない誰かと話す夫。見てくれると約束してくれたはずの「オズの魔法使」。あらかじめ決められたシナリオを生きる窮屈な人生。一方、富山から成り上がってきた美紀も「老後の暮らしはどうなるか」と友人と嘆息する。この映画は東京の空を映さない。

「息の跡」感想

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息の跡、みた。小森はるか監督初長編作品。津波で流されてしまったタネ屋をプレハブで再開する傍ら、みずからの体験を外国語で本にまとめる佐藤貞一さんを追うドキュメンタリー、監督自身が聞き手になり、ただじっと言葉を待つ。何かを引き出すのではなく、待つ。「撮る」ことの誠実さがここにある。

佐藤さんの人柄がよく伝わる映画だ。「いまの分かった?」と繰り返し監督に聞いたり、「テレビ局で高給取りになる方がいいんじゃないか」と言ってみたり。そして津波の被害に遭ってもなお前に進み続ける力。英語で本を書き、さらには中国、スペイン語…。

自分の体験を絶対に残すんだ、後世に伝えるんだという覚悟。海外の津波史も学び、あの日起きたことに真正面から向き合っている。御神木の年輪を調べて、江戸の大津波よりあとに生まれたはずだから、樹齢千年もないだろうと結論付けるくだりが面白かった。しかし、一方で御神木は御神木なのだとも言う。

ラストは印象的。佐藤さんのタネ屋もまたかさ上げ工事の対象となり、12メートルの高台の下に埋れていく。「いつかどこに何があったか絶対に忘れるから、記録してくれ」と。瀬尾夏美が言うところの「二重のまち」がここにも生まれる。解体工事の虚しさ。しかし、天に伸びる井戸の管には希望が見える。