映画狂凡人(映画感想ツイート倉庫)

さいきん見た映画の感想を書いています。ネタバレありなので未見の方は注意してください。

「スパイダーマン ファー・フロム・ホーム」感想(ツイッターより再掲)

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スパイダーマン ファー・フロム・ホーム、みた。超絶大傑作!好きな女の子とのデートと世界を救う戦い、どっちをとる?16歳の少年には重すぎる使命。しかし、ヒーローはいつでも「正解」を選ばなければならない。自分の弱さを受け入れ、彼が本当に戦わなければならない「敵」とは。MCU最高傑作の1本。

アクションも前作「ホームカミング」から格段にパワーアップしていて、すごく見応えがあった。今回は基本的に嫌々ながらの参戦なので軽口叩きながら、ではなかったけれど笑 機転を利かせてアイテムを活用し、ときにDIY精神を発揮しながら敵に立ち向かう、スーパーパワーだけでなく知力を使うスタイル。

なかなかトリッキーなギミックを使った戦闘も。「ホームカミング」のラストでも飛行機にしがみつきながらの空中アクションは工夫を感じたけど、今回はもっとすごい。1作目のサム・ライミ版から17年になるが、ついに映像技術でここまで派手で超現実的なアクションを撮れるようになったのかと。感動。

今回、トニー・スターク亡き後にミステリオという「異次元からの男」が現れた意味、そして、ピーターがもがき戦う姿から見えてくる「現代」の景色については、ストーリーの根幹に触れることになってしまうので、別ツイートでまとめてみようと思う。本当にクレバーでうなりました。

 

以下、ふせったーに書いた内容です。

 

スパイダーマン ファー・フロム・ホーム、等身大の16歳の悩みと「大いなる力」の葛藤が実にスパイダーマンらしいけど、一方で非常に恐ろしい映画でもある。なぜならこの映画は「フェイク」にまみれた現実を描いているから。

人は信じたいものを信じる。真実など求めていない。トランプ大統領の誕生前後に「フェイクニュース」や「ポストトゥルース」という言葉が盛んに使われるようになったが、「ファー・フロム・ホーム」では、トニー・スタークという「理想」亡き後の世界に、そんな混沌とした2019年のリアルを描いたのだ。

ミステリオは虚構の「敵」と戦う。ほんとうは誰とも戦っていない。けど、市民はミステリオが「戦う」姿に熱狂する。スタークが死に、アベンジャーズの創設メンバーは散り散りになった。誰が地球を守る?そんな不安渦巻くデジメーション後の世界に、ミステリオは現れた。ミステリオも、エレメンタルズも、フェイクである。彼はみんなが見たいものを提供してあげる。そして人気を勝ち取り、世界中を騙して「ヒーロー」になろうとしている。

人類の歴史は同じことの繰り返しである。仮想の敵を作り上げ、それを執拗に叩くことで「ヒーロー」になる手法は昔から繰り返されてきたけど、近代でいえば、ナチスによるホロコーストが有名だ。2019年のいま、アメリカのトランプ大統領はメキシコや中国を「敵」とみなし、繰り返し「敵」を叩くパフォーマンスすることで人気を得ている。現実はすごく複雑で、諸悪の責任を被せられるような、わかりやすい「敵」なんて存在しない。けど、なんだかそれだと不安だから、適当に文句を言えそうな相手を探すのであり、そういう気持ちをすくい取ってくれる人を「リーダー」として崇めるのである。

思わずゾッとしたのが、ミステリオの「本当の姿」である。彼はモーションキャプチャスーツを着て、現地に赴く。このビジュアル、そのまんま「映画の撮影風景」なのだ。ミステリオがその格好になった途端、映画に現実がなだれ込む。ミステリオが見せている、エレメンタルズとの戦いというイリュージョンと、マーベル・シネマティック・ユニバースという現代の一大叙事詩が近似していく。ここには何重ものメタ構造がある。ミステリオはMCUの市民にイリュージョンを見せている。現実には、彼らの戦いもまた高度な映像技術によって生み出されたイリュージョン、すなわちフェイクであり、シアターを出た先の世界にもまた、現実に見せかけたフェイクがあふれている。

「真実」は無限後退を繰り返し、合わせ鏡のように混沌とした現実をあぶり出していく。この構造に気づいた途端、なにも目の前のものが信じられなくなるのだ。ふたつ目のポストクレジットシーンでは「フューリーとヒルの正体」が明かされたとき、もはや物語の前提すら破壊されることになる。きっとこの謎の答えはフェーズ4でわかるんだろうけど、映画館の外には「答え」なんてない。このオチは、メタ的に考えれば絶望的ですらあると思う。

この映画が恐ろしいのは、MCUそのものが、観客の見たいものを見せてあげるイリュージョンのひとつであると暴いてしまったこと。ミステリオの正体が明かされ、「そんな都合よくヒーローなんて現れません」と断言してしまった。もちろん、それまでトニーやキャプテン、ソーといった最高のヒーローの活躍を見てきたわけだけど、「ファー・フロム・ホーム」はそこから一歩引いている。でも、現実は映画じゃないからヒーローなんていないよ?と。

ピーターがミステリオを倒したとしても、本当の戦いは終わらない。だって、ミステリオを生み出したのは「見たいものを信じる」市民の欲望だから。けっして消し去ることのできない人間のどうしようもない欠点と、ヒーローは、そして、僕たち観客は向き合わなければならない。もしかしたらこの戦いは永遠に終わらないかもしれない。だって、観客がアベンジャーズの活躍を望む気持ちは、どこかで現実とつながって、誰かのウソを簡単に鵜呑みにしてしまったり、フェイクニュースに踊らされたりという態度と地続きになってしまう可能性があるから。ここは僕個人の解釈ではあるけど、ヒーローを求める心と、ポストトゥルース的な思考は、分かち難く結びついている部分があると思う。

しかし、希望もあると思う。唯一、秘密を見破って、ピーターがスパイダーマンであるという「真実」にたどりついた(半分偶然だが)MJの言葉にヒントがある。彼女はピーターから半分欠けた黒い花のアクセサリを受け取り「欠点があるくらいの方がいい」といった。ミステリオから「人を信じすぎる優しさが欠点だ」と言われたピーターだけど、MJはそれを彼の美点として肯定しているように聞こえる。「お熱いのがお好き」じゃないけれど、「完璧な人間なんていないさ」なのだ。人間って弱いからと諦めたりせず、むしろそこを自覚するところがスタート地点なんじゃないか。欠点と向き合うことで自己を高めていく過程は、フェーズ1の「アイアンマン」から散々描かれてきたことである。けっきょく、ピーターもまた先人たちと同じ困難に立ち向かわなければならないのだし、「ヒーロー不在」の現実を生きる僕たちもそれは一緒なのだ。ちなみに彼女はジョージ・オーウェルの言葉を引用(なんだったか忘れたけど)したりもしている。示唆的である。

ところで、ビッグ3がいなくなったMCUフェーズ4において「アベンジャーズのリーダーは誰がやる?」という疑問は、非常に大きなテーマである。ピーターにはまだその覚悟が足りない。市民も不安に思っている。そこにミステリオはつけこんだ。もしかしたらフェーズ4は「次のリーダー探し」のサーガになるのかもしれない。