映画狂凡人(映画感想ツイート倉庫)

さいきん見た映画の感想を書いています。ネタバレありなので未見の方は注意してください。

「Playback」感想

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Playback、みた。いやぁ、難しい。時間の概念が融解されていく感覚。過去・現在・未来が折り重なり、新たな現在を作り出す。二回目のplayback=再生で姿を消すボン。そこに居たはずの人物の不在は、震災の爪痕生々しい地割れのイメージと重なる。すべては理解できないが、不思議な喪失感が残った。

みんな大好き四宮秀俊によるモノクロ撮影。写真を見ればわかる通り、主演の村上淳、渋川清彦、三浦誠己がカッコいい。大人の色気がすごい。河井青葉もこの人にしか出せない魅力があるなと改めて気づく。しかし狙ってか知らないが三宅監督が描く物語は「男二人女一人」の型が多いですね。好きなのかな。

モノクロのタイムリープ系で言うとホン・サンス監督の「次の朝は他人」を思い出す。本作と同様、服装やセリフの細かい揺らぎから「ざわつき」が生まれていくという仕掛け。反復と演技というテーマでは草野なつか監督の「王国(あるいはその家について)」の志に近いかもしれない。これも再生の話だ。

演劇ってよく知らないけど映画と違って究極の意味では再現性がない芸術だと思ってて。その点映画はフィルムに記録してしまえば、何度でも同じ芝居を再生できる。主人公のハジは物語の中で幾度となく再生されるが、さらに映画館やPCのモニターでも数え切れないほど再生される。そういう意味では不死身。

「逃げるは恥だが役に立つ ガンバレ人類! 新春スペシャル!!」感想

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逃げるは恥だが役に立つ ガンバレ人類! 新春スペシャル!!、みた。レギュラー版の「胸キュン」的フックはなく、2時間の尺にこれでもかと啓蒙的要素を詰め込んだので、若干カタログ的な捌きにはなってるが、三ヶ日にこの内容をぶっ込んだ意義は大きい。民放の社会派ドラマは野木先生の孤軍奮闘ですね。

そして一部の人が触れるように、このドラマは紅白歌合戦の「うちでおどろう(大晦日)」をサブテキストにする必要があるというか、相補関係にあるものだと思う。連ドラだったら傍流のエピソードも組み込んでうまく処理できたところ、主流の話しかないのでちょっと説教臭くなってるのはざんねんだ。

野木先生のドラマ、大好きだけどおそらく若干制約がある方がエンタメ度高めに面白く作れるのではと思っている。「獣になれない私たち」は主題先行だったので重すぎて平日夜見るには胃もたれしてしまった。「重版出来!!」や「アンナチュラル」のようにジャンルモノの縛りがあった方が臭くなりすぎない。

たとえばこのドラマでも主人公が誰かに思考の転換を促す、不用意な発言を糾すような場面がいくつかある。お正月に親戚一同集まって視聴するシチュエーションすら想定した「仕掛け」だとは思うが、これは別にドラマでもなんでもない。そう何度も使ってほしくない「飛び道具」ではある。

とても教育的で、見ていて勉強にはなるのだが、楽しいか?と言われると微妙なところがある。妊娠・出産にともなうイベントの羅列になってしまうところがあり、コロナ禍の描写も含めて「あるある」を並べるのはドラマではないんだよなと。繰り返しになるが、連ドラの尺だったらもっと豊かに描けたはず。

もともと逃げ恥ってそういう物語ではあったのだが、連ドラ版は平匡さんとみくりさんがどうくっつくかという「ムズキュン」要素でポップに粉飾されていた面もあり、今回のSP版だけがラブコメのフォーマットをハックした啓蒙ドラマというわけでもなかろう。

もともと逃げ恥ってそういう物語ではあったのだが、連ドラ版は平匡さんとみくりさんがどうくっつくかという「ムズキュン」要素でポップに粉飾されていた面もあり、今回のSP版だけがラブコメのフォーマットをハックした啓蒙ドラマというわけでもなかろう。

オリヴィア・ワイルド監督「ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー」でも同様の批判はあるが、古き良きラブコメや学園ドラマをやろうとすると、じっさいの社会に存在するはずの格差が隠蔽されがちではある。津崎家には津崎家のリアリティはあるはずだが、優雅な悩みに見える人もいるだろうな。

このドラマを見て「男の悩みも描け」という人は、おそらくざっくりとしか見ていないんだろう。「弱音を吐けない男」のエピソードなんて、結構な配慮を感じた。個人的には取り扱うテーマはとてもバランスが優れているし、かなり練り込んだ内容だと思う。問題は単発ドラマとして面白かったかどうかだ。

ちなみにこのドラマでいちばん感動したのがエンディングの「マドリード恋ダンスを踊る真野恵里菜」だった(スペインの去年春の感染状況はかなり酷かったのだ)あたり、俺がどこまでもこのドラマをメタ的視点でしか楽しめなかったことの証左であると思う。

「ミッドナイト・ファミリー」感想

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ミッドナイトファミリー、みた。ウェブ試写にて。公的医療が貧弱なため救急搬送のほとんどを無許可の私営救急車に頼るメキシコシティ。サンダンス特別賞受賞のドキュメンタリー。獲物を求めて闇営業の救急車同士がカーチェイスする衝撃。過酷な現実にことばを失う。必見!

市営の救急車は何十分待ってもやってこない。900万の都市に45台しか救急車がないから。当然、闇ビジネスが横行する。人間の生命に関わることを、食うや食わずの一家が生活のためにやっている。そんなことあっていいのか。一方取材先のオチョア一家は「自分たちがやらねば」という使命感で動く。

地球の裏側ではこんなことになっているのかと、81分画面にかじりついて見た。これ知ったら絶対メキシコでケガできなくなりますよ。経験値だけ積んだ素人がお金目当てでハイエナのように現場に集まってくるわけだから。でも、これより酷い場所もあるんだろう。いきなり来年のベスト候補。1月公開予定。

 

「AWAKE」感想

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AWAKE、みた。プロ棋士の夢敗れた青年がコンピューター将棋の開発にのめり込む様を描く。将棋という「伝統」とAIという「近未来」の対決というルックからして最高。ただ「勝ちたい」と願い、己の挑戦の意味を問い続けるふたりの男の眼差しがカッコよかった。ウェルメイドなエンタメ作品。必見!

ふたりの静かに燃えるような戦いがすばらしい。将棋って対局中に会話がないから、すべて腹の中の読み合いになるわけだけど、そこにコンピューターという要素が加わることで、また異様な空気感を生み出している。吉沢亮のガン決まりの目が良かった。若葉竜也の青さと色気の混じる雰囲気もいい。和装!

「すずしい木陰」感想

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すずしい木陰、みた。柳英里紗が木陰のハンモックで揺られる様をただ眺めるだけの96分。途中なにか起こるのかと思ったら本当になにもない。こだわりの方法で炊き上げた白飯を、なにもつけずに召し上がれ…といった趣き。これを映画として褒めるべきなのか?どちらかというとインスタレーションだろう。

ただこれほど「映画館」という空間を意識させられた作品もない。ハンモックでうたた寝をする女性をじっと眺める行為には、こちらで如何様にも「鑑賞」できてしまう暴力性、そして断りなくのぞき込むような背徳感がある。アフタートークで守屋監督が言っていた「カメラを向ける恐怖」は観客も同じだ。

太陽の光が木の葉の影からあふれ、画面いっぱいに浸る場面がある。完全な偶然らしいが、これは「奇跡」と言い換えてもいい。柳英里紗がこちらを見つめる瞬間は、「ラ・ジュテ」の「まばたき」を思い出した。だが、これを映画として面白がっているかというと微妙だ。広義の映像作品ではあるが。

音響はともかく撮って出しの映像、フィックスのまま場面の転換もない。俺が映画に求める快楽とは違うベクトルなのはたしかだ。でも、この良い意味での軽率さ、身軽さみたいなものは、羨ましくもある。ところで、柳英里紗とカメラの距離感は絶妙だったと思う。もっと近かったらたぶんすぐ飽きてた。

もっと近くで見たいなあ…と思わされる微妙な遠さなのである。96分、眠気と戦いつつ何とかスクリーンにしがみつくことができたのも、このもどかしさのおかげだろう。柳英里紗の表情や、自由に伸びる脚の様子が、見えるようで見えない。見ようと思えば見える。そんないやらしさがあった。感想おしまい。

「FUNAN フナン」感想

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FUNAN フナン、みた。クメール・ルージュ抑圧下のカンボジアを舞台に、息子と離れ離れになった母親を描くアニメーション。都会的な生活をしていた家族が、農村へ強制移住させられ、飢えに苦しんでいく。ただこういう事実があったということに落ち込んでしまった。ヤシの木の並ぶ野原の美しさが残酷だ。

愚かなカルト的反知性主義が、人びとの生活を破壊していく。革命の大義名分を振りかざして食材を独占したり、金品を奪ったり、見ていて辛かった。生き残るために男性に取り入る女性、その結果自ら命を絶ってしまう子どもも登場する。たとえ他の女性に恨まれようとも、生きるためなのだと言い聞かせて。

そういう意味ではフェミニズム的視点も外していない作品と言えるかもしれない。明らかに無謀な試みであるにもかかわらず、洗脳と暴力によって地獄に突き進んでいく。どんどん盲目になっていくクメール・ルージュと、それに従うしかない一般市民。どこか既視感があり、他人事とは思えない。

映画はあまり感情を煽りすぎず、抑制を効かせた演出になっている。たとえば子どもとはぐれたり、革命軍に逃亡が見つかったり、仲間が死んだり…といったショッキングな場面はあえて見せない。「音」でほのめかす程度にとどめている。ただゆっくりと迫る死を待つしかない絶望。

その凄惨な状況に反して、つねに宝石のような美しさを放つカンボジアの農村の景色。本来であれば、楽園のような場所なのかもしれない。しかし、人の手によってそれは地獄にも変わり得る。映画のラスト、丘の向こうに見える景色の「変わらなさ」があまりにむごかった。国境で全てが決まる世界。大傑作。

「アニアーラ」感想

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アニアーラ、みた。火星への移住者8000人を乗せた宇宙船が軌道をはずれ、5年、10年…と放浪の旅を続けていく。スウェーデンノーベル賞作家、ハリー・マーティンソンの長編叙事詩を映画化。さすが北欧。青空を渇望する人間の苦しみ、終わりなき冬に蝕まれていく心…。最後の字幕の絶望感よ。大傑作。

地球から宇宙船に乗りこむエレベーターのショットから始まる冒頭。ここの質感だけで「面白い!」となった。SF的なガジェットは登場せず、近未来的な屋外撮影がほとんど。宇宙服もなく、普通にラフなTシャツやチノパンを着ている。予算的な都合もあろうが、逆に妙なリアリティを感じてしまう。

助かる見込みもなく、ただ宇宙船の中で時間がすぎるのを待つ。この感覚は、冬が長く日も短い北欧ならではの感覚なのではと推察する。そして幸か不幸かこのコロナ禍の状況において、ひたすら家でじっとしている時間が長いと、映画で描かれる厭世的な価値観、未来への失望が身に染みてわかってくる。

自殺したAIを崇拝し、乱交ふける男女の恐ろしさよ。なにより絶望的なのが、人は簡単には死ねないということである。もはや未来がないと分かっていても、人はふつう「死」を選ばない。どんなに灰色でもあしたを生きる術をさがす。アニアーラ号は死ぬ向かってゆっくりと走る棺桶であり、人生そのものだ。

自殺したAIを崇拝し、乱交ふける男女の恐ろしさよ。なにより絶望的なのが、人は簡単には死ねないということである。もはや未来がないと分かっていても、人はふつう「死」を選ばない。どんなに灰色でもあしたを生きる術をさがす。アニアーラ号は死ぬ向かってゆっくりと走る棺桶であり、人生そのものだ。