映画狂凡人(映画感想ツイート倉庫)

さいきん見た映画の感想を書いています。ネタバレありなので未見の方は注意してください。

「クーリエ 最高機密の運び屋」感想

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クーリエ 最高機密の運び屋、観た。おもしろかった!キューバ危機前夜のソ連を舞台に、内通者の政府高官と核戦争回避に奔走したセールスマンの実話を描く。どんなに壮大な歴史的事件もその裏では一人ひとりの信念や、時にウェットな人間模様が渦巻いていたのだ。敵国同士の男たちの信頼関係がアツい。

南北朝鮮のスパイの絆を描いた「工作 黒金星と呼ばれた男」というすばらしい韓国映画があるが、作品のツボは同じだ。どれだけ政治家同士がいがみ合おうと、そこで暮らす人々には当然のように家族がいて、仕事があって、お酒やタバコのような日々の楽しみがある。そして、それこそが平和の端緒である。

ホンモノのスパイは、007シリーズのような美男美女ではなく、そこらへんにいる目立たない人間をスカウトして情報を流させる…となにかで読んだ記憶がある。ベネディクト・カンバーバッチ演じるグレヴィルはありふれたセールスマンだ。タイピンに「毒矢が出るのか?」と。

しかし、終盤とある使命を背負ってから、グレヴィルの表情が変わる。一歩間違えたらすべてが終わるという緊張感の中、ホンモノのスパイの顔になるのだ。一方、ペンコフスキー(アレックス)を演じる、メラーブ・ニニッゼはいかにも善良なオーラを纏っていて、信頼に足る人物であると観客に確信させる。

グレヴィルの家に訪れたアレックスは、ディナーの場で「私たちのような人間が世界を平和にするのかも」と笑う。いくらソ連といえど一筋縄ではいかない。そして、国家権力のもくろみに左右されない、自分で世界を変えるんだと、文字通り東奔西走した人間がいた。その事実が何より胸を熱くさせる。

レイチェル・ブロズナハン演じるCIAのスパイ、エミリーもまた、結果を出すためにグレヴィルを利用する立場でありながら、僅かながら葛藤を見せる。そこがまた絶妙でよかった。派手なカーチェイスも、緻密な交渉劇もない。しかし、だからこそ、手に汗握るリアリティがあった。細かい小道具がまた憎い。

「落穂拾い」感想

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落穂拾い、観た。マルシェに捨てられた食材を拾うホームレスに着想を得て、デジタルカメラ片手に「現代の落穂拾い」を探す旅に出るドキュメンタリー。アニエス・ヴァルダのあらゆる被写体に対する好奇心、独特のユーモアでもって飽食と貧困の世界のグロテスクさを切り取るセンス。なんてお茶目な映画!

「この街には食べられるものがたくさん捨てられているんだ」と、十年間、食材はすべてゴミ箱から調達してきた男。しかし、定職についているのでお金には困っていないという。ここまでくると崇高な市井の哲学者に見えなくもない。アニエスの出会う人々はみんな風変わりで魅力的だ。

最後の「雑誌売りの男」もステキだ。お金がなくて朝の市場やパン屋で食べ物をあつめる。男の暮らす施設にはアフリカから来た移民がたくさんいて、修士号を持つ彼は「先生」としてボランティア活動をしている。貧困と格差の世界において決してきれいごとには回収できないが、たしかな美しさがある。

そもそもミレーの絵に代表される「落穂拾い」は、麦の収穫後、貧農たちが腹を満たすために、畑に残った麦の穂を拾い集める風習のことを言う。独特なのは、フランスではこれが「貧者の権利」として認められていることだ。「収穫した後」であれば、地主も強くは文句を言えない。これは驚きだった。

だから冒頭紹介されるジプシーたちのように、畑に捨てられた規格外のジャガイモやリンゴは、だれかが拾って持ち帰るのだ。ハート型のジャガイモを気に入っておみやげにするアニエスがチャーミング。養殖場のすぐ近くに流された牡蠣を「文句言われたらやめるよ」と何キロも回収する人たちにもビックリ。

さすがに欲張りすぎだろ…と思ったが、当人たちはケロッとしている。養殖所の持ち主のも「機嫌が良ければ」スルーするらしく、感覚のちがいを感じた。棄てられて荒れたブドウ畑を「勿体ない」と自分のものにしてしまう家族や、ガラクタを集めて作品にするアーティストたちも登場する。世界は広い…。

アニエス・ヴァルダは少しでも「面白い」と思ったらカメラを向ける。あらゆることに関心を持っている。シワだらけの手の甲を見て「知らない獣になったようだ」と迫る死を感じつつ、しかし、この歳になっても、子どものような無邪気さを失わない。ぶつ切りの練習に、おもちゃ箱の賑やかさが溢れる。

芸術家は誰も「自画像」を作るのであり、また、この作品は「映像のグラヌール(落穂拾い)」であると云う。高速道路を走るトラックに手の輪っかを重ねて捕まえようとするお茶目な態度と、貧困と格差の歴史を冷徹に見つめる政治的なまなざしが両立する。改めて凄まじいドキュメンタリー作家だと気づく。

「ベルリン・天使の詩」感想

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ベルリン・天使の詩、観た。歴史がはじまる前からベルリンを見守ってきた天使が、永遠の命を捨てて人間の世界に降りたいと願いはじめる…。壁に分断され、戦争の傷痕生々しいベルリン。モノクロの静謐な質感が、カラー撮影の温かい空気に満たされる。その転換の味わいこそ、天使の喜びそのものである。

ペーター・ハントケの詩は正直あんまりピンとこなくて、字幕を追うだけでは咀嚼しきれなかった。「子どもが子どもだった頃…」って、なんか不思議だったけど、どういうことだったんだろう笑 正直、一回爆睡してしまったので、きょうはリベンジだった。序盤の「天使の日常」が面白い。

天使が至るところで人びとの脳内を覗きこんでいる。飛行機の中でも、街角でも。時には路上で事故に遭って死にかけた男のそばで。アパートの中をぐるりと移動するシークエンスは擬似ワンカット?になっている。また、図書館のシンメトリーな構図に目を奪われた。まるで天空の世界のようだ。

1987年の映画だが、ベルリンの壁に分断されたポツダム広場は荒れ果てている。この街を古くから知り、「平和の叙事詩」を求める老人は、この土地がかつて栄えていたと語る。正直、この頃のベルリンの景色は知らなかったので、終戦からこれだけ経っても再建が進まない街並みに驚いた。

天使が地上に降り立つ瞬間、モノクロの世界がカラーに切り替わる。ぱっと視界が開け、情報が脳になだれ込んでくる。ブルーノ・ガンツの少年のような演技がすばらしい。世界をこうやって見られるってしあわせだ。わい雑な落書きの並ぶ、死の匂いを感じさせた「壁」すら、彼の降臨を賑やかに祝福する。

本人役の「元天使」ピーター・フォークが良かった。この世界に奥行きをもたらしている。あの飄々とした、草臥れた体と顔のシワに人生のすべてが染み込んだような佇まい。すさまじい色気である。ヴィム・ヴェンダースは「パリ、テキサス」でも思ったが物語の立ち上がりが遅い。山場がだいぶ後ろにある。

「総理の夫」感想

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総理の夫、観た。最初から最後までなにもせず、ただ動揺してわめくだけの主人公にうんざりしてしまった。思考停止した中年の醜態を二時間見て、何を感じろというのだ。昭恵への当てつけだというならまだわかる。しかし、本来は昨今の政治への風刺だったであろう要素も単なるコメディに還元されていた。

と思ったら、原田マハの原作には昭恵本人がコメントを寄せているらしく、さっぱり何がなんだか分からなくなった。田中圭の軽薄な男の演技はたいへん素晴らしい。もっと中谷美紀のペット的な立ち回りかと思ったが、良かれと思って事態を悪化させるので、それ以上にタチが悪い。

「ヒノマルソウル」や「哀愁しんでれら」でも、必死ではあるが決して観客の同情を寄せ付け過ぎない、絶妙なラインを攻めているのが田中圭の良いところだ。そして、中谷美紀が素晴らしい。たしかにリーダーとして人を惹きつける魅力がある。彼女が主人公でも良かったのでは?田中圭を完全に食っていた。

たとえば日本の政界における女性政治家の地位、終盤の「女性としての人生と、仕事を通した自己実現の両立」といったテーマは極めてアクチュアルだし、ワイドショー政治への批判(相馬総理とファーストジェントルマンをアイドルのように追いかける支持者!)は一応描かれてはいる。

おそらく原田マハの原作は(読んでないけど)そこらへんの要素をアイロニーとして盛り込んでいたはずだが、河合勇人の演出にかかると、ただリアリティラインが低いだけで、考えもなしに動く妙なモブキャラにしか見えなくなる。仮に原作がそうでないにしても、読み替えて撮った方が奥行きは出ただろう。

日和は「ファーストジェントルマンとして総理である妻を支える」と言うが、じっさいはただ傍観しているだけで、愚痴も吐かず、言われたことには従順に従うものの、主体的に何かをすることはない。しかも、それは最後まで変わらないのだ。最後まで妻のエネルギーに頼り切っている。魅力のない人物だ。

なにか決心して動いたと思えば、それは単なる現状追認に過ぎず、がんばる妻を「支える」と言いながら、何もかもが受動的なのだ。いまだに「ガラスの天井」という言葉が現役の世の中で、「総理の夫」たる人物の振る舞いがこれで正解なのか。それとも、日和の愚鈍な振る舞いはすべて皮肉と捉えるべきか。

ただ、クライマックスはとても感動的に「仕立てられている」ので、おそらく日和のキャラを嫌味であのように描いているつもりはないのだろう。そもそも日和がいくらあの場面で立ち上がろうと、その手前で何かしてれば妻はああやって窮地には陥らなかったはずだが…。すべてがモヤる映画だった。

「マイ・ダディ」感想

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マイ・ダディ、観た。病に侵された娘を助けるために奔走する牧師を描く。ムロツヨシ初出演作。タイトル以外の情報を入れずに観たけど、大いに感動してしまった。とても丁寧に撮られていると思う。一男でもひかりでもなく、とある人物が嗚咽する場面にグッときてしまった。乗り越えられない試練はない。

ムロツヨシのまとう善性、そこにいるだけでふわっと空気が和らぐような優しさは、その根底に哀しさがあるのだと、一生懸命に生きる人間はコミカルに見えるのだということを、改めて気付かせてくれる。TSUTAYAの脚本コンペ入賞作なので当て書きではないと思うが、ナイスキャスティングだ。

「神は乗り越えられない試練は与えない」と一男は説く。一男にとっては妻の死、それから娘の白血病がそれに当たるだろう。たしかに試練は時に抗し難く、事実として変えられないこともある。しかし、愛をもってその問題に接しなおしたとき、ふたたび彼らのもとに光が差し込んでくるのである。

あまり特別に捻った映画でもなく、いかにもコンペ受けしそうな内容ではあるけど、ディテールが光る作品だったと思う。ガソリンスタンドで説教の練習をするファーストカットから惹かれたし、フロントガラスの掃除を車内側から映す(=葛藤を洗い流そうとする?)場面も気に入った。

あと、ひかりがカツラを投げ捨てる場面もお気に入り。カツラを先に映して、カメラがパンにして、坊主頭のひかりが現れる。ドキッとする演出だ。一男とひかりの対峙するシチュエーションはどれも良く、父として病気を伝える場面のムロツヨシの「間」は、逡巡や苦悩が垣間見え、本作でも白眉の演技だ。

ネタバレになるから詳細は伏せるけど、クライマックスの親子の会話も良かった。一男がひかりの後ろに立つ。おたがい顔を見ずにことばを交わす。そして、最後になって向かい合う。この一連の流れに、ふたりが「過去」と「現在」といかに向き合うかが、描き込まれていたと思う。

この映画は一男がとにかくよく泣く。しかし、そのどれも裏側にある感情は異なるものであり、非常に繊細な機微が演技にも求められると思うのだが、ムロツヨシはそれに見事に応えていた。個人的にはコメディの印象が強かったんで、こういうシリアスな芝居でびしっと締めてくれると痺れますね。

「マスカレード・ナイト」感想

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マスカレード・ナイト、観た。人を疑う刑事と人を信じるホテルマンがふたたびタッグを組む。肝心の仮面舞踏会の絵面がチープでガッカリしたが、足りないところを補い合うふたりの奮闘は楽しい。キムタクもおじさんになったなあと思いつつ、年相応の色気と若々しさに、改めて惚れ惚れとするのだった。

「大晦日の仮面舞踏会」という設定にワクワクしないはずがないだろう。しかし、ミッションの時限的な設定があまり生かされておらず、事件の全貌はぼんやりと示されたまま、緩慢に話が進んでいく。パーティーも一流ホテルの高級感はなく、雑多な印象を受けた。ハッキリ言って安っぽい。

「騙し絵の牙」の國村隼ヨイショパーティー大泉洋松岡茉優が対峙する場面)のほうがよっぽど色味のトーンも統一されているし、見応えがあった。あそこの仮面舞踏会は最高にカッコよく、キムタクが輝く舞台であるべきで。悪くいうほどでもないんだけど、もっと力入れて欲しかったなあと思う。

キムタクはキムタクだし、小日向文世小日向文世渡部篤郎渡部篤郎を演じている。梶原善梶原善っぽい役回りだ。そのほかホテルを訪れる珍客たちも、これまで俳優が演じてきた役のパブリックイメージに近く、あまり驚きはないのだけど、安定感はある。

新田と山岸が仕事人としてのリスペクト以上のところで共鳴している、惹かれあっている、しかし、それは必ずしも男女の感情を意味しない…という絶妙な関係性が「マスカレード」シリーズの面白さだし、肝だと思う。だから前作のおまけシーンはガッカリだったのだが、今回は若干そこは持ち直している。

あんまりそこをわざとらしく表現せず、あくまで困難に立ち向かう中で芽生えた絆…として演じるキムタクと長澤まさみはさすがだ。あいかわらず撮影も編集もちぐはぐだけど、そこは豪華俳優陣たちがしっかり裏から支えていた。また続編あるのかな?次はどうなるかも楽しみですね。

「スイング・ステート」感想

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スイング・ステート、観た。さびれた田舎の町長選にワシントンの選挙参謀が乗り込み、民主党vs共和党の代理戦争へと発展していく。テーマをとあるキャラに語らせてしまうので品がいいとは思わなかったが、十分に楽しんだ。参院広島に於ける菅vs岸田の金にまみれた選挙戦も映画にしたらどうでしょうか。

アメリカの選挙の金のかかりっぷりは日本の比ではないらしく、連邦最高裁が「スーパーPAC」による政治資金供給を認めてしまった(この判決には批判も根強い)がために、大企業や金持ちがほぼ無制限に金を注ぎ込める世界になってしまっている。本作もその問題意識が根底にある。

アダム・マッケイ監督「バイス」やジェシカ・チャステイン主演「女神の見えざる手」でも、この制度のグロテスクさは描かれているが、「スイング・ステート」はこの問題をよりデフォルメして描いている。アダム・マッケイ&スティーブ・フェレルの作品に比べると笑いが多く、政治以外の要素も強め。

「PLAN B」製作の作品は鼻持ちならないインテリ臭さを感じて、嫌な言い方をすると、あまりに啓蒙的(わからない奴らに教えてやるよ、的な)だと思っていたのだけど、本作は斯様によく揶揄される「傲慢なリベラル」を自己批判的に描いている節がある。スティーブ・カレルのキャラも必要以上に下品だ。

事務所で暴言吐きまくって慌てて空虚な言い訳を並べたり、「バーガーとバドワイザー」をめぐる一連のやりとりであったり、「都会のインテリが田舎をバカにしている」描写が繰り返される。要するに「だからヒラリーはトランプに負けたんだよ」という批判であり、過去の自分たちへの恨み節である。

ミッド・クレジットのおまけシーン、選挙戦を振り返るコメンテーターの言葉にもおなじにおいを感じる。ハリウッドの映画産業が基本的にリベラルなので、ラストベルトやホワイトトラッシュを描いても「相手の立場になって考えよう」的な切り口にしかならないのは不満なのだけど。