「昨夜、あなたが微笑んでいた」感想
昨夜、あなたが微笑んでいた、大傑作!歴史あるプノンペンの集合住宅、ホワイト・ビルディング。日本企業の買収により住民たちの強制退去が始まる。これは二度と帰れない〈我が家〉へのラブソングなのかもしれない。コンクリートの壁に染み付いた生活の匂いはもう戻ってこない。
すごく淡々としていて刹那的で、遠くの国で起きた、映画館に来るまで全く知らなかった歴史のはずなのに、心がヒリヒリするぐらい切なくて、懐かしくて、哀しかった。時代は変わる。都市は進化する。生活は豊かになっていく。でも、その変化に取り残される人がいる。たしかに誰かが泣いている。
立ち退き問題で揺れながらもホワイト・ビルディングでの束の間の日常を楽しむ人びとの姿がインサートされる。裸で廊下を走り回る子ども、布製のベットでまどろむ男、少しずつ道具の減りはじめたリビングでテレビを眺める監督の家族。映画の中ではほんの一瞬だったが、とても強烈に残っている。
カメラと被写体の距離が近い。ホワイト・ビルディングの住人たちはカメラを常に意識している、その存在に時に抵抗感を示しながら、最後のひと時を過ごしている。恥じらいながら歌を披露する人、ポルポト時代よりは補助金が出る分マシかもと笑う老婆。そして、いまの想いは語りたくないと拒絶する父。
取り壊しの始まったビルで、無残にも崩れかかったコンクリートの壁の破片を愛おしそうに拾い、なでる父の姿が印象的だった。瓦礫の一つひとつにここで過ごした何十年の臭いとか汚れとか、ぜんぶ詰まってるんだろうな。お金をもらったり、きれいな新居に引っ越しても埋められないものがあるのだ。
「わたしは光をにぎっている」は土地そのものが主人公だったけれど、「昨夜、あなたが微笑んでいた」も究極的にはホワイト・ビルディングが主人公なのだと思う。〈あなた〉へのまなざしがとても優しく、一方でこの建物に待ち受ける運命が残酷だった。あのラストカットは忘れがたい。