映画狂凡人(映画感想ツイート倉庫)

さいきん見た映画の感想を書いています。ネタバレありなので未見の方は注意してください。

「女は女である」感想

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女は女である、傑作!突然「妊娠したい」と思い立ったアンジェラ、だったら他の男を探せと突っぱねるエミール。〈やり込めようとする男〉と〈被害者ぶる女〉。粗っぽくもテンポよく進む映像は、ファッション雑誌のページをめくっているみたい。最初から最後まで〈これは映画なんだぜ〉って笑ってる。

冒頭に誇らしげにベルリン国際映画祭での受賞を示し、最後はカーテンに浮かぶ〈Fin〉で締める。アンジェラがしゃべりだすと音楽が止まる。さっきまでケンカしてた二人が、次のカットでは優しくキスを交わしている。面白い。タバコふかしながら語る与太話、階段での駆け引き、男二人のヒソヒソ話。

会話内容はあまり繋がりが見えなかったり、字幕では追えても中身がスッと入ってこなかったりするのだけど。男と女の行ったきり来たり、惰性で続ける綱引きみたいな口論に、めんどくせえこいつら、となる。だってどうせ最後はくっつくんでしょ?彼らは映画のオチを知ってて映画の中で生きてる気がする。

元サヤに収まるのを期待しながら、ソフトランディングできるように、お互いの腹のなかを探り合っている。そういう風に見える。だからめんどくさい。いや、彼らはそれでも真剣で、本当にいがみ合っているのだろうか。俺にはよくわかりません。でも、めんどくさいってことだけはわかる。

「欲望という名の電車」感想

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欲望という名の電車、みた。零落した地主の娘・ブランチが娘夫婦の家に転がりこむ。嘘を捨てられない女。若さと容姿へのこだわりや良家のプライドが彼女をがんじがらめにする。偏見と正論の入り混じった罵声で陵辱するスタンリーの恐ろしさよ。彼女が救われる未来はないのだろうか。頗る後味が悪い。

ヴィヴィアン・リーの演技は当時高い評価を受けたらしいが、いま見るとコッテリ過ぎる気もする。その芝居じみた振る舞いがまたブランチの閉じた世界の狂気をすさまじいものにしているのだが。「何がジェーンに起ったか」のベティ・デイヴィスを思い出した(映画の中身の記憶はあいまいだけど)。

ブランチを束縛し、地獄へと突き落としていくのは彼女自身の選択のまずさだけではなく、周囲の無理解だったり、心無い言葉の暴力だったり、どうしようもない部分も大きい。なにより30過ぎただけで「用無しの年増」扱いされるのだ。すこしはマシな社会になっただろうか。ファブ5の力がほしい。

欲望という名の電車」というタイトルから、「闇の列車、光の旅」みたいな、勝手に電車の映画なのだと思っていました。本当はブランチの故郷から妹夫婦の家への旅路のこと。最後まで見ると皮肉に感じる。こないだ見た「郵便配達は二度ベルを鳴らす」はけっきょくなんのことやらわからなかったけど。

「地獄少女」感想

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地獄少女、みた。恨んだ相手を地獄に落としてくれる地獄通信。そんな都市伝説を信じて狂っていく人々の物語。実写なのに玉城ティナだけ作画のテイストが違うよ!もはやギャグに近いが、麿赤兒や橋本マナミを引き連れて現れるだけで楽しい。魔鬼周辺のきな臭いエピソードは面白かったが、主役は影薄い。

森七菜はあいかわらず〈田舎美少女の頂点〉感がある。ただ彼女の心境の変化は少し捉えにくく、お話の運び方のせいもあると思うが、言動が唐突にも見える。ピュア感ありすぎて、あまり闇抱えてなさそう。大場美奈はああいう可哀想な役が似合いそうなんでどんどんやってほしいです。

波岡一喜の安定感よ。ほぼ彼が主役じゃないですか。軽薄そうに見えて、じつは母の業を背負っているライター。板に付いている。魔鬼のクソ感も好き。見ている間、演じる藤田富は普通にバンドが本業の人なのかと思っていた。バンギャ振り回すクソを通り越してガチの〈教祖〉になっていたのは笑った。

「殺さない彼と死なない彼女」感想

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殺さない彼と死なない彼女、みた。リスカ常習犯の鹿野と、すべてに興味を失った小坂の交感を描く。〈そばにいる〉ってすごく大切なことだ。どれだけ罵り合っても、想いがすれ違っても、〈引き立て役〉とからかわれようと。あなたがそばにいるという安心感、同じ景色を共有できる喜びに勝るものはない。

心が冷たいときに頬張る肉まん。墓石がわりに使ったバニラアイスの棒。大切に残しておいたせいでしけてしまった花火。積み重ねた時間と思い出の品々。ふと目に入ると感じるあの人の大きな背中、服に染み付いた匂い、そして体の温もり。撫子から八千代くんへの告白とか、地味子の「可愛いよ」とか。

地味子ときゃぴ子の関係はとてもよかったが、もう少し掘り下げて欲しかった気もする。堀田真由の〈可愛いキャラ〉は「超・少年探偵団NEO Beginning」と「ブラック校則」に引き続きだが、ちょっと役がワンパターンだよね。撫子と八千代くんは初々しくて可愛かった。てか、佐津川愛美どこ出てた?

「ひとよ」感想

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ひとよ、大傑作!父を殺した母が15年ぶりに帰ってきた。家族ってとっても迷惑で、面倒で、それでいて離れ難いものだ。多くを語らないが故に人を傷つける長男、自らの怒りの感情に葛藤し続ける次男、グレてるけど優しくて甘え上手な長女。みんな何を失ったのか。その生々しさは他人の家を覗き見る感覚。

どしゃ降りの中のタクシーや、テーブルに並ぶ朝ごはん、そして〈ビンタ〉など、イメージが繰り返される。僅かに現れる差異から見える変化が面白い。そして重苦しいテーマでありながら、意外と笑いも多い。それぞれのずれっぷりが可笑しいのだが、家族だとそこに「またやってるよ」が加わるのである。

共に過ごしてきた時間の長さや、これまでの関係性が透けて見える。メタメタに罵り合う時もあれば、くだらない冗談で笑い合う時もある。うざったいところや永遠に変わらない悪癖はわかった上での付き合い。上に男二人、末っ子に女の子の並びは、我が家と同じなので、いろいろ考えてしまう。

俳優陣の熱演は言わずもがな。すごい演技というのは、ひとりでは作れないものなのだなと思う。人間どうしのやり取りなのだから、ひとりだけ上手くてもダメ。その空間にあるすべての人やモノとの作用の中で生まれるのだろう。稲村家の4人の存在にはスクリーンの外にも無限の広がりと豊かさを感じる。

ただね、やっぱり佐々木蔵之介のくだりはドラマ作りすぎだと思う。あそこで冷めてしまった人がいるのもわかる。わざわざ話を転がすために用意するだけの価値があったのか?やるにしても、もっと深掘りできたのでは?と。

「一人っ子の国」感想

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一人っ子の国、大傑作!共産党による一人っ子政策の実態を追うドキュメンタリー。二人目を産んだ一家の家屋取り壊し、強制不妊治療、ゴミ捨て場に重なる女児の死体、当局も絡んだ人身売買…。国家の理想の裏に隠された地獄。生き別れた姉を想い「一緒に遊びたかった」と泣く少女に胸を締め付けられる。

これが2008年の「北京オリンピック」の時ですら行われていたという事実。町中に貼られたスローガン、子ども向け教育ビデオ、それから集落の演劇…至るところに展開されるブロパガンダ。模範的な国民ゆえに国策に忠実に従う。これは政策だから仕方ない、自分には何もできなかったのだという無力感。

人生の選択を、目に見えない大きな力に奪われてしまう不気味さ、そして絶望感。この政策の失敗の責任を、誰が取るというのだろうか。誰が言い出したのか、どのような計画のもとに、どこから指示が出たのか。全くわからない恐ろしさ。そうやって何もかもブラックボックス化されているのがこの国なのか。

以前、大学の中国法の授業で党の命令に反した人民の家屋を取り壊す当局のようすを映したビデオを見たことがある。共産党は従わない人間の家を、そこに住民が暮らしているとわかっていながら、ショベルカーで粉々にしてしまうのである。正直、あまりの野蛮さで信じ難いのだが、実際に行われているのだ。 

でも、だから中国はひどい国だ、では終わらせてはいけないのである。組織とは大きくなればなるほど個の顔が見えなくなるものだ。日本政府はどうなのか、と問えば、たとえば沖縄の辺野古の埋め立てなどを見れば、やってることに大差ないことはわかる。では、会社は?学校は?普遍的な問いがあると思う。

「国家が破産する日」感想

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国家が破産する日、みた。1997年の韓国通貨危機を、韓国銀行職員、工場の経営者、金融コンサルの3人の目線から追う。庶民の生活を無視し、大企業と富裕層の方しか向かない政府、不透明な政策決定プロセス、外資による経済の蹂躙…いまの日本の状況と重ねざるを得ない。ハンの無力感と絶望が重く響く。

なかなかに硬派な作り。だからか、良くも悪くも期待の範囲内ではあった。「政府が大丈夫だと言っているから」「みんな騒いでいるけど何とかなるだろう」という国民の楽観的な態度。その間にも悪知恵の働く奴らは密室で大切なことをどんどん決めていく。気付いた時には地獄。「俺は騙されないぞ」である。

ユン=ユ・アインが「マネーショート」的な立ち回り。しかし、彼の快進撃に笑いや面白おかしさはない。あるのは、富める者は富み、貧しい者は貧しくなっていく現実のみ。ハン=キム・ヘスは歴史の流れに抗う〈正義〉の人。しかし彼女の努力はことごとく粉砕される。金融室長のいやらしさ!

ヴァンサン・カッセルえんじるIMF代表もそうなのだが、彼らははなから議論をする気がない。詭弁を弄し、常に話題の前提をひっくり返して主導権を握ろうとする。正論では勝てない相手。ハンの怒りと悔しさのこもった目つきよ。あれは搾取され続ける庶民の無念を代弁していると思う。

はじめから〈勝者〉の決められた社会。ハーバード大学OBの会合は吐き気を催す。しかしこの映画における唯一の希望、そして全体を貫いているルールは「自分を突き通した者は、少なくとも〈負け〉にはならない」ということではないだろうか。他人を信じすぎたり、途中で諦めてしまった者は地獄を見る。

これは〈正義〉と〈悪〉どちらにも共通するルール。世界を牛耳る連中に少なくとも一発ぐらいパンチを食らわせたいものだが、それは困難な話である。それでも、抵抗の意思を示すすことはできる。屈しないという意思、絶対に諦めないという希望。そうすればどんな結果であれ自分を護ることはできる。