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さいきん見た映画の感想を書いています。ネタバレありなので未見の方は注意してください。

「仁義なき戦い」感想:ブレない男が生き残る

こんにちは。じゅぺです。

今回は「仁義なき戦い」について。

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仁義なき戦い」は、言わずもがな、アメリカ占領下の呉を舞台に、血で血を洗う抗争を繰り広げる山守組の権力闘争を描きます。監督は深作欣二。主人公の広能を演じるのは菅原文太です。

誰もが泥をすすって元の生活を取り戻そうと必死になっていた敗戦直後。独特のギラギラとした生命力や力強さが冒頭の闇市のシークエンスから画面に染み込んでいます。進駐軍の米兵に蹂躙される日本人の女性と、口実を見つけては暴れ回る復員兵たちを見ていると、戦争が終わってもなおこの時代の人びとは抑圧されていて、溜まりに溜まったエネルギーが狂気に近い熱量を帯びて暴力に向かっていく過程がありありと伝わってきます。いまだに「死」が身近にあった時代なんですね。

仁義なき戦い」のタイトル通り、裏切りに次ぐ裏切りの展開が映画の見どころになっています。仲間のはずだったのに、山守の手のひらの上で踊らされる組員たちは、とても哀れな存在です。必死こいて戦っても、最後はコマとして捨てられるからです。親分の都合で何もしていなくても懲役数十年の刑を受けたりするわけですから、自分だったらなんのために生きているんだろうと考えてしまうと思います。彼らを突き動かすのは、「いつか自分もあの地位に」という野望であり、まともな暮らしもできなかった自分に衣食住を与えてくれた組への忠義です。しかし、そうした価値観の土台になっている「仁義」も結局のところまやかしでしかなく、いくら美しい言葉で粉飾したところで、その裏でうごめいているのは、野性的な闘争本能や縄張り意識、我こそが天下という欲望なのです。

「仁義」なんてもはないというのがこの映画のスタンスになっており、兄弟を裏切った者は必ずその責任を負うことになります。しかし、ただひとり己の「仁義」を貫き通すのが広能だ。自分勝手なり靴を振りかざしたりせず、最初から最後まで一貫した態度を貫きます。思えば、冒頭の市場の場面から存在感が違いましたよね。彼は、その場しのぎの嘘でごまかしたり、刹那的な欲望に流されたりしないからこそ、最後まで生き抜くことができるわけです。

物語の構造的なところから考えれば、絶対に「ブレない」人は死にません。言ってしまえば、成長しない人、自分を変えない人が、この世界では生き残るという読み方もできます。たとえば坂井は良いところまで上り詰めたのに、最後に追われるものとして「安定」を求めたしまったがために、命を落としました。それに対して、最後まで他人を利用して「自分の地位」だけにこだわり続けた山守と、偽りだらけの世界で「仁義」を貫き続けた広能は、最後まで生き残りました。また、その山守と広能も「仁義」を軸に対立するキャラクター造形になっており、非常にわかりやすい構造になっていると言えます。

正直なところ、ちょっと話が複雑でつまずきかけたところもありました。しかし、山守組の内紛がこじれるにしたがって、物語の展開は加速していき、面白さが増していきました。抗争が激化するごとにスピーディーに死んでいく男たち。誰かが死ぬたびにあの有名なテーマソングが流れます。徐々に襲撃シーンが楽しみになっていく自分がいました。それぞれの思惑が交錯する展開のスリリングさもさることながら、単に人が無様に死んでいく様だけを切り取っても、非常に「楽しめる」演出になっているのが、なんともすばらしいですね。

悪知恵ばかり働くやつが結局生き残るという、なんとも納得のいかない理不尽な終わり方も、ヤクザ社会を通して現実の厳しさを突きつけられているかのようでした。やっぱり東映ヤクザ映画って面白いんですねえ。