「Fukushima 50」感想
Fukushima 50、みた。福島第1原発事故の裏側を描く。はじめ「これは面白いパニック映画だ」と見ていたが、現場職員が汚染された建屋に向かうあたりからふと「そういえば、これはつい9年前に起きた実際の出来事だったんだ」。〈英雄たちの物語〉として消費してしまうことは無責任だと思ってしまう。
管制室の臨場感、建屋が吹っ飛んだあとの敷地内の瓦礫の山はなかなかの生々しさだったと思う。地味に本店と管制室を繋ぐテレビ会議のモニターが良い雰囲気を出している。クオリティが高いゆえに、ニュースで見ていたあの頃の感覚が抉り出される。自分もあの場にいて一緒に戦っているような気分だった。
しかし〈海外のニュース〉の安っぽさには思わず失笑してしまった。コントかよ。アメリカ周りの描写も陳腐だ。たしかに困ったときに手を差し伸べてもらったことは事実だし、けっして忘れてはならないけど、ちょっとしつこい。あの分の尺を短くしても十分成立するのではないか。
吉田所長を演じる渡辺謙はさすがだった。現場の長としての責任感と、部下への気配りと。日本の運命を背負って戦う人間の気迫を、誇張し過ぎずに表現していた。佐藤浩市は世評ほど好きではなくて。いつもの佐藤浩市だなと思ったけど。堀部圭一や吉岡秀隆などバイプレイヤーたちの顔つきも良かった。
菅直人らしき首相を演じる佐野史郎。パブリックイメージを限界まで膨らませたキャラ設定だが、さすがにカッカし過ぎじゃないか。最高責任者としての焦りや苛立ちは伝わってきたけど…。一方、やはり彼らの熱演を相殺するような演出はいただけなかった。この内容でコテコテの〈現場劇〉にしていいのか。
「現場が頑張ってくれたおかげでニッポンは救われました」みたいないちばん薄っぺらい方向に進んでしまった。東電上層部や政府を悪者にするのはいいけど、本当の問題はもっと根が深いだろう。現場の人たちは責任感もあって素晴らしいけど〈決死隊〉の役目を彼らに押し付けたのは観客である国民でしょ。
ここまで踏み込むと政治的スタンスの話になってしまうけれど、少なくともこの映画に〈ニッポンが原発を作ったこと〉にたいする批判的な視点は少なかったと思う。「自然をコントロールできると過信してました」的なオチ、薄すぎる。これじゃ特攻隊賛美となにも変わらない。
やはり着地点がマズかったと思う。まだまだ解決していない問題なのに、観客がこれを見て「現場は頑張ってくれたんだねえ!もう二度とないといいな!」って気持ちよく家に帰れちゃダメでしょ。みんな記憶が鮮明だろうから必ずしもそうはならないと信じたいけど、そういうエンタメになっちゃってる。
たしかに大地震と津波は〈想定外〉の自然の脅威であり、原発の暴走は人知を超えたエネルギーの脅威だ。爆発寸前の建屋と上がり続ける圧力メーターは街を暴れまわる怪獣のようなもの。結局それも人間の作ったもの。自分で作って、制御できなくなった。しかも事故が起きるまでみんな気にしなかった。
にもかかわらず、本作の原発って最後まで「なんだかよくわかんないけどコントロールの効かないヤバいやつ」みたいな扱いに見える。これは東日本大震災の映画である以上に原発事故の映画なのだから、もっと深い背景にまで踏み込んで良かったのでは?かつての原発プロパガンダを描くシーンはあったけど。
何度も言うようだけど、最前線で戦ってくれた人を〈英雄〉として祭り上げることほど、残酷なことはないのではないか、と思ってしまう(おそらくこの映画で救われた、報われたと感じる人もまたたくさんいるんだろうけど)。人に危ない仕事押し付けて「頑張ったね」って気持ちよくなっていいのかしら。