映画狂凡人(映画感想ツイート倉庫)

さいきん見た映画の感想を書いています。ネタバレありなので未見の方は注意してください。

「王国(あるいはその家について)」感想

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「王国(あるいはその家について)」をみた。リハーサル風景を通してひとつの物語を多層的に編み出していく。物語の解体と再構築。イスに座り台本を読む演者の身体と声が、徐々に温度や湿度を帯びてくる。過去と現在、現実と虚構を行き来する中で、境界は分解され、観客をも包み込んでしまう。大傑作!

殺人を犯した女の供出調書の確認場面からはじまる冒頭。場面が切り替わり、当然その後は殺人に至るまでの経緯が描かれるのだろうと思いきや、演者は台本を手に握ってイスに座っている。目線を台本に落としたまま、テクストを読み上げる二人の女。人物と物語をつかむ鍵は〈声〉しかない。

思えば、この映画には(リハーサル風景なので当然ながら)ほとんど動きがない。動線による表現は放棄されている。台本を読み上げる演者の表情は、本人の素の状態にも、劇中人物のモードのようにも捉えられる。なによりいちばんの情報は声の厚みや振動、抑制なのだ。視覚と聴覚のギャップが凄まじい。

耳から入る情報はまさしく〈劇〉なのだが、俺の目に映るのは私服の男女が紙をめくり、カメラの前で発話する姿。著しく分離している。明らかにそのままでは受け容れ難いのだけど、同じ場面の過去と現在のリハーサル風景が何度も繰り返し出てくる中で、その多層性に気づくことになる。

単なるテキストを追い回すだけの棒読み状態(ほとんど生の情報)と、しつこく台本を身体に刷り込むうちにその人物の複雑な内面をそのまま宿らせた状態。これが過去→現在だけでなく、現在→過去の順番(つまり完成後から棒読み)でも提示されるのでややこしいのだが、この複雑さが肝になっている。

ちょっとは飲み込み始めたかな?と思ったら、振り出しに戻ってしまうわけ。物語の内側に入ったつもりでいたら、また演者の初期状態を見せられて、無理やり現実に引き戻されるのだから。でも、そういう体験を積み重ねていくと、ある時からそのカオスの中に自分が包まれていることに気づく。

演者と一緒になって物語を生み出している感覚。基本的に映画って受動的なメディアだし、時間は一直線に流れるものだけど、この映画はそうなるのを拒絶しているように見える。あなたもカメラの前で苦しみながらキャラクターを内面化してくださいと。一緒に苦労してくださいと言われているようだ。

どこまでこねくり回しても言語化は難しいのだが、ゆえにたくさん言葉を吐き出したくなる。そんな作品。映画を見たというよりは一本の現代アートを見た気持ち。心より頭が温まった。