映画狂凡人(映画感想ツイート倉庫)

さいきん見た映画の感想を書いています。ネタバレありなので未見の方は注意してください。

「サウンド・オブ・メタル ~聞こえるということ~」感想

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サウンド・オブ・メタル ~聞こえるということ~、観た。耳が聞こえなくなり、音楽という生きがいを失ってしまった男の物語。世界から音がなくなったのではなく、静寂を手に入れたのだ。この考えに至るまで、どれだけたくさん傷つき、絶望する必要があるのだろう。誰もが向き合う人生の不可逆性の話。

昨日たまたま建築家の原研哉が書いた「白」という本を読んだ。漢の蔡倫が開発した「紙」の白がイマジネーションを刺激するように、白はその「エンプティネス=空白」によって、人の独創性に問いを示すのだ。「サウンド・オブ・メタル」で描かれる静寂の世界にもエンプティネスの豊かさが広がっている。

しかし、音を失った人に「でもあなたは静寂を手に入れたんだよね」なんて簡単に言えるはずがなく、世界から隔絶される苦しみや、このままでは取り残されるのではないかという焦りを経験してはじめて、ジョーのように「静寂の優しさ」に触れることができる。映画はその追体験の装置になっているのだ。

冒頭と終盤で反復される「ベッド」のシーン。爽やかな陽の光を浴びて恋人とまどろむ朝の幸せは、二度と同じようには帰ってこない。ろう者コミュニティでは知らないおっさんが隣のベッドで寝ている。そりゃあ、前の生活の方がいいだろうとなる。なにより恋人のルーとメタルバンドは彼の生き甲斐だった。

しかし、コミュニティでの生活は同時にルーベンに希望を与える。授業中に落ち着きのない男の子と教室を抜け出し、すべり台でヒマをつぶす場面。言葉がなくても心通う瞬間に、僕たち観客は、聴覚を失ってメタルの世界から離れても、ほかに新しい世界を知ることは可能なのだと気づく。

耳の手術を受けるには、キャンピングカーとドラムを売る必要がある。ルーベンは青春を取り戻すために、居場所をカネに換えなければならない。ルーベンはこの矛盾に真正面から向き合う必要があった。彼はつねに前のめりで躓いてしまう。失ってから気づく男なのだ。

そんな彼の選択を愚かだと一蹴するのは簡単だが、誰しも身に覚えがあるだろう。特に中盤以降の「あれ、これは道を選び間違えたかな…」とわかってしまう一連の流れはなかなかキツい。病室で聴く「サウンド・オブ・メタル=金属の音」。優美な夜のパーティで感じる孤独。そして「ベッド」のリフレイン。

ルーベンは「サウンド・オブ・メタル」を二度手放さなければならない。彼の前には深い絶望を突き抜けた先のからっぽの世界が広がる。しかし、それは同時に「サウンド・オブ・メタル」の呪縛から解放された、未来への希望をも示している。すべては彼がベンチから立ちがった瞬間からはじまるのだ。