映画狂凡人(映画感想ツイート倉庫)

さいきん見た映画の感想を書いています。ネタバレありなので未見の方は注意してください。

「みんなわが子」感想:ただ黙って「疎開生活」を受け入れる狂気

こんにちは。じゅぺです。

今回は「みんなわが子」について。

f:id:StarSpangledMan:20180820235257j:image

独立プロの映画は、今井正監督の「キクとイサム」「ここに泉あり」を見ましたが、どちらも素晴らしい作品でした。戦後の苦しい状況下で、なんとか人間らしさを保とうともがく姿が美しく、なんとも逞しいものでした。そこで今回は家城巳代治監督の「みんなわが子」をチョイス。こちらも大変な傑作でした。

映画は、目黒から山梨に疎開した小学生たちの終戦までの2ヶ月間を描いています。終戦から18年しか経っていないこともあり、疎開描写が大変生々しいです。子供たちは布団の虱に悩まされ、配給が滞ると絵の具を舐めて空腹を満たし、あげく先生たちも一緒になって農家から芋を盗み出したりします。もはや常識は通用しない環境になってしまっているんですよね。そして、大人も子供もただそれを"日常"として受け入れ、戦いに勝つ日を待っているのです。たとえ沖縄玉砕の報をラジオで耳にしたとしてもです。感覚が麻痺し、戦争の狂気を内面に取り込んでしまっているように見えました。

この映画の主人公は子供です。目線も彼らに合わせているから、けっして軍部批判とか、辛かった生活への怒りがドラマの土台にはなっていません。ただ、突然都会から田舎に放り出されて、苦しい毎日を送る姿を映し出しています。映画は、米軍の落とすビラから始まり、神輿を担いで終戦歓喜する子供たちで終わるのです。どちらかというと記録映画的なタッチで事実を描き取っていて、政治的なスタンスを極力排した、フラットな印象を受けます。

この90分の間には変化も成長もありません。単に子供たちはお腹をすかせ、親と離れ離れになったことを悲しみ、泥棒を働くようになっただけ。集団疎開になにかしらの価値を見出すということはしません。ひたすらに、無意味だったのです。戦後的な目線で評価しないからこそ、すなわち、無謀な戦争へ突き進んだことへの反省とか、愚かな軍部への批判がないからこそ、この戦争に意味は与えられず、かえって「無意味」だったことが強調されるのではないでしょうか。先生たちの「どうして最後まで戦わなかったんだ…!」『いや、こうなる前にもっと早く終わらせるべきだったのよ』のやりとりが虚しく胸に響きます。

聖戦を信じ、ひたすらに我慢を重ね、だんまり決め込んで現状を黙認した一人ひとりが、戦禍の被害者であると同時に、凄惨な侵略戦争の加害者でもあるのではないかと思います。この国は、ひたすら戦争の「悲惨さ」ばかりをクローズアップし、国民自らこの道を選んだことは忘れようとしているんじゃないか、少なくとも、その事実に不感になっているんじゃないかという気がしてならないです。

 

 

「アイ・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場」感想:「テロとの戦争」という終わりなき混沌

こんにちは。じゅぺです。

今回は「アイ・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場」の感想です。

f:id:StarSpangledMan:20180815164629j:image

「アイ・イン・ザ・スカイ」は、ドローンを駆使した最前線の戦場を描く戦争映画です。しかし、この映画にいわゆる「戦場」は登場しません。本編のほとんどは政治家や官僚の集まる会議室と、空調の効いたオペレーションルーム。兵隊が血を流しながら泥臭くはいずり回る戦闘シーンは一切ないのです。なぜなら、戦闘地域で敵を殺すのは、生身の人間ではなく、遠隔操作されたドローンだからです。

2001年のアメリ同時多発テロ以降、戦争の形は様変わりしました。「テロとの戦い」の始まりです。戦争は、もはや領土を持った国家の間で起こるようなわかりやすいものではなくなりました。アメーバのように世界各地に散らばった戦闘員たちのテロをいかに食い止めるかという形の見えないものになったのです。国民のあずかり知らぬところでアメリカやイギリスの軍隊はテロリストを殺害しています。「宣戦布告」とか「休戦協定」のようなルールもなければ、明確なはじまりも終わりもありません。気づいたら混沌とした無秩序にのみ込まれ、不毛な殺し合いをすることになってしまうのです。

「アイ・イン・ザ・スカイ」は、ドローンで最重要テロリストを発見してから、殺害の決定を下すまでの2時間を、現実と同じ時間軸で描いています。つまり、観客はまるで本当に「戦場」に放り込まれたような感覚で、ことの推移を見守ることになるわけです。

会議室には軍事上の戦略を立案する軍人、法的な妥当性を精査する法務官、政治的な判断をする閣外大臣など、様々な立場の人間から意見が出され、やがて国家としての「決定」が下されます。しかもそこには危険なテロリストを排除するという戦略上の正しさだけでなく、英国の判断で米国民を殺害していいのか否か、そして、無関係な一般人を巻き込む可能性が高くても爆撃すべきなのかどうかといった政治的・倫理的な考慮も求められます。いま爆撃したら確実に死ぬひとりの少女の命か、それとも将来ほぼ確実に発生するテロになって奪われる80人の市民の命か。正解なんてありませんが、その決定権は会議室でネクタイを締めた役人たちに委ねられています。誰も「人を殺す」なんて決定は下したくないし、失敗したときのことを考えたら、責任なんて取りたくありません。だけど、いまそれをやらなければならないのは彼らなんですよね。決定を先延ばしするうちにどんどん状況は悪化していく様はスリリングですし、刻一刻と変わる極限の状況下で揺れ動く作戦室の人間ドラマも最高です。

しかし、最後に残るのは虚しさなんですよね。目の前の危機は排除したかもしれないけど、誰も幸せになれない。「テロとの戦い」という終わりのない混沌と、テクノロジーが生み出した冷徹な「殺人ドローン」と、それに振り回される人間たち。この先に何があるんでしょうか。SFチックな余韻と緊迫感を残しつつ、人間の業についても思いを巡らせてしまう、骨太の大傑作でした。

「ゴースト/ニューヨークの幻」:ロマンス×ファンタジー×サスペンス

こんにちは。じゅぺです。

今回は「ゴースト/ニューヨークの幻」について。

f:id:StarSpangledMan:20180818162913j:image

「ゴースト/ニューヨークの幻」はデミ・ムーアの代表作として有名です。ボーイッシュな短髪と凛々しい太眉、それでいてあどけなさの残る瞳。とっても可愛らしい。他に見ない顔なんですよね。この映画の勢いも半分はデミ・ムーアの魅力のおかげだと思ってます。

とはいえ、この映画の核となるのは巧みな脚本でしょう。次から次へと迫る危機がもたらすサスペンス、そして、「離れていても想いは通じる」ロマンチックなファンタジー。死者の世界にいるサムが圧倒的なハンデの中で「犯人を捕まえ、恋人を守ることはできるのか」というスリリングなシチュエーションで物語をドライブしつつ、サムの新たな仲間との出会いとか、恋人を喪ったモリーの成長とか、いろんな要素がてんこ盛りの内容になっていて、まったく飽きずにみることができました。サムが出会う地下鉄の大男やインチキ霊媒師、裏切り者の同僚など、サブのキャラクターも個性があって楽しいですね。手に汗握り、最後はホロっと感動してしまう。人気も納得の上質なエンタテイメントでした。ただ、ちょっと天国の描写がいま見ると陳腐でギャグっぽく見えてしまいましたが…。

「宇宙を駆けるよだか」全話感想:ドロドロとした愛憎劇の中で輝く青春の光

こんにちは。じゅぺです。

今回はNetflix限定ドラマ「宇宙を駆けるよだか」について。

f:id:StarSpangledMan:20180821001919j:image

同名タイトルの少女漫画を原作に、全6話で構成しています。あんまり期待せずに、というかほとんど前情報もなしに見たのですが、ものすごく良かったです。少女漫画原作の映像化作品は、ときどき映画で見ていますが、こういうドラマもアリだなと思いました。

主演の4人はたいへん素晴らしいパフォーマンスを披露しています。中身が入れ替わったり、精神崩壊気味になったり、たいへんな役ですが、ノイズはなく、むしろ心動かされる演技でした。特に富田望生は「ブサイク」も「美少女」も演じ分けていて凄まじかったです。これは今後の邦画で不可欠な俳優になりそうですね。清原果耶も殺気と怨念のこもった冷たい目つきに、可愛らしさと美しさを秘めていて、ドキドキしてしまいました。どんどん苦しい境遇に追い込まれていくのが見ていて辛くて、はやくあの可愛い笑顔に戻ってくれと思わされました。歩き方も「ブサイク」になってましたからねえ。ギャップ演技最高です。神山智洋重岡大毅のジャニーズペアも素晴らしかった。完全に舐めてましたが、特に重岡大毅は爽やかナイスガイからクールなイケメン、失恋に傷つくピュアな一面まで、さまざまな表情を見せてくれました。ファンの方は発狂ものじゃないですか。余談ですが、クレジットがこの二人から始まるのは、事務所の力関係を感じてしまいました。

主なあらすじは、クラスで無視され続けていた「ブサイク」な女の子と、クラスいちばんの人気者で「美少女」な女の子の中身が入れ替わるというもの。そこから始まる学校生活の変化だったり、ドロドロした愛憎劇だったり、ファンタジー要素を絡めた青春劇が見どころになっています。見た目が可愛くなっても、けっきょく中身が「ブサイク」なのでどんどん人が離れてしまうのは、かなり残酷ですが、そこそこ事実だと思いました。まわりに人が集まるような人気者って、性別問わずどこかしら愛嬌があって、そばにいたくなるようなオーラを放っているものですよね。しかし、精神的「ブサイク」は見た目が良くなっても「ブサイク」みたいな身もふたもない結論には落ち着かず、精神的「美人/イケメン」やそれを支えてくれる自己肯定感って、まわりがいかに手を差し伸べてくれるか、どれだけ愛情を注いでくれるかにかかってるところはあるよね、というテーマに着地するのはとてもよかった。人格形成はまわりの環境に負うところも大きいですからね。これもまたひとつの真理だと思います。

ここまではマクロの話ですが、「青春」というミクロの目線で見ても、結構おもしろいところを突いていたと思います。つまり、「隣の芝生は青い」ということ。なんでも他人と比べ、羨ましがり、あれが欲しいこれが足りないと大騒ぎし、いつまでも満ち足りない思いをするのが青春です。彼らにとって、自己肯定感は簡単に傷つきやすいものなんですよね。それは決して悪いことではない。純粋無垢で、諦めを知らないということでもあります。完ぺきな自分を追い求め、理想と現実のあいだでもがくのが青春であると定義することもできるでしょう。この誰にでもある「あの人のようになりたい」という渇望感にあえぐ海根さんの苦しみが、最後の方になってかなり切なく沁みてきます。「隣の芝生は青い」というのは、とどのつまり「隣の芝」でしかなく、依然として他者とのあいだには明確な分断があるわけですが、ふだんなら決して交わることのなかったであろう「ブサイク」と「美少女」が入れ替わることによって他者の苦しみに気づき、アイデンティティにも目覚めていくという一連の流れがスマートで納得感がありました。テーマがきちんと4人の成長に結びついているのがいいですね。良作でした。

「カメラを止めるな!」感想:文化祭的高揚感を共有する最高の劇場体験

こんにちは。じゅぺです。

今回はあの話題作「カメラを止めるな!」について、ネタバレありで感想を書きます。

f:id:StarSpangledMan:20180819234855j:image

じつはこの映画、公開前から映画ファンの間ではすこし話題になっていました。年明け?ぐらいから映画祭の先行上映で見た関係者の評判が出回っていて、これはかなり面白いらしいという話はちょくちょく見かけていたんですよね。なので新宿K's cinemaでは初日から連日満席。ものすごいフィーバーでなかなか見に行ける状態ではなかったので、全国規模に公開が拡大されるまで待ち、8月3日にTOHO日本橋で見てきました!

やっぱり評判に違わず面白かったです。特に後半の「答え合わせ」が最高でした。前半30分のワンカットゾンビ映画「ONE CUT OF THE DEAD」の撮影の裏側が明かされるパートです。

予算300万の映画という情報は事前に頭に入っていました。なので「ONE CUT OF THE DEAD」のツッコミどころ、たとえば、俳優の芝居に妙な間があったりとか、道ばたになぜか便利なアイテムが落っこちていたり、といった作劇上の粗は「そういうもの」として受け入れていたんですよね。しかし、実はそのチープさが「生放送ワンカットゾンビ映画」という無謀でトラブル続きの挑戦の結果だったということが後半で明らかにされます。「ONE CUT OF THE DEAD」の作中劇と「ONE CUT OF THE DEAD」の裏側、それからこの2層を描く「カメラを止めるな!」の3層構造になっています。つまり、三谷幸喜監督の「ラヂオの時間」がラジオドラマとその裏側の2層構造でしたが、ここに映画の「カメラ」という機能が加わることで、より一層複雑な3層構造になっているのです。ここが本作最大の仕掛けであり、面白いところです。

正直、前半30分は退屈なところもあったのですが、後半の加速は素晴らしかった。満員の劇場も終始大爆笑でした。なによりステキなのが、登場人物みんな一生懸命なんですよね。生放送ワンカットゾンビ映画を成功させるために、必死に頑張っているのに上手く噛み合わない。だから面白い。大事なのは、この楽しさが「失敗」そのものではなく「頑張り」とその「噛み合わなさ」に起因するものだということです。みんな作品の完成と成功に向かって全力を捧げているんです。自分もその中の一員にいるようで、文化祭前日のような高揚感も身体中から沸き起こってくる。映画を見ている間、私たちは困難に挑戦する興奮を「ONE CUT OF THE DEAD」クルー、そして、満員の観客席のみんなと一緒に共有しているんですよ。だけど、クルー全員どこかズレているところがあって、唯一常識的(というか凡人)な日暮監督が振り回されてしまう。予算やスケジュール、クセの強すぎるキャスト陣たちに振り回され、フラフラになりながらなんとか立っているのが精いっぱいという状況。観客の僕もクルーの一員として応援している気分になります。だから、「噛み合わなさ」をある種温かい目線で見守りながら、やさしい気持ちで笑えるんです。単なる「失敗」の笑いではなく、あくまで「頑張り」の笑いになっているから、すごく品が良いんですよね。

僕らは、スクリーンの前で、みんなでワイワイ騒ぎながらモノを作る楽しさを感じている。だからクルーも友だちのように見えてきます。メタ的なことを言うと、クルーを演じている無名の俳優たちが「カメ止め」フィーバーの中で脚光を浴びている、この夢のような時間を共に喜んでいるのです。「予算300万のインディーズ映画」が日本中の話題をさらっているというシンデレラストーリーがまず前提にあるからこそ、「ONE CUT OF THE DEAD」のクルーの頑張り」と「カメラを止めるな!」クルーの頑張りがひとつに混じり合って、大きな感動を呼んでいるのではないでしょうか。少なくとも僕は現実世界の「カメ止め」の物語と「ONE CUT OF THE DEAD」のクルーの物語を、同時に消費していました。

そして、僕たちはまるでお酒を飲んだ後のようにお祭り的な興奮に酔いしれ、劇場を後にします。でも、ただ「楽しかった」で終わらないのが「カメラを止めるな!」の良いところ。予算やスケジュール、言うことを聞かないキャストなど、あまりに多すぎる制約とトラブルを抱えながら映画をまとめた日暮監督、そして、彼の頑張りに呼応するように、全力で映画に取り組んだクルーたち…彼らのへこたれなさに、僕たちは明日を生きる勇気をもらいます。理想はあるのに思い通りにいかないことって、毎日たくさんあると思います。むしろ、自分の頭の中で描いたままに物事が進む方が少ない。焦りやいら立ち、諦めを背負いながら、僕たちは日々の勉強だったり、仕事だったり、人付き合いを一つひとつこなしています。この映画はそんなモヤモヤを抱えて生きるすべての人を応援してくれる映画です。上手くいかないことのほうが多いけど、みんな明日も頑張れよ!と。カメラ用のクレーンがなくなっても、組体操でなんとかなるんだぜ!と。映画が現実を離れて夢を見させてくれるメディアなのだとしたら、これほど素晴らしい映画体験はないんじゃないかと思います。大傑作です。

「bao」:たった8分で紡がれる親子の「これまで」と「これから」

こんにちは。じゅぺです。

今回は「インクレディブル・ファミリー」同時上映作品の「bao」について。

f:id:StarSpangledMan:20180816210230j:image

監督は中華系の女性だそうです。主人公の「中国のおばちゃん」感がハンパなくリアルなのも納得です。もう3Dアニメーションでデフォルメされた「中国のおばちゃん」が見られる面白さだけで正直満足なぐらいですが、こうやってハイクオリティな短編が同時上映で見られるのがピクサー作品を映画館に見に行く贅沢な楽しみですよね。

ストーリーは、主人公のおばちゃんが朝ごはんに作った肉まんに生命が宿り、男の子として元気に育っていく…というもの。はじまりが朝ごはんなのは重要です。おばちゃんが、食べてくれる人(最初の場面ではお父さん)のことを思いながら、皮でアンを「包み込む」。これはすごく寓意的で、そのまま優しく家族を包み込む「お母さんの愛情」を表現していると思います。そして、そんなおばちゃんの愛をお腹いっぱい食べながら「肉まん」はすくすくと大きくなっていくのです。

身体が肉まんでできてるから、おばちゃんも息子のことが心配でなりません。小さい頃からそれで良かったのだけど、やがて息子が大人になっていくと、おばちゃんの心配は「過保護」になり、独り立ちしたい息子の気持ちは離れていきます。ここもまた切ないのですが、肉まんが金髪の女の子を連れ歩いていたり、絵面のシュールさも全面に出ているので、ほどよく笑えます。茶目っ気があっていいですよね。

そして、最後、おばちゃんは息子が去っていくのが耐えられなくて、ぱくりと食べてしまうのです。取り返しのつかないことをしてしまったと泣き崩れるおばちゃん。「食べる」という行為がこの場合はそのまま「死」に直結するので、なんとも残酷です。

ここからがどんでん返しです。おばちゃんの「肉まん」との人生は、なんと夢だったんですね。ベットの上で涙を流すおばちゃん。楽しかった日々を思い返しながら、自分のしてしまったことへの後悔で深い悲しみに沈んでいます。そこへやってくる本物の息子。夢で出てきた「肉まん」そっくりです。じつは、おばちゃんと「肉まん」の関係は、実際のおばちゃんと「息子」の関係の戯画だったんですね。彼女と一緒に実家を飛び出していた息子は、お母さんと仲直りしたくて帰ってきていたのでした。けっきょく、お母さんが恋しくなったんですよ。酷い形で関係を壊れてしまったことを後悔していたのは、お母さんだけじゃなかった。僕はここで懐かしい親子の日々がフラッシュバックしました。ああ、ふたりの間で積み重ねてきたものは嘘じゃなかったし、やっぱり簡単に消えてなくなるものじゃないんだよなって。だって息子はおばちゃんの肉まんを食べて育ったんですもんね。思えば、夢に出てくる息子が肉まんそっくりなのも、おばちゃんが彼のことを「肉まん」とか親しみを込めて呼んだらしていたのかもしれません。

ラストでは、仲直りした親子がいっしょに肉まんを作ります。もう息子も大人ですから。一方的に親の愛情を受けるだけでなく、親孝行しなければなりません。細かいところで感動したのは、おばちゃんが息子の彼女にも肉まんの作り方を教えているところです。きっとこのおばちゃんもお母さんから肉まんの作り方を教えてもらったんだろうと、連綿と続く親子の愛情についても想いを馳せてしまいました。大変短い映画ですが、正直、本編の「インクレディブル・ファミリー」より見応えがありました。この短い時間で、親子の「これまで」と「これから」をこれだけスマートに、そして感動的に描いてしまう。恐ろしいです。早くこの監督の長編作品も見てみたいですね。

 

「インクレディブル・ファミリー」:14年で進化したところと変わらなかったところ

こんにちは。じゅぺです。

今回はピクサー最新作「インクレディブル・ファミリー」について。

f:id:StarSpangledMan:20180815181115j:image

Mr.インクレディブル」の14年ぶりの新作です。どうして今更?という気がしなくもないですが、前作に引き続きブラッド・バードが監督と脚本を担当。

Mr.インクレディブル」はピクサー初の人間を主人公にした長編アニメーション作品でしたが、映像の技術も進歩し、当時に比べて表現の幅もかなり広がりました。極端にデフォルメされたキャラクターデザインも、最新の技術を駆使すればリアルな人間に見えてしまうんですね。表情のバリエーションはかなり増え、キャラクターに複雑な感情を与えることに成功しています。

アクションシーンの快感は最近見た映画の中でもトップクラスでした。特にイラスティガールが最高です。前作は敵のアジトの島で戦っていたのでわりと平坦な空間設計だったのですが、今回はアクションも立体的でした。たとえば、イラスティガールがスパイダーマンのように摩天楼を飛び回る空中シーンや、暴騰する特急電車をバイクで追跡するチェイスシーンなど、昨今のヒーロー映画と比べてもハイレベルでした。縦横無尽なカメラワークと長回しはアニメーションならでは。あんなに興奮するアクションシーンはなかなか体感できません!ここに関してはとっても満足です。

しかし、「Mr.インクレディブル」に続き、ストーリーはディズニー/ピクサーの作品群の中でも単純な方ですね。よく言えばシンプルですが、正直あまり見どころはないです。「外に出て働くお母さん」や「慣れないワンオペ育児にパンク寸前のお父さん」など、新しい家族の形や女性のエンパワメントにつながる現代的なテーマのかけらは至るところに見つけられますが、それがヒーロー映画としての面白さに繋がっているかというと微妙。しかもどれも回収が中途半端で、気づいたら勝手に解決したことになっているんですよね。困難を乗り越えて家族としてまたひとつ強くなっていくのかと思ったんですが、あまりそういう話には展開しませんでした。ちょっともったいないと思います。超能力が覚醒して暴れまわるジャック・ジャックが、そのまま赤ちゃんの予測不能っぷりの言い換えになっていて面白かったですね。良かった点はそれぐらいだと思います。

あいかわらずヴィランは「非能力者」側の人間で、「能力者」を邪魔する存在でしかなかったのが残念です。これは「Mr.インクレディブル」の感想でも述べましたけど、「能力者」側の目線で話が進むので、見方によってはすこし独善的なんですよね。「能力者」に憧れたり、彼らによって人生を狂わされた(と思っている)人には、なにひとつ救いがありません。物語として見る人の期待や予想を裏切るような驚きがなく、物足りなさがありました。特にディズニー/ピクサーは脚本のクオリティが毎回高いので、ハードルが上がってしまいます。視覚的には今年見た映画の中でもトップクラスの満足度だっただけに、ストーリーに面白みがなかったせいで、全体的には「普通」の枠に収まってしまったのがちょっと残念な映画でした。