映画狂凡人(映画感想ツイート倉庫)

さいきん見た映画の感想を書いています。ネタバレありなので未見の方は注意してください。

「天使の入江」感想:運命に支配された男と女

こんにちは。じゅぺです。

今回は「天使の入江」について。

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「天使の入江」はジャック・ドゥミ監督の作品です。「シェルブールの雨傘」と「ロシュフォールの恋人たち」は見ました。どちらもフレンチ・ミュージカルの代表作で、ポップで可愛らしい色づかいが有名ですね。主人公たちの着ている服や帽子、壁の色、背景に映る車。どこを切り取っても見どころがあります。目が喜ぶとはまさにこのことだと感じたことを覚えています。そのわりにストーリーは出会いや別れの心痛みを描いていいて、結構ビターなのも面白いですね。

「天使の入江」はドゥミ監督が「シェルブールの雨傘」の企画を進めている最中に作られた作品です。ひょんなことからギャンブルにハマった男が、バカンスで訪れたニースで、これまたギャンブル狂の女と出会い、恋に落ち、くっついたり離れたり、を繰り返す話になっています。

彼らは「運命」に支配されています。ギャンブルで破滅と成功を繰り返す。自分の学ばなさも、愚かさもじゅうぶんわかっている。それでも、もうすでに平坦な日常には戻れなくなっていて、水道水で喉の渇きを潤すように、二人は刺激を求めて今日もカジノに繰り出すのです。二人が出会ったのも、「運命」に導かれてのことかもしれません。すくなくとも二人はそう思っているのでしょう。女は「17は私のラッキーナンバーなんだ」と言うけど、ほとんど当たったためしがなく、17へのこだわりを捨てきれずに損ばかりしています。僕は、二人は、特に女のほうは「運命」に甘えているんじゃないかと思う。ギャンブルの腕もないし、失敗に学ぶことも全くない。だけど、「運命」が自分に味方することだけは知っている。唐突なハッピーエンドも、けっきょくのところ「運命」なよではないかと思いました。ニースとモンテカルロのカラッとした晴空と白い砂浜は、そんな身勝手で都合のいい男と女を受け入れ、肯定しているように見えます。

ファーストカットとラストカット、つまり入口と出口の印象が180度逆なのもこの映画の面白いところです。ぐーんと遠くへ女が離れていく不穏な幕開けで観客を掴み、突然すぎるハッピーエンドでこんどは観客を突き放す。この対比構造。ピアノの旋律もはじめと終わりで違った響きを帯びてきます。なんとも不思議な映画でした。

「ボヘミアン・ラプソディ」感想:「アナ雪」に連なる体験映画の最先端

こんにちは。じゅぺです。

今回は大ヒット中の映画「ボヘミアン・ラプソディ」について。

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ボヘミアン・ラプソディ」は、45歳の若さでこの世を去ったフレディ・マーキュリーの半生を描く伝記映画です。現在、大ヒット上映中で「クイーン現象」を巻き起こしています。街中やテレビ番組でもやたらとクイーンの楽曲を耳にするようになりました。ネットでは「ボラプ」なんて略称も出てきていてます。これまでクイーン全盛期を知らない人びと、すなわち物心ついた頃にはフレディがすでに亡くなっていた世代を中心に、この映画の評判が高まっているようです。

筆者もクイーンと言えば「ハッチポッチステーション」でグッチ裕三が歌っていたパロディ曲から入り、いくつかの有名な曲を知っている程度で、あまり熱心に聴き込んだことはありませんでしたが、この映画を見て思わずサントラをダウンロードしてしまいました。たしかにクイーンの曲をもっと聴き、知りたいと思える作品です。映画館のスクリーンと音響をフルに活用したライブシーンの没入感はすさまじいです。歌声も本人のものをつかっているので、圧倒的な迫力があります。これが人間の出せる音なのかと驚いてしまいました。非常に芯が太く圧の強い歌声なのですが、大胆さの中にも傷つきやすい繊細さや脆さを感じさせ、抜きん出た表現力の持ち主だなと感動しました。

その感動が頂点に達するのが、クライマックスのライブ・エイドの場面。すごく良かったですね。先ほど、この映画が響いているのは、意外にも若者世代であると言いましたが、おそらく僕も含めて「んな「リアルタイムで体感したかった」と思わされたのではないでしょうか。ドルビーアトモスで見たけど、これだけでお金を払う価値はありました。彼の人生の集大成としての渾身のパフォーマンスに、まるでその場にいるかのように没入してで興奮すると同時に、今はもう彼はこの世にいないのだ(=絶対に本物を体感することはできない)という現実が頭の中をぐるぐる回って、非常に不思議な感覚でした。もう現実には体験することはできないとわかっているのに、目の前のスクリーンで本物と錯覚してしまうようなパフォーマンスが繰り広げられている。映画であるからこそ、そして最新の技術を駆使しているからこそ可能な映画の魔法だったと思います。この体験の満足感が「ボヘミアン・ラプソディ」のヒットにつながっていると言えるのではないでしょうか。

この手のスマッシュヒットは、今年では「グレイテスト・ショーマン」がありました。これもオープニングのパフォーマンスからグッと心を掴む魅力にあふれていました。そして去年では「ラ・ラ・ランド」。さらにその前まで遡れば「アナと雪の女王」に連なります。どれも音楽映画であること、そして極上のスクリーンと音響で初めて最高の効果を得られる作品であること(=テレビやスマホで見ても面白くない)が共通しています。いまやYouTubeや各種SNS等を筆頭に、消費者の余暇の時間と娯楽は、いつでもどこでも楽しめるスマホによるサービスが一般的になっています。「映画館」という場所や時間に縛られたかつての「娯楽の王様」は、環境の特殊性でその争いに食い込もうとしているのです。映画館でしか得られない体験を突き詰めると、じつは「物語ること」よりも、大きな画面とクリアなサウンドを通して全身で興奮できるような「迫力」や「刺激」が大事になってくるのですね。より精緻で長尺なドラマを展開できるストリーミングサービスの台頭も、映画のよりシンプルな興奮の追求を後押ししています。「ボヘミアン・ラプソディ」と離れますが、国内で言えば「ゼロ・グラビティ」や「ダンケルク」もこの文脈に当てはまることができるでしょう。

音楽映画のくくりにこだわれば、「ラブ&マーシー 終わらないメロディ」や「ストレイト・アウタ・コンプトン」、「ジャージー・ボーイズ」に近いかもしれません。スランプや他のメンバーとのあつれき、産みの苦しみを経て、時代を切り開く新しい音楽が生まれていく過程が感動的でした。ベースの部分では「ボヘミアン・ラプソディ」もそれに則っていると思います。

しかし、裏を返せば、非常に類型的なドラマになってしまっています。正直言って、退屈です。期待していたものが見れず、僕には響かなかったというのが、すこし残念でした。ここにきて本当のことを言うと、僕は「ボラプ」ブームに乗り切れていません。「グレイテスト・ショーマン」の時と同じです。これはきっとヒットするだろかなあと思いつつ、これは僕のための映画ではないなと思いました。

フレディのことをだれもが知っているからこそ、そして、伝記映画として無難にまとまってしまったがために、予想を上回る感動はありませんでした。ドラマが気持ちを高めてくれないので、ライブシーンに全てが収束していく構成にしていながら、その良さが活かしきれていないように思います。もちろんライブシーンには興奮しましたし、僕らの耳に馴染んだ音楽が形になり、それがステージで披露されて多くの聴衆をひとつにしていく様は、感動的です。ラミ・マレックはじめ本人の魂が乗り移ったかのような(と言っても本人のことはよく知りませんが)キャスト陣の熱演と衣装・芸術のクオリティも高かった。もちろん音響の技術も最高だったと思います。それでも心のどこかで「レベルの高いモノマネ」を見ている感覚があり、モヤモヤしてしまったんですよね。なにをもって「映画」とするかの定義は人それぞれだとは思いますが、少なくとも僕は「ドラマ」で観客の見たことのない世界を切り拓いていくことが映画の重要な力だと思っています。映像にせよ、ストーリーにせよ、キャラクターにせよ、「これどこかで見たことがあるな」が重なると、途端に輝きを失ってしまうものです(もちろん全てが「真新しい」ことはあり得ないので、あくまでそれぞれの積み重ねの上で、です)。残念ながら「ボヘミアン・ラプソディ」は、「天才がグループを引っ張る」→「大成功を収める」→「天才であるがゆえに(そして大抵はその孤独さによって)グループをバラバラにしてしまう」→「のちに仲直りして同窓会ライブ」の流れが、どこかで見たことあるものだったので、最後のライブエイドに至る前に興味が追いつかなくなってしまいました。悪くはない映画だと思うし、じっさい大ヒットしているのですが、これからの映画ってこの方向で突き詰めていくのかなあと、若干モヤモヤしてしまいました。映画って難しいですね。

「また逢う日まで」感想:敗戦から5年後の生々しさ

こんにちは。じゅぺです。

今回は「また逢う日まで」です。

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‪「また逢う日まで」は、戦争で引き裂かれていく男女の愛を描く作品です。監督は今井正今井正監督の作品は「キクとイサム」と「ここに泉あり」を見ました。どちらも戦争の爪痕を背景に、都市と地方の格差、そしてハンセン病患者など、社会で周縁化されたり、弱い立場に追いやられた人たちに寄り添う作品になっています。人間の根っこにある強さを信じるヒューマニズムに裏打ちされた清々しさがあるんですよね。

また逢う日まで」は「キクとイサム」「ここに泉あり」の2作より前に撮られており、舞台設定そのものが「戦後」ではなく「戦中」になっています。そのせいか反戦の主張が色濃く出ていました。敗戦からわずか5年後ですから、まだ日常のいたるところに戦争の傷跡が生々しく残っていたと思います。戦争によって徐々に狂っていく三郎の家族や、赤紙の恐怖に震え、やがて引き裂かれていくことになる三郎と螢子の姿を見て、当時の人々はどんなことを思ったのでしょうか。

特にあの残酷な幕引きには驚きました。三郎と螢子はそれぞれ空襲と徴兵によって、お互いのことを想ったまま、相手がもうこの世にいないことを知ることもなく虚しく死んでいくのです。この展開をフィクションとして楽しむには、やはり5年という時間は短い気がしなくもありません。しかし、犠牲になった人々の鎮魂の物語でもあると、納得もいきます。生き残った側の人間として、もう二度とこのような過ちを繰り返したりはしないのだぞと。少なくとも現代人の目線からこの映画を見たときに、そういう意味を読み取っても決して間違いではないのではないかと思います。

ところで、有名なガラス越しのキスシーンはとても切なくてよかったですね。ふたりのその後を暗示する不穏な場面にもなっていて、ただ美しいだけでなく、物語上とても重要な役割を果たしています。「今夜、ロマンス劇場で」の元ネタはこれだったのかと嬉しくなりました。

しかし、反戦色は強く感じ取ったものの、映画としては山場に欠ける作品だったかなと思います。盛り上がるのは、キスシーンとクライマックスの駅の場面ぐらいでしょうか。悪くないんだけど、それほど好きでもないかなという感じです。

 

【美術展】「ピエール・ボナール展」に行ってきました

こんにちは。じゅぺです。

いつも映画のレビューだと息切れしそうなので、たまには美術展のお話も書こうと思います。

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僕は美術には疎いのですが、時々暇つぶしに美術展に足を運んでいます。で、今回選んだのが国立新美術館で開催中の「ピエール・ボナール」展です。そもそもボナールの属するナビ派って何?というレベルの知識なのですが、なかなか楽しめました。ボナールは、対象を観察して一気に仕上げてしまうというよりは、たっぷりと時間をかけ、時には数年の歳月を費やして、画家のイマジネーションをキャンバスに塗り重ねていくタイプの芸術家らしいです。そのせいか、対象の細部や雰囲気を再現しているというより、そのモノや人に相対したとき、彼の脳内でどのようにイメージが膨らみ、内面に焼き付けられたのかを表現しているという印象を受けました。

気に入った作品を3つほど挙げます。

まず、「白い猫」。

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いかにも猫らしいふてぶてしい顔です。すらっとした長い脚から、そろりそろりと音もなく優雅に歩き進む猫の動きが鮮やかに想像されます。可愛い絵です。

こちらは、「大きな庭」。

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僕は単純なのででかい絵が好きです。これも2m×2mぐらいはあったかな、この画像以上に緑色が美しく、まるで宝石のようなまぶしさでした。こういう絵が家にあったら、いつ見ても穏やかに気持ちで暮らせそうだなあと妄想してしまいます。欲しいです(まず置く場所すらありませんが)。

最後に、「ボート遊び」。

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こちらは解説プレートに書いてあってなるほどと思ったのですが、この絵の中央の前に立ってみると、目線的にも奥行き的にも自分がボートに乗っている感覚になれるのです。空間の広がりすら絵で表現できるんですねえ。

いちおう映画ブログなので、映画に絡めた話をすると、これって映画のスクリーンの使い方に似ていると思います。たとえば「七人の侍」や「アラビアのロレンス」は、座席の観客の目線の高さがそのままスクリーンの中の地平線と同じ高さになるように映像が設計されたりしていて、じっさいに映画館で見るとものすごい効果があります。最近の作品だと「ダンケルク」の冒頭は同じ演出でしたね、敵軍の空爆を避けながら、必死に浜辺まで街中を駆け抜けるあの緊迫のシーンです。たしかファーストカットからそういう画面設計になっていました。ボナールの「ボート遊び」や「夏」など、大型の風景画はどれもこれらと同じような発想で描かれていると感じました。

12月17日までの開催なので、駆け込みだったのですが、思っていたよりすばらしい展示会でした。次は「ムンク展」でしょうか。気が向いたらまたレビュー記事にします!

 

「スマホを落としただけなのに」感想:良くも悪くもタイトル詐欺

こんにちは。じゅぺです。

今回は「スマホを落としただけなのに」について。

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スマホを落としただけなのに」は志賀晃による大ヒット同名小説を「リング」中田秀夫が監督したサスペンス映画です。タイトル先行で話題になりましたが、良くも悪くも「タイトル詐欺」な作品だったと思います。

もはや、スマホは誰もが肌身離さず持ち歩く「自分」の一部であり、その分だけ自分でコントロールできなかったとかのリスクは大きくなっています。もし、自分の大切な思い出の写真や、家族や友人とのメッセージのやりとりが、見知らぬ誰かの手に渡ったらと考えると、それだけで恐ろしいですよね。そういう時代の流れの中で、この「スマホを落としただけなのに」は結構期待していました。

ところが、中盤以降の展開は、タイトルから期待される内容とズレていたと思います。僕はスマホを切り口に、ネット社会、いや、社会全体に蔓延る悪意や憎悪、醜さを描いてくれるものと期待していました。たとえば、うっかり個人情報が流れちゃって、友だちに縁を切られたり、会社をクビになったり、なんでもいいのですが、そういう日常が足元から揺らいでいくような、身近な恐怖を疑似体験できるのではないかと期待していたのです。

ですが、実はこの話の後半の肝は、主人公・麻美(正確には麻美の彼氏)のスマホを拾った「真犯人」の異常性なんですよね。ほとんどヒッチコックの名作「サイコ」のオマージュです。母親に裏切られたトラウマや、その後遺症としての異常性癖、カツラを被っての女装など、そのまま同じです。「サイコ」愛を猛烈に感じます。そして、犯人役の成田凌の演技がとにかくはっちゃけていましたね。強烈すぎて、とはや劇場から笑いが漏れていましたから。だんだん犯人のインパクトによる一本足打法になってしまい、映画としては逆に薄いものになっています。だんだんスマホが関係なくなってくるんですよね。「ドント・ブリーズ」の地下室の秘密が暴かれてからの展開のガッカリ感に似ています。期待してたのはそっちじゃないんだけど…という乗り切れないモヤモヤほど辛いものはありません。

正直なところ、そのほかの部分もあまり良い印象はありません。主演の北川景子は「いつも通り」です。あまりに定型的で過剰なリアクションなので、これまたもはやギャグになっていました。彼女がこれまで隠してきた秘密に関するサイドストーリーも蛇足だったと思います。しかもその詳細な説明を、例のごとく演説で片付けてしまう。メリーゴーランドの場面の冗長さには頭痛がしました。映画である以上、言葉ではなく、映像で語るべきでしょう。千葉雄大の演じる刑事や、犯人側の背景もある程度描きこまれていますが、それが北川景子演じる麻美の問題と絡んでいるかというと微妙で、繋がりが分かりにくい内容だったと思います。余計ですよね、正直。情報量多いわりに整理されてないので、あまり映画の面白さには貢献できていないと思います。

スマホだけで話持たせられなかったのかな、と思ってしまう、いろいろ期待ハズレな作品でした。やっぱり北川景子はこれ以上演技上手くならないんでしょうか…。

「ヴェノム」感想:無職と宇宙人のロマンティックコメディ

こんにちは。じゅぺです。

今回は「ヴェノム」について。

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「ヴェノム」はマーベルコミックの人気キャラクターで、スパイダーマンヴィランでおなじみのヴェノムを主人公に描く、ダークヒーロー映画です。大人の事情でスパイダーマンは出てきません。最初この作品の映画化を聞いたとき、スパイダーマンあってのヴェノムだと思っていたのに、単体でどうやって面白くするんだろうと不安だったのですが、これがなるほどと思わせるアプローチで、なかなか楽しかったです。

全体としては「雑だなあ」という印象です。良くも悪くも。とにかく話は転がり続けるし、エディとヴェノムの掛け合いは茶目っ気たっぷり。粘菌のように四方に張り付きながら戦うシンビオートの動きもカッコいい。バイクとシンビオートの連携抜群のカーチェイスも躍動感がありました。

言ってしまえば、見た後には特に何も残らないタイプの映画です。ハリウッドがいまみたいは優等生気質になる前の、もっと粗野で悪趣味な刺激を求めていた頃の「古き良き」作風に近い。だから細かい部分の整合性は作り手もあまり気にしていないと思うんですよね。だから、場面ごとは面白いけど、振り返ってみると、ちょっと首を傾げたくなるような描写もあります。特に、エディがヴェノムと出会うまでの過程が長く、その分、なぜヴェノムがエディのことを気に入っていくのか?の描写が薄くなってしまっています。たっぷりとエディのうだつの上がらない日常が描かれているから、ヴェノムが彼に惹かれていく理由の補完はできるのですが。あくまで見ている側の補完です。もう少しエディとヴェノムの交流をじっくり描いてくれたら、その後の二人の「イチャつき」っぷりも楽しめたと思うんですよねえ。
で、その「イチャつき」にも関わってくるのですが、「ヴェノム」は、ストーリーの面白さより「キャラ萌え」でドライブしていく映画だと思います。。MCUの楽しさを強化している印象です。エディのキャラクターは、曲がったことが許せなくて、頑固で、それでいて可愛らしさもあって。生きるのは下手そうだけど、憎めない。何やってもうまくいかないところにヴェノムがやってきて、良くも悪くも人生がガラリと変わる。自分なりの生き方を、ヴェノムと共に探っていく決心が固まるわけですね。主眼が事件の顛末ではないから、もっと見たいな〜と思います。トム・ハーディは酒飲んで酔っ払って愚痴ってるだけで面白いです。ずるい笑 いろいろな点に不満はあれど、見終わってみると「楽しかった」と感じられたから、いい映画だと思います。

ですが、この「楽しかった」という感想を抱いたことに関しては、正直なところ複雑な気持ちですね。第一弾の予告編が公開された段階では、得体の知れない生命体に寄生される恐怖を描くホラーとしての風合いが強く、僕もその方面で大いに期待していました。それが蓋を開けてみればコメディ、もはや夫婦漫才といってもいい。ロマンティックコメディでした。なんと言うべきか、「それでいいのか?」と思ってしまうんですよねえ。僕は同じ身体に宿る二つの自己の分裂と共生をもっとシリアスな視点から切り取ってほしかった。でも、コメディとしてはそこそこ楽しめたのです。一方で、このお話はヴェノムじゃないと成立しなかったのか?というと、正直微妙に違うのではないかと思います。

やはり見る前に期待値を高めすぎると、ガッカリしてしまうことはあります。誰が悪いというわけではないので、すごくモヤモヤが残るわけですが。「ヴェノム」は2作目の製作も決定しているそうです。これがもし三部作になるならば「帝国の逆襲」パターンで「ヴェノム」もよりダークでヘビーなテーマに踏み込むはずなので、そちらに期待することにしましょう笑

「オズランド 笑顔の魔法おしえます」感想:僕にとって個人的な映画

こんにちは。じゅぺです。

今回は「オズランド 笑顔の魔法おしえます」について。

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「オズランド 笑顔の魔法おしえます」は、地方遊園地に配属された新入社員・波平が、常に笑顔の上司・小塚の背中を見ながら成長していく様を描くお仕事映画です。あらすじとキャスト陣で作品のテーマからオチ、クオリティまでなんとなーく予想がついてしまいますが、この安心感が心地よいですね。ちゃんと期待通りのものをお届けしてくれます。ふて腐れていた波平の顔が徐々に凛々しくなっていくのはとっても素敵だし、一生懸命仕事に打ち込むグリーンランドのみんなが好きになる。良作です。

ちょっと個人的な話をさせてもらうと、僕自身まだ社会人1年目でして、波瑠演じる波平とは似たような境遇なんですよね。だから彼女の戸惑いや苛立ちというのは等身大の悩みとしてリアルに響いてきました。

波平は年上の彼氏が働く姿に憧れて、希望を胸にリゾート開発会社に入社します。ところが、配属は東京本社ではなく、田舎の遊園地。やりたいことはやらせてもらえなくて、やることは雑用ばかり。早稲田卒の自分のポテンシャルを買って呼んでくれたのかと思いきや、理由は単に「名前が面白いから」。学歴枠は同期の東大くんだよと。理想と現実のギャップや、腐らず貪欲に仕事を覚える同期と自分の能力を比較して、自信をすっかり失ってしまう。彼氏とも上手くいかない。どんどん不満が溜まってまわりにも生意気な態度を取ってしまう。あちゃ〜って思うけど、応援したくなります。さすがに波平みたいに先輩や上司に当たり散らしたりはしませんが、「これでいいのか?」「このままでうまくいくのか?」というモヤモヤは、僕の胸にも響くものがありました。で、僕と同じように悶々としている波平を見て、だいたいみんなそうなのかもな〜と思うと、すこし楽になりました。そして、だんだん「プロ」になっていく波平がとても愛おしく、元気をもらいました。自分もこうならなくてはって。恋愛映画にしろ、家族映画にしろ、誰かが自分と同じことで苦しんでいたり、怒っていたりする姿を見ると、自分の気持ちって間違ってなかったんだなと安心するんですよね。物語ってつくづく「自分」の鏡なのだと思います。

そういうキャラを演じる上で、白くて華奢は波瑠ははまり役でしたね。風が吹けば飛んでいきそうな細さと頼りなさが、慣れない環境で右往左往する新人の無力感や孤独に上手くマッチしていたと思います。

キャストの点でいうと、「魔法使い」の小塚を演じる西島秀俊もキュートでした。いつも笑顔で茶目っ気があって、職場のみんなに慕われているのも納得です。西島秀俊は影のある役が多いが、こういうキャラもいいよなと思います。元気いっぱいハイテンションな橋本愛もよかった。単なる騒がしい先輩で終わってしまった気がしなくもないので、もっと彼女の出番が見たかったなあとすら思いますね。

ただ、僕にとって極めて個人的な映画でありながら、「良作」という印象で留まってしまったのは、グリーンランドのロケーションが活かされていないと感じたからです。もともと撮影場所が普通の遊園地なせいもあるだろうけど、もっと魅力的に映して欲しかった。こういう映画は「ここに行きたい!」と思わせてくれないと。働いている人だけでなく、この場所も好きになれたら、もっと心に残っていたかもと思います。たとえば去年の同時期に公開されていた新垣結衣主演の「ミックス。」はロケーションの魅力に溢れていました。寂れた卓球教室や道路工事の現場の景色が、やはり映画を見終わった後も頭の中に残るんですよ。そういう郷愁すら感じるような輝きをグリーンランドにもたらすことができたら、これは(僕にとって)すごい映画になっていたんじゃないかなあと思います。好きなだけに、「惜しい!」と感じてしまう作品でした。でも、僕にとっては大切な映画です。