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「ハッピーアワー」感想:神戸の海が暗示する4人の未来

こんにちは。じゅぺです。

今回は「ハッピーアワー」について。

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「ハッピーアワー」はかなりチャレンジングな作品です。まずその尺の長さ。5時間17分というボリュームです。Blu-rayでもディスク2枚構成ですから、相当の長さです。さらに本作は濱口竜介監督によるワークショップの一環として制作されました。つまり、出演者はほぼ全員演技未経験の素人です。映画の出演どころか芝居すらしたことのない素人だけで5時間17分の映画を撮ろうというのですから、ほとんど無謀な挑戦に思えてきます。しかし、これが大傑作なのです。箔を付けようというわけではありませんが、スイスのロカルノ映画祭でも大絶賛を浴び、主演の4人は最優秀主演女優賞を受賞しました。今回はその素晴らしさについて考えてみようと思います。

 

「ハッピーアワー」の主人公は人生の岐路に立つ37歳の4人の女性。それぞれ問題を抱えているのに、だれもそれに触れようとしない。見た目はそれなりに綺麗なのです。専業主婦として堅実に子育てに励む桜子、看護師の仕事に精を出すあかり、学芸員としてアーティスティックな毎日を過ごす茉美、そして私生活を語らない純(このぼっかりと空いた違和感が後半に効いてくる。憎い構成です)。彼女たちは仲のいい友達どうし。みんなもう37歳ですから、それなりにデコボコな道を歩いてきたことでしょう。すべてが思い描いた通りに進んできたわけではない。愚痴だってたくさんあります。それでも、こうやって神戸の丘の上で気のおけない友人たちと楽しい時を過ごしている。神戸のそれなりに良い住宅街に住み、しっかり生きている。「ハッピーアワー」というタイトルの通り、完ぺきではないにせよ、彼女たちはそれなりに「ハッピー」な人生を送っているように見えます。

しかし、最初はそれなりのバランスを保っているように見えたものが、なにか大きな事件が起きるわけでもなく、静かに不協和音を奏ではじめます。その予兆は、4人が参加するワークショップから始まっています(もっと言うと冒頭の雨かもしれませんが。ちなみにあの天候は完全にアクシデントだそうです)。他人の背中を借り、みんなで重心を探らないと立ち上がることもできないという経験。一人でも違う動きをするとみんなで作った円は崩れてしまうのです。このワークショップのシーンが意味ありげに30分近く展開されます。びっくりするぐらい丁寧(かつのんびりとした)な語り口ですが、ここでじっくりと4人の身体的な経験、交錯と離反を描くことが、そのあとの4時間にこれ以上ないぐらい作用してくるのです。

4人の関係は、楽しかったはずのワークショップの打ち上げで純と桜子の「ウソ」がバレてしまったことからほころびを見せはじめます。そして、ここで蒔かれたタネ、暗示された未来はすべて終盤に回収されるという仕組みになっています。あかりと鵜飼の接近、桜子の不倫、茉美の疎外感、そして、純の「ウソ」から始まる4人の人生の後戻りできない変化。見ている間はあまり意識しないのですが、振り返ってみると、すべてがここから始まっています。ちょうどあの重心を探すワークショップのように、一人の「ウソ」によって、ほかの3人に言えなかった純の苦しみによって、4人の関係はバランスを逸し、溜め込んでいた矛盾が一気に噴火してしまうのです。4人で一緒に行動することでフタをしてきたそれぞれの問題が、ここで一気に顔を現し、彼女たちの人生になだれ込んでくるのです。

打ち上げの気まずさを若干残し、くすぶりを抱えたまま、4人は予定通り温泉旅行に向かいます。ここの多幸感と不穏さが同居する雰囲気が最高です。親友どうしの微笑ましいやりとりなのに、もはや冒頭のピクニックとは決定的に違って見える。なぜなら、一度感じてしまった不信感は、真っ白なシャツにこぼしたコーヒーのシミみたいに、いつまでも目障りなまま残ってしまうからです。もうあの「ウソ」がバレてしまった時点で、元には戻ることができない。純は温泉旅行を途中で抜け出したまま、「パーマネント・バケーション」の主人公の少年のように、船でそのまま神戸を旅立ってしまいます。

後半は淡々としたペースを維持しつつも、怒涛の展開で見るものを引き込みます。まずは、こずえの新作音読会と、その打ち上げから始まる第二の崩壊。ここは前半のワークショップの打ち上げの反復であり、対比です。前半は純の「ウソ」から4人の関係にヒビが入り、崩壊が始まりますが、今回は茉美の夫の拓也の「ウソ」によって、辛うじて繋がっていた4人の結びつきは完全にほぐれ、バラバラの方向に歩みだしていきます。ワークショップの打ち上げが「ウソ」を起点とした崩壊なのだとしたら、音読会の打ち上げは「ウソ」から始まる新しいスタートなのです。

桜子は閉塞感ある日常から逃避し、夫に仕返しするために不倫をし、茉美は変わらない夫に失望して離婚を切り出し、あかりは混沌の中で鵜飼と交わる。そして、純はだれも知らない場所に隠れている。もう、あの頃のようは「ハッピーアワー」は戻ってこないかもしれません。それでもあかりは言います。「また4人で旅行に行きたい」と。そう願うあかりの視界の先には、どこまでも神戸の海が続いているのです。

僕はこの映画が閉じ込めている、単純で複雑な人間たちの交わりがとってもリアルで大好きです。4人の関係は、一見ふつうの友だち同士に見えて、たくさんの矛盾に満ちた関係になっていました。大切な友だちだからこそ、隠したいこと。なんでも言える仲だからこそ、矛盾しているようだけど、どうしても言えないこと。言いたい気持ちはあっても、向こうが察してくれない、聞こうとしてくれないから、なかなか言い出せないもどかしさ。決して相手をないがしろにしているわけではない。できればいつまでも良好な関係を築きたい。それでも不思議と壊れてしまったり、気づかないうちに解消してしまう関係って、わりとあることではないかと思います。言う必要ないと思ってたから言わなかったのに、いざそのことが相手に伝わると怒られてしまったり。特に男性は恋人や妻に対して「いまのままで大丈夫だろう」とのんきに構えていたら、ある日いきなり「どうして変わってくれないの。我慢の限界。」と突き放されてしまう。本当は「いきなり」なんかではなく、小さな失望の蓄積の末の爆発なのですが、不幸にもすれ違ってしまうのです。深刻さの大小はあるにせよ、だれもがこういうミスコミュニケーションによる手痛い経験をしたことがあるのではないでしょうか。言わなくても伝わることもあれば、言わなきゃ良かったって思うこともあり、かと思えば、自分ではおおごとのつもりなのに、言ったところで何も変わらなかったなんてこともある。人と交わることの苦しさと、難しさと、面白さが、この「ハッピーアワー」には詰まっているのだと思います。

話の筋だけ追えば、順風満帆に見えたアラサー女性たちの人生の崩壊を描く悲惨な映画ですが、不思議と開放感や清々しさを感じる締めになっています。Blu-ray付録のリーフレットにある柴崎友香の評を読んでなるほどと思ったのですが、これには神戸という土地柄が関係していると思います。この街は海に面していて、千年以上前から港町として栄えてきた場所です。高いところに行けばかならず海が見え、潮風を肌に感じることができるのです。冒頭、4人はピクニックで山を登ります。どしゃ降りで海は見えません。あかりは「これからの私たちの人生みたいだね」と予言めいた一言を吐きました。そこから先、彼女たちの人生は、たしかにある意味「下り坂」です。それでも、この神戸にいる限り、山を登ればふたたび海が見えます。その先の向こうには、きっと純がしあわせな第二の人生を求めて頑張っているのでしょう。どれだけ苦しくて、先の景色が見えなかったとしても、いつか雨は晴れ、まっさらな青空のもとに神戸の海は輝くのです。僕には神戸の地形そのものが、これまでの人生よりも長い時間を過ごすであろう彼女たちの決して「平坦」ではないが明るい将来と友情の復活への希望を暗示しているように見えました。「ハッピーアワー」は、人間関係の矛盾の生々しさというものを、素人のパフォーマーによる時に危なっかしい演技と、つねに静けさと居心地悪さを残した美しいスケッチによって、じつにみずみずしく切り取っています。ドラマチックであると同時に、ドキュメンタリーめいてもいる。淡々としていながらスリリングで、じつに豊かな5時間17分になっているのです。本当にあっという間でした。今期ベスト級の大傑作です。