映画狂凡人(映画感想ツイート倉庫)

さいきん見た映画の感想を書いています。ネタバレありなので未見の方は注意してください。

「あん」感想:さようなら樹木希林

こんにちは。じゅぺです。

先日、女優の樹木希林さんが亡くなりました。

僕が生まれる前からおばあさん役を演じていた彼女は、つねに一線で活躍を続け、邦画界になくてはならない存在でした。彼女のいない日本の映画の姿というものが想像できないぐらい、多大な影響を与えた偉大な俳優です。

今回はそんな彼女が主演を努めた映画、「あん」について。

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「あん」は、街角の小さなどら焼き屋を舞台に、店長の千太郎、美味しい粒あんを作る謎の老婆・徳江、そんな彼らを見守るワカナの3人が、自らの不幸と向き合い、「生きる意味」を見つけていくヒューマンドラマです。

僕はほとんど前知識無しで、ただ「樹木希林が出ている」ことだけを頭に入れて見たので、冒頭の多幸感と中盤の転調以降の重い展開の落差にかなりショックを受けました。よく考えれば、徳江の語る言葉や、その手付きに彼女の置かれた特殊な境遇はすでにほのめかされていたわけですが、全然気に留めていませんでした。この衝撃が大きかった分、僕のこの映画に対する評価も高まった気がします。

まず、徳江がどら焼き屋に転がり込んでお店を繁盛させる冒頭。これはとても心地よいのシーンになっています。あんを作っていく工程の場面は、香りまで伝わってきそうで、思わずつばを飲み込んでしまいました。そしてあんを丁寧に仕上げていく徳江の繊細な手の動きに、彼女の生き様が刻まれています。ここの丁寧な描写が後半に活きてくるんですね。

そして、中盤以降、徳江のハンセン病が明かされてからの展開は、非常に重いものになっています。徳江の境遇に対する世間の無理解と偏見がとても残酷で、彼女の人生を想うと胸が苦しくなりました。どら焼きを作るささやかながら幸せな厨房は、逃げ出すべき小さな鳥かごになっていくのです。冒頭とのコントラストも鮮やかで、あの幸せな時間は「まやかし」であったことが暴露される、なんともグロテスクな描写です。

3人の登場人物は鳥かごの中にいます。そこにいては大きく羽ばたくことができない、自由になれない。目の前には広い世界が広がっているのに、ただ肌で感じることしかできないのです。しかし、空を自由に飛べないからといって、子どもを産めなかったからといって、人生を諦めなくてもいいのではないか。何者かになれない自分を恨まなくてもいい。ただ、森羅万象に耳を傾けること。それがこの世に生を受けた意味なのだという、この作品を貫く哲学が、徳江と店長の関係の決裂の後、徐々に輪郭を帯びていきます。また、彼女の人生との向き合い方は、自然の営みの一部として自らを融合させていくことでもあるのです。人間はやはり目に見えるもの、形に残るものを追い求めてしまうものですが、徳江はそういったこだわりを捨て、仏教的な(もしくはアニミズム的な)匂いすら感じさせる悟りの境地に到達しています。これはやはり冒頭のあんづくりの場面とも密接につながっていたりします。

最後に提示される徳江の思想は別に一般的なものでもないですし、わりと感じ方は人によって変わるのではないかと思います。人によってすこし説教臭いと言うかもしれませんね。

しかし、ラストカット、大きな声で「どら焼きいかがですか」と叫ぶ千太郎には、勇気をもらわずにいられません。ハンセン病患者の隔離施設でひっそりと死んでいった老婆は、確実にひとりの男の人生に影響を与えました。何者にもなれなかったとしても、人は人との交わりの中で世界の何処かに存在した証を残しているのです。僕はどちらかというと徳江の思想そのものよりも、彼女と出会ったことで前を向き始めた千太郎の声に、大きな感動と共感を覚えました。

何より、徳江の死と、樹木希林さんが出る新作はもう見られないのだという事実をどうしても重ねてしまいます。非常に残念です。これから出会うたくさんの映画で樹木希林さんの演技に触れては、きっとこの思いを強めていくことでしょう。樹木希林さんのご冥福をお祈りします。