映画狂凡人(映画感想ツイート倉庫)

さいきん見た映画の感想を書いています。ネタバレありなので未見の方は注意してください。

「溺れるナイフ」感想:むき出しの自我の衝突

こんにちは。じゅぺです。

今回は「溺れるナイフ」について。

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溺れるナイフ」は、ジョージ朝倉による同名少女漫画を、小松菜奈菅田将暉のダブル主演で実写化した作品です。監督は山戸結希。正直菅田将暉はあまり好きではない(ガチャガチャしていて騒がしい)のですが、小松菜奈目当てで見ました。結論としては、結構面白かったです。

溺れるナイフ」というタイトルの通り、本作は感情の浮き沈みが激しいコウとそんな彼に依存する夏芽を通して、剥き出しのナイフのようにギラギラと輝きを放ち、触れば血が出る鋭さを見せる青春の衝動を描きます。

正直、主人公の二人には全く好きにはなれないんですよね。コウの自我は肌を裂いて中から溢れ出そうなぐらいパンパンに膨れ上がっていて、そんな彼が堪えきらず夏芽にキツく当たったり、不良の道に進んだりするのも、行動としては分かります。クソ田舎でイキり散らしてるあたりも、夏芽と比較した際のスケールが小さくて可愛らしいし、自分の限界を知ることほど悔しいことはありませんよね(そしてそのことがコウをさらなる破滅衝動へと駆り立てるわけです)。しかし、だからといってコウのことは好きになれないんです。たぶん、菅田将暉嫌いなフィルターがかかっているせいもありますが。なんというか、コウとは距離をとって映画を見たくなるんですよね。

そして夏芽も、おそらくチヤホヤしてくれないことの新鮮さや、ある意味の気楽さ、そして、自分と同じ傷つきやすさをコウに感じ取り、彼に惹かれていきます。おそらくこれまでの反動や反発が、彼女を暴走へ駆り立てているのでしょう。どうしてこんなしょうもない男と…って思うと、夏芽のことも好きになれませんが。

ところで、夏芽にとってコウと一緒になることは、いまこの瞬間の幸せにはなるかもしれないけれど、自分の夢を貫こうと思ったら、いつか足かせになってしまうんですよね。おそらくコウも夏芽もそのことは心のどこかで常に引っかかっていて、深く愛し合おうとしても、完全には入り込めないんだと思います。自分の幸せと相手の幸せが相反するものであることを知っているがゆえに、二人は自我に振り回され、お互いを傷つけあっていきます。二人の関係に、はじめから幸せな未来はなかったのかもしれません。

しかし、コウも夏芽も、まだ諦めを知らないのです。理屈で考えれば「正解」はすぐに出てくるわけですが、不条理な感情にかき乱され、バカだなあと自覚していながらもズブズブと沼にはまっていく。僕がコウと夏芽を好きになれないのも、おそらくこういうところです。前しか見えていない二人が幼くて、青臭くて、なんだか鼻をつまみたくなってしまうんですよ。ただ、それは青春映画としてはこの上なく素晴らしいことなのではないかと思います。コウや夏芽に、くだらないことで落ち込んだり、将来どういう大人になるんだろうと考えていたかつての自分(あまり今も変わっていませんが)を重ね、記憶の嫌な部分にぐりぐりとタバコでも押し付けられているような気分になるからです。つまり、青春の痛々しさをものすごくリアルに抉り出していて、否が応でも自分とコウや夏芽を重ねてしまうんですね。こういう捉え方は個人的な経験や価値観に左右されてしまうので、あまり一般化できるものとは思えませんが、僕はこの点で非常にすばらしい映画だと思いました。良作です。